7 きらきら輝いて見えて
教室に戻ると、有紗一人がちょこんと座って、絵本を読んでいた。
少年がお姫様を助ける明るい絵本であるはずなのに、やはり有紗の顔は沈んでいる。
何かを声をかけようと思って手を伸ばすが、躊躇われて引っ込める。
普段ならインファイトでガンガン攻めるタイプな俺だが、あれを知ってしまっては、どうも調子が出なかった。
ふと、有紗の髪が目に入る。
あれ、おかしいな。今朝はいつも通りシュシュをしていたはずだけど……。
「有紗ちゃん、シュシュ外したの?」
「外してな……あ、あれ?」
焦りが顔に滲む。
「な、ない! 私のシュシュが……!」
「どこかに落としたの?」
「わか、らない。……だけど、あれは私の大切なッ!!」
くしゃりと顔が歪む。
どれだけ大切なのかは、その顔を見れば一目瞭然。
絵本をその場に置いて、息を切らしながら教室中を探し始めた。
「う、うそ……な、ない……」
隅から隅まで探したが、それらしきものは見つからず。
ひっく、ひっくと今にも泣きそうなのを堪える有紗を見て、焦りを覚えた俺は頭をフル回転させて在りかを推測する。
こういうのは、有紗の行動パターンを遡っていくのがいい。
あいにく、俺は有紗と今日一日ずっと一緒にいたので正確に記憶している。
「あっ。そういえば、今日外で遊んだよね!」
「う、うん」
ともあれば、外に落ちている可能性が高い。というか、そうであってくれ!
「じゃあ僕は、外に探しに行ってくるよ! だが有紗は待ってて!」
「えっ? で、でも外は雨が……」
「そんなの関係ないよ! 僕は雨なんて気にしないから!」
捨て台詞を残して、外に飛び出す。
雨脚が先ほどより強くなっていて、雲居から降り注ぐ雫が、無力感を覚えた心にまで突き刺さっているような気がした。
俺は必死に、小さな体で探した。
遊具の裏も、砂場で砂を掘り起こして探しもした。
だけど、有紗にあんなにも似合っていた花柄のシュシュはどこにもなくて、焦燥感が募るばかり。
「な、なんでないんだ!」
有紗を分かってあげることもできないし、こんな小さな世界の中で、シュシュ一つすらも見つけられない。
俺は今まで何をやってきたんだ、という後悔が、余計に俺を駆り立てた。
心が体を追い越して、足がもつれ水たまりに倒れる。
「……ダサいな、俺」
じんわりと不快感が体を覆いつくす。
降りやまぬ雨に打たれ、俺は立ち上がることができなかった。
淡々と降り注ぐ雨が、一定のリズムを刻んでいる。
ザク、ザクと踏みしめる足音が聞こえて、俺の頭上に傘が開かれた。
「風邪引いちゃう、から」
そうとだけ言う有紗。
「……ごめんね」
あんなに威勢よく飛び出して、このざまだ。やはり何も変わっちゃいないんだ。
「ううん。その、ありがとう」
「……ごめん」
「謝らなくていい、から。新しいの買うし」
「で、でも……! あれはお父さんがくれた、大事なものなんでしょ?」
「……いい、大丈夫、だから」
ぎこちない笑みを浮かべて、有紗はそう言った。
有紗がそこまで言うのだったら、これ以上俺がしてあげれそうなことはない。
ただ、男のプライドとして、悔しさが募った。
「そっか」
「手、洗わないと。バイ菌さん入るよ」
「うん」
有紗と二人で、手洗い場に向かう。
ぽつりぽつりと降る雨を、二人入っても余るほどに大きな傘が弾く。
有紗は何も言葉を発しないで、小さな口をキュッと結んでいた。
ごめんね、有紗。
何かほかにできることをやろうと思った、その矢先――
「あ」
洗い場の近くの花壇の、水滴をはじいて咲く綺麗な花の中に。
その花たちに負けないくらいに彩り豊かなシュシュが、雨の中で輝いていた。
俺は水たまりを蹴って、シュシュを取り上げ、掲げる。
「有紗ちゃん! シュシュあったよ!」
「わ、私のシュシュ……‼」
傘をその場に置いて、有紗ちゃんが満面の笑みを浮かべた。
「やった! こんなところにあった‼」
「すごい……! すごいよ伊織くん!」
「よっしゃー‼」
笑い転げそうになるくらいに笑う。
そんな、精神年齢三十歳越えとは思えないほどに子供じみた俺を、ぼーっと何かに取りつかれたように見る。
「ど、どうしたの?」
「はっ! い、いや、べ、別に!」
そのいかにもツンデレな反応。
はは~ん、さては俺にきゅんときてしまったなぁ?
「……有紗ちゃんも、可愛いとこあるんだね」
「う、うるさい!」
いつもの棘が、いつも以上に心地いい。
あれ? もしかして俺、M体質に目覚めちゃった? これは有紗にぜひとも責任を取っていただきたい! 将来を見込んで!
タジタジする有紗の手を取って、シュシュを握らせる。
「はい。今度からは無くさないようにね?」
「……う、うん」
そういえば、雨が降っていない。
空を見上げれば、今までの雲がすっかり消えていて、澄み渡った青空が顔を覗かせていた。
「晴れたね」
「そ、そうだね」
「シュシュが見つかったことを、神様がおめでとうって言ってるのかも」
なんてロマンチックなことを言ってみたりするけど、有紗は俯いて表情が見えない。
いつも通り、どうせ無反応なんだろうな。まぁ、慣れてるけど。
「あの、さ」
「ん?」
「そ、その……」
小さな手に握られたシュシュをキュッと握って、もう一つの手を胸の前に置き、深呼吸。
そして至って自然な、それも有紗の全てが込められたような笑みで、
「ありがとう、伊織くん」
神はどうやら有紗の味方のようで。
雨上がりの中、永い眠りから目覚めた太陽の光で輝いていて。
それはもう、可愛いの一言に尽きる有紗で。
俺はやはり、有紗がいいと思った。
「ねぇ、有紗ちゃん」
「な、何」
「こんなときに言うのも、ずるいとは思うんだけど」
俺に有紗の悲しみを、全部受け止めて、その上で満たしてあげる事なんて、今はできない。
だけど、どんなときでも傍においてくれるならそばに居たいし、悲しみの一部を背負ってあげたい。あわよくば、クスッと笑わせたい。
今の俺に何の力もないけれど。
いつかは有紗にとってそんな存在でありたいという、そんな願いを込めながら、
「僕と、友達にならない?」
即答はせず、目を何度もパチパチさせ、口を開いたり閉じたりして、頬を真っ赤に染めて、
「…………考えて、おく」
決してイェスではないけれど、有紗らしいと思いながら、俺は満面の笑みを返すのだった。
――そして、月日は流れ。
俺たちは、高校生になった。