瓢箪の巫女 ~ 峠の茶屋
茶屋の椅子に腰かけて寛いでいた、旅の巫女に声をかけた。
「ひ孫が生まれてね」
「ほう、それはめでたい」
麓の村に住む息子夫婦に孫夫婦、その間に生まれた初めてのひ孫。年寄りの身内話を巫女は笑顔で聞いてくれ、つい長話ししてしまった。
「この茶屋はいつから?」
「私が十二の時からだね」
父が始めた峠の茶屋。隣国へ続く街道でもあり、毎日多くの人が行き来した。
峠を登る人にも超えて来た人にも、一時の休息とうまい茶を。憩いの場として始めた茶屋は多くの人で賑わった。父亡き後は私が継ぎ、心優しい夫とともに五十年の時を刻んだ。
「でも、戦が始まって、ここを通る人もいなくなったよ」
街道はすっかり寂れた。賑わいを取り戻すには多くの努力が必要だろう。
「ひ孫が大きくなった時に、再開できればいいけどねえ」
昨日まで仲良く酒を酌み交わしていた者が、憎みあい殺しあう。戦はそんな世界を招いてしまう。戦はいけない、なぜ権力者は戦をするのか。
「ほんにな」
巫女が瓢箪の蓋を開けた。器に注がれたのは澄んだ酒。まろやかで心地よい香りだった。
「ひ孫の誕生に、妾からのお祝いじゃ」
「いいのかい?」
「まあ、お主には必要なさそうじゃがな」
巫女の言葉に首を傾げつつ、ありがたく頂戴した。
「心鎮まる酒だねえ」
「そなたのひ孫が茶屋を再開できるよう、祈っておるよ」
「ありがとう。その時はぜひ寄ってくださいな」
◇ ◇ ◇
小屋の前に人影を認め警戒した。それが今朝別れた旅の巫女と気づき、構えた鎌を籠にしまった。
「おや、こんなところへ何用かね?」
「ここは母がやっていた茶屋でね」
落武者が近隣を荒らしていると聞き見に来たが、案の定、小屋は荒らされていた。
「困ったものじゃな」
「あんたも気をつけてな。峠を越えたら戦さ場だぞ」
小屋の裏に回りホッとした。母の墓は荒らされておらず、野の花と水が入った器が供えられていた。
「あんたかね?」
うなずいた巫女に礼を言い、母の墓に手を合わせた。
茶屋と共に生きた母。死後も街道を行く人を見守りたいからと、ここに墓をと望んだ。戦が起こり、人が消え、茶屋が閉じられた今、あの世で何を思っているだろう。
「いつかひ孫が茶屋を再開できる世に、と祈っておったよ」
驚いて振り向くと、行李を背に巫女が立ち去るところだった。
「その時を、妾も楽しみにしておるよ」
巫女が瓢箪を軽く振る。
りん、と響く鈴の音。
その軽やかな音と共に、巫女は峠を越え戦場へと消えて行った。