16.『条件』
読む自己。
僕は目を開ける。
すると、暗い部屋の中でも彼女に覗き込まれてると気づいて慌てて頭を上げた。
「いっっったーい!?」
ゴチンとぶつかってふたりで頭を押さえる。
でも、どうしてこんなこと、まさかキスしようとしていたわけではないだろうし……。
「ご、ごめんっ、だけど起きて目の前に君の顔があったら驚くよ」
「はっ、そうだ! トイレ行きたい、あ……」
「ちょっ、なにそのなんかやっちまったー! みたいな声はっ」
「ちょ、っと、……漏れちゃった」
「は、早く行ってきなよ!」
「叫ばれたら、うぅ……」
う、嘘だろ、……これは決して雨の音というわけではない。
なにより彼女が動かないことがその“証明”だった。
「……陽菜乃、どうして手を離して行かなかったの?」
「だ、だって、ギュッと握られてたから……」
「そっか。電気は……駄目だよね、拭くものってあるかな?」
「えっ!? わ、私が……拭くから」
「でもこれは僕のせいなんでしょ? ……だったら、僕が拭くよ」
掛けてくれていた毛布でいいということなので、彼女が移動した後の床を無心(のつもり)で拭いていく。……生暖かさが自分にとって毒だった。やっぱりどんなプレイなんだろうと考えてないとやっていられない。
「ま、まだ消したままにしてて、……脱いでシャワー浴びるから」
「うん……」
どちらにしても意識してしまいそうなので電気なんて点けられそうになかった。
やっちまったぁ、手を握ってなんて寝なければ良かったっ。
そりゃ体調悪いときに寝たら長時間になってしまうわけで、そのこと考えてなかった自分は馬鹿だ。
というか、僕って普段からそんな一生懸命手を握っているのだろうか。離せないくらい? いや、寝ているなら尚更のこと簡単に振りほどけそうなものだが……。
とにかく、僕にとっても彼女にとっても、明日が休日で本当に良かったと思う。
……体感的に数十分経過して、彼女が出てきた。電気が点けられ彼女の姿がはっきり見えるように。
「きゃっ!?」
「ちょっ、自分から点けたんだよっ?」
替えの服を近くに持っていってなかったとしても、自分の部屋なら暗くても分かりそうなものだが。
「あ、ナコちゃん濡れてる……」
「きゃー! な、ナコごめんっ」
「あ、ばっ――」
そのまま抱いたらお風呂に入った意味ないし、なにより目の前で裸体を晒されても困る。
「……ナコちゃんは僕が洗ってくるから、お風呂入らせてもらっていいかな?」
「あ、ごめん!? ……もぅ、だめだめだなぁ私……」
「……とにかく拭いて服着てね」
幸い僕の濡れている場所は手だけなので制服を着ればいいだろう。
ご主人さまから濡れたナコちゃんを預かって洗面所兼お風呂場に入らせてもらう。
「ナコちゃんごめんね、僕のせいで」
「にゃ?」
まずは服を全部脱いでナコちゃんから洗うことにした。
勝手にシャンプーみたいなのを拝借し、シャクシャクと泡立てていく。
お湯慣れしているのか逃げることもせず、寧ろ心地良さそうにしていて僕は少し驚く。
勢いを弱めてシャワーで流し、置いてくれてあったタオルでシマシマ体毛を拭いていった。
「どう?」
「にゃー」
「それじゃあ先に出ててくれる?」
扉を開けてナコちゃんを出す――までは良かったんだが、
「あっ、こ、これはちがっ!?」
開けたら目の前に彼女がいた。
「……とりあえずナコちゃん拭き漏れがあったら拭いておいてくれる?」
「う、うん……ごめん」
静かに扉を閉めて浴槽の縁に突っ伏す。
なんだこれ! と、思わずにはいられなかった。
数十分後、僕らはお互いに土下座をしていた。
ごめんなさいと謝っていないと落ち着くことができないのだろう。
「陽菜乃ごめん」
「こっちこそごめん……」
「っと、いま何時かな?」
「えっと、一九時を過ぎたくらいだね」
自分のスマホで確認すればいいとは分かってたが、と、とりあえず彼女にやめてほしかったから丁度良かった。だってこの子は悪くない、悪いのはいつだって自分だから。
「今日はやっぱり帰ろうかな」
「い、いいよ! ……帰られるほうが恥ずかしいというか……」
「あーいや、和佳姉のご飯が食べたいなって……」
「分かる、和佳さんのご飯食べたい……」
「ねえ、陽菜乃さえ良ければ家来る?」
