ハッピーエンドに願いを
「おーい、大願〜?もう学校の時間よ〜!」
部屋の外から母ちゃんの呼ぶ声がする。
「わかってるよ!髪セットしてたー!ん、じゃ、
いってきまーす!」
そして、いつもの登校のルートをいつも通りに
歩いていると、赤信号に小さな子供が走っていくのが
目に入ってきた。そして、トラックに轢かれそうな
ところで願った。
子供転んで、トラックの真下をすり抜けて欲しい!
小さな子供は転んで、トラックの下にぎりぎり
滑り込んだ。
と同時に、ドンという音が響いた。
「は?何で?」
「ミィちゃん!」
どうやら、子供は猫を追いかけて、
走っていたらしい。
子供は助かったが、猫はトラックに轢かれて
死んでしまったようだ。
「ミィちゃん!ミィちゃん!」
蘇らせることもできるが、そこまでしたら、
限りがなくなる。本来であれば、猫も子供も
死んでいたのに、俺の願いで子供は助かった。
だけど、その本来よりも良い結果は
果たしてハッピーエンドなのか。それは否だ。
ハッピーエンドとは、つまるところ、
誰もが笑える大団円、そんな有り得ない結末だ。
ならば、神が言うところの幸福に終わった場合
とは、何なのか。
それを決めるのは神である。
つまり、神から見た大団円的な結末。
納得がいく実験結果なのではないのか。
そうして、実験を終えた後、この実験のために
創った世界は存続しているのだろうか。
俺はそんなに楽観的に考えることはできない。
そして、実験対象の俺が何度もタイムリープしても
許されているのは、毎回異なる結果を出すからか
タイムリープ自体珍しいからかあるいは両方か
それ以外にも、気になることがある。
選別と言っていたが、その内容が不明なことだ。
どんな選別なのかということを神の立場になって
考えると、俺は実験対象には、頭が良くも悪くも
ないことや、いざという時に動けないことが
対象への条件として上がる。俺も当てはまるし、
これを更に、細かくしていったら、
俺が残ったのだろう。
ふむ、あの時について思い出せ。
世界が実験のために創られたと言うと、凹んで、
実験がグダると直前に神が言っているのに、なぜ、
俺は凹まないことが
選別の基準の一つと判断したんだ?
まさか、願いの間では、思考が妨害されていたのでは?
されたとしても、その目的は?
ああ、そうか。あそこで前のタイムリープのことや
一つ一つの神の言葉から世界が終わることを察され
たくなかったからか。
知ってしまえば、当然実験の妨害をしようと
画策するだろうからな。
じゃあ、俺も実験を妨害することにしようか。