雨
冷たい冬の雨が、静かに降り続いている。
寝ぼけ眼で見た朝の天気予報では、ここ数年ですっかり老けてしまった白髪まじりのオジサンが、夕方には、雨は雪へと変わる可能性が高いと嬉しそうに笑っていた。
無理もない。
冬の降雨量が少ない本州の太平洋側に位置する我が街では、雪なんてものは滅多にお目にかかれるものではないのだ。
せいぜい一年に二度か三度。カウントするために五本の指を折ることが出来れば多いほうで、全く降らない年も別段珍しくはない。
どんなに寒いと感じても、大抵は今日のような冷たい雨が降るだけだ。
「雪、降るかな」
僕は独りごちた。白い吐息が中空に消える。
机の上の缶コーヒーは、すっかり冷めてしまっているようだ。
窓の桟に肘をつき、ぼんやりと外を見やると、見慣れたキャンパスはすっかり闇に包まれていた。
学生の姿はない。
実際、この教室にも僕以外に学生の姿はなく、寂寞とした張り詰めた空気が空間を支配しているかのようだった。
僅かに開けた窓から、雨が地を叩く音だけが聴こえてくる。
雪を楽しみにしている筈の僕は、もう少しだけ、この雨音に耳を傾けていたいと思っている自分に気がついた。
***
申し訳なさそうにドアが開かれ、教室に入ってきた小柄な影は、消え入りそうな声で謝罪の言葉を述べた。
時刻は、約束の六時を少し過ぎている。
だが、いつもの彼女とは違う「硬さ」は、約束の時間を過ぎてしまったことと言うより、これから何が起こるのかをある程度予測出来てしまっていることに起因しているのだろう。
わかっている。わかっているのだ。そんなことは百も承知だ。
覚悟を決める。僕は椅子から立ち上がり、よぉ、だなんて間の抜けた挨拶をする。
静寂が支配する張り詰めた空間は、いつしか暗い教室に戻っていた。
雨音が聴こえる。
闇に包まれた教室では、俯いた彼女の表情を読み取ることは出来ない。
心臓が早鐘を打つ。
頭の中で幾度も幾度も反芻した台詞は、意識の彼方に飛び去ってしまった。
何か言わなければと焦れば焦るほど、言葉はするすると抜け落ちて行く。
「あの、さ。えと。んー。もうわかるだろ?お、俺が何を言いたいか」
頷いた…のだろうか。
彼女の前髪が僅かに揺れた気がした。
「あの……。えと…」
白い吐息が、断続的に吐き出される。
息を吸う。吐く。
頭が冷たい空気で満たされる。
単純なことだ。
そう。僕は君が―
「好き…です」
大好きなのだ。
ゆっくりと、君は面を起こす。だが、大きな瞳は僕を捉えてはいなかった。
恥ずかしいのか、それとも―。
最悪の想像をかき消すかのように、僕は俯く。
永遠にも思える刹那。
何度か口ごもったあと、君は僕に、感謝の気持ちを伝えてくれた。
黙って僕がそれを聴いている間、一度も瞳は僕を捉えてはくれなかった。
雨音は、いつしか聴こえなくなっていた。
***
舞い散る雪を見て、僕は苦笑した。
クリスマスまで、後一週間。街に散りばめられた宝石のようなイルミネーションが滲んで見える。
「雪の野郎、あと一週間降るのを我慢すりゃあ、ホワイトクリスマスだったのになあ。それなら、皆喜んだろうよ」
視界が滲んだ。
溜め息は、白い水蒸気となり夜空に溶けて行く。
寒い。迚も寒い。
当然だ。今日は雪が街を抱く、年に数度の特別な夜。
「それが今日だなんて、ついてねえ」
僕は分厚い雲が覆う天空を見上げ、
「雪じゃあ、泣いてんの誤魔化せねえんだよ」
精一杯強がってやった。
雪は、降り続いていた。
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