「え……」
ここにいると事ある毎に思い出してしてしまいそうだし、和佳と一緒にいたいのも事実だ。
だが、騙されてるだけでもいいから、陽菜乃とも一緒にいたかったのだ。
「陽菜乃といたいんだよ。また騙してもいいよ、あのときみたいに一緒にいられればそれでいいから」
「……し、失恋中だからって口説かれても……」
「……僕にとって君は誰とも付き合ってなくて、乗りたかったアトラクションに乗れなくて怒って絡んできた女の子だよ。よく分からない女の子で照れなくて、だけど可愛くて素敵な女の子だから。可愛い子といたいと思うのは、おかしなことかな?」
「おかしく、ない……と思う」
「うん。だからさ、いまから家に行こうよ、ご飯も食べられるしさ」
「わ、わかった」
「ありがとう、優しいね君はやっぱり」
よりふわふわになったナコちゃんの体毛を撫でてから玄関へと向かう。
「行こ」
「うん」
ナコちゃんごめんよ。でも、僕も彼女といられないと寂しいんだ、我慢しておくれ。
「和佳さん、いつもありがとうございます」
「陽菜乃ちゃん、悠君を使って時間つぶしをしてたって本当?」
和佳作の美味しいご飯を食べ終わってゆっくりしていたときだった。
なにも今日じゃなくていいと思いつつもなにも言えなくて。
「はい……和佳さんの言うとおりです」
「……だめなことだって、分からなかった?」
「やっている最中は楽しくて……はい」
「楽しいって悠君を騙して、悠君が可愛いとか言ってくれたから?」
「…………」
無言は肯定の証だ。でも、浅野君だって「可愛い」くらいは言いそうだけどな。
「ちゃんとご飯を食べていないって聞いたし、私が作ったご飯を美味しいと食べてくれるのは嬉しいけどさ、できることならあなたに悠君には近づいてほしくないっ」
「ちょっと待ってよ和佳姉、僕が頼んだんだよ、彼女といられないと寂しいんだ」
「だからって騙してきたような子といなくてもいいでしょ?」
「……じ、自己責任だから! それでまた傷つくことになっても悪いのは僕でしょ?」
泣いたのは彼女達の泣き顔を見たときだけだ。
なんでもそう、後悔する可能性も高いが、だからって最初から切り捨てたらなにも拾えない。
だからあとは自分の意思と、彼女がいたいかどうかだけでしかなくて。
「ごめん和佳姉、ここで陽菜乃がいたくないって言わない限りは、変えるつもりはないよ」
心配から言ってくれているのは分かってる。それでも、僕がいいって言っていることに「駄目」だと突きつけることはできない。
お金がかかることとか、これを選んだら詰みというわけではないのなら、基本的に権利は自分にあるのだから。
「……陽菜乃ちゃん、どうなの?」
「……悠がいいなら……償っていきたいと、思います」
「陽菜乃、どうせいてくれるなら普通の友達としていてよ。いいんだよ、そんなこと考えなくてさ」
償うとかそんなのはいらないし、仮になにかをされても過去が変わるわけじゃない。
なにかをしたい、してくれるということなら、ただ近くにいて普通に会話してくれればいいのだ。
多くは望まない、カップルとかになれなくたってべつにいいのから。
「わ、和佳さん、いいですかっ!?」
「……悠君がいいなら仕方ないよ」
「あ、ありがとうございます!」
「というか悠君、お姉ちゃんって呼んでよ」
「お姉ちゃん、ありがとね」
「うん、どういたしましてっ」
さて、お風呂にも入ったしそろそろ部屋に帰ろうか。
体調が完全に治ったとは思ってないので、今日は早く寝たほうがいい気がしたのだ。
和佳に彼女を頼んで自室へ移動。
「は~自分のベットってどうしてこんなに落ち着くんだろ~」
匂い、柔らかさ、感触、なんてことはない普通のベットでも高級な物に感じる。
ふとスマホを確認してみると、どうやらまた山本さんから電話が掛かってきていたようだった。
「あ、ごめんね、また出れなくて」
「だ、大丈夫なの?」
「あ、体調が悪いこと分かってたんだ。大丈夫だよ、結構寝たからさ」
陽菜乃と違って演技が下手みたいだな僕は。
陽菜乃が部屋に入ってきてしまったので、口パクで「山本さんだよ」と伝えておく。
「それでそれだけ?」
「あ……と、いまからそっちに行ってもいい?」
「あーそれはごめん、もうお風呂入っちゃったからさ」
「な、なら明日でもいいから!」
「それなら、うん、大丈夫だよ。えと、そろそろいいかな?」
「うん……おやすみっ」
「おやすみ。ありがとね、じゃあね!」
通話を切る。
僕が入り口に固まったままの彼女に笑いかけると――
「……ね、結月と仲良いの?」
なんて聞いてきたので「普通だよ」と答えておいた。
山本さんが僕に興味を抱いた理由ってなんだろうか。
「なんの話だったの?」
「いまから来たいって言ってきてさ、君がいるから今日は無理って言えないからいまみたいな言い訳をさせてもらったんだ。あと、なんか明日に来るみたいだから、できればそれまでに帰ってくれると助かるかな。変に誤解されても困るからさ」
「……いい」
「え?」
「……日曜日まで泊まってく」
「だ、駄目だよ、ナコちゃんどうするの?」
ナコちゃんと交わした約束は、今日及び明日の朝までという条件だったんだ。
ご主人さまがいないと寂しいのは僕も分かっているし、気軽に許可なんてだせるわけがない。
「つ、連れてくればいいでしょっ。早朝に私がこの家を出てナコを連れてくれば、ただ単純に遊びに来ただけという印象になると思うけど」
「いや、山本さんって妙に鋭いところがあるから怪しまれるよ。大体、彼女にとっていまの僕らは喧嘩中みたいなものだからね。しかも僕が行くならともかく、君が来るのはおかしいと感じるはずだけど」
「……なにさっ、そんなに結月に気に入られたいのっ!?」
「そうじゃなくて……」
山本さんはチクチクと刺してきそうだから楽観視できないんだ。
彼女が泊まっていることがバレたら……。
「というかさ陽菜乃、君、失恋中って言ってたけど、全然傷ついてなさそうだね」
「……中学三年生の夏に喧嘩してから、実は全然一緒にいなかったんだよ。もしかしたら向こうにとってはとっくに切られていたのかもしれない。だから普通っていうか……」
「待って、中学三年生のときから付き合ってるって言ってたのに、全然いなかったの?」
「うん、なんか恋人なのかどうかも曖昧なままでね」
「ちなみに喧嘩した原因は?」
「……匠馬が他の女の子とばっかりいたから」
「嘘じゃないよね?」
「嘘じゃないっ、本当にそうだったの! 匠馬に直接聞いてくれてもいいよっ?」
こう言うということは信じていいのかもしれない。
それでも月曜日になったら聞いてみることにしよう。
「待って、つまらないから僕を騙したんだよね? それっておかしくない? 夏頃から一緒にいなくて、退屈で仕方なかった、それまでは分かるんだけど、どうしてそこで協力して騙そうとなんてするのかな」
「……最低な話だけど、もう切れかけてたから新しい子に移ろうとしたの。入学式の日から君が優しいって分かってたし、だからああいう変な言い方して絡んで……」
「だったら誕生日の前日にネタバラシしてくれなければ良かったのに」
「形式上では付き合ってたし、騙してたのも本当のことだったから……」
「ふーん、ということはさ、もしかしてきちんと振ったのって陽菜乃?」
「うん……匠馬は「そうか」としか言わなかったよ」
浅野君にしっかり聞いてみないと分からないな。
でも、
「なるほどなあ……まあ分かってスッキリしたし、もう終わったことはどうでもいいや」
過去に抱きついていようが、キスしていようが、やることやっていようが、構わない。
そう、どうでもいい。これからの行動を改めてくれればそれでいいのだ。
「え」
「これから変えてほしい、これだけが僕の願いだよ。べつに僕だけを見ろなんて言うつもりはない、良くない嘘をついたりとか誰かを騙したりとかしなければ、それで十分だ」
「悠……」
「だからあれだよ、君がいたいかどうかだよ後は。僕は君にいてほしいと思うけど、君がいたくない、無理、条件は飲めないというなら、それはもう仕方ない話だから」
「ううん、守るっ! だからいさせてほしいっ」
「うん、ありがとう。それじゃあそろそろ寝るから、和佳姉の部屋に帰ってくれる?」
「分かった、おやすみなさい!」
「おやすみ、陽菜乃」
ま、彼女が笑ってくれているのなら、また騙されることになったとしても構わなかった。
こんな人いるだろうか。
あ、その子を獲得したいなら真っ直ぐにいまだけを見られるのかな?




