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第八話




「ジュリウスさん。見て下さい」


 呼ばれて海貴也の隣に腰掛けタブレットを覗き込むと、そこには数多の星がひしめき合っていた。海貴也が画面が明る過ぎないか聞いても、ジュリウスはその視線を動かさない。


「コレが、天の川デスか?」

「織姫と彦星は今頃、この川に掛けられた橋を渡って会っているんですよ」

「キレイデス……」


 ターコイズブルーから深いインディゴブルーのグラデーションの中に、白い絵の具を散りばめたように輝く小さな星々。そしてその真ん中に、緑や黄色や赤が淡く混ざり合った、宝石箱のような美しい星の川が流れている。

 その大きな川を隔ててひときわ輝く二つの星が、織姫の星・こと座のベガと、彦星の星・わし座のアルタイルだ。この人間が到底踏み入れられない世界で今、二人は再会して互いの想いを確かめ合っているのだろう。

 無機質の中の遠い遠い世界に夢中になるジュリウスは、瞬きも忘れてじっと見つめる。好奇心旺盛な子供のように、まるで画面の中の宇宙に飛び込んで旅をしているように夢中になる。

 ところが海貴也は、写真に感動している場合ではなかった。


〈ち、近い……〉


 隣のジュリウスとの距離が過去最高に近くなっていることに気を取られ、身体が強張る。顔まで至近距離にあるから、心臓の音が少し騒がしい。息を吐く音まで意識してしまう。

 チラリと横を見ると、心を奪われたジュリウスは画面に釘付けになっている。出会った頃、寂しそうに見えた褐色の瞳は、そこにも星が住んでいるかのように輝いている。

 ふと、彼からシャンプーの匂いがした。普段香水を付けないその身体からふんわりと香る匂いに、海貴也は更にドキドキしてしまう。


「海貴也サンは、天の川見たことあるんデスか?」


 写真に釘付けになっていた顔を急に向けられ、見蕩みとれてしまっていた海貴也は慌てて顔を逸らした。


「いいえ。オレもないです」


 咄嗟に画面に視線を落として、「キレイですよね、天の川」とか言って事も無げに装う。焦ったところで、ジュリウスは海貴也のドギマギには気付いていない。

 すると、ドキマギを紛らわすかのように「そ、そうだ」と海貴也はあることを思い付いた。


「願い事を書きませんか?」

「願い事?」

「七夕の時には、短冊っていう細長い紙に願い事を書いて、笹に飾る風習があるんです」

「ソレは知らなかったデス」

「折角だし、書きましょうよ」


 思い付きで短冊は用意してないので、何時も仕事で使っている手帳のメモページで代用することにした。リングから外して、ボールペンと一緒にジュリウスに一枚渡す。


「願い事ハ、何でもいいんデスか?」

「何でもいいですよ。一番叶えたいことを書いて下さい」

〈一番叶えたいコト……〉


 海貴也もメモ用紙とボールペンを用意して、何を書こうか考えた。

 短冊に願い事を書くなんて、幼稚園以来だ。園の七夕では、折り紙で作った七夕飾りが飾り付けられた笹に水色やピンク色の画用紙の短冊を吊り下げて、それから自分たちで作った紙のお星様を頭に被って童謡の『七夕さま』を振り付きで歌った。

 あの頃の願い事は、『お母さんとお父さんがずっと元気でいますように』だった。幼稚園児らしい純粋な願い事だ。その願い事のおかげか、両親は大きな病気や怪我は今までにしたことがない。

 そんな昔のことを思い出しながら、今の願い事を真剣に簡易短冊に書いた。


「海貴也サンは、何て書いたんデスか?」

「オレですか?えっと……。『一人前のグラフィックデザイナーになれますように』です。ジュリウスさんは、何て書いたんですか?」

「私ハ……秘密デス」


 ジュリウスは二つに折ったメモ用紙を大事そうに両手で持って、明かそうとしなかった。


「教えてくれないんですか?オレは言ったのに」

「何時か叶ったら教えマス」


「秘密」と言われ、色々と隠されていたことを回想した海貴也は少しだけ寂しく思った。けれど穏やかに緩む表情は、前向きな望みだと語る。ならばその願いが叶う日が何時か来るようにと、心の中で祈った。

 残念ながら笹はないので、短冊は各々の部屋で飾ることにした。

 そのあとは少し他愛ない話をして、ジュリウスがベッドに入ると海貴也は床に座ってタブレットで仕事関係の調べものを始めた。

 気付けば十五分くらい集中していて、ジュリウスを放っておいてしまった海貴也はベッドに横になった彼に声を掛けた。


「ジュリウスさん。寝ましたか?」


 返事がないので覗き込むと、安眠薬のおかげですっかり眠りに就いていた。まだ雨も降っていないから、暫くはぐっすり眠れることだろう。

 穏やかなジュリウスの寝顔を見る海貴也は、同じように見届けたあの日のことを思い返した。


〈あの時は、ただただ友達になれたのが嬉しかった。今は小さなことでも頼ってもらえて、凄く嬉しい。これからもっと頼ってもらって、もっとジュリウスさんに寄り添えたらいいな……〉


 今はまだ片想い。だけど、すぐに気持ちに応えてほしいとは思っていない。それよりも今は、「友達」から「親友」くらいの距離になれる方が海貴也には喜びだった。

 ジュリウスが自分を頼ってくれるのは心を許してくれているからで、それが恋とは違う好意だとしても、今のこの繋がりが何よりも大切だから。


「ジュリウスさんはオレのこと、どう思ってますか?」


 顔に掛かった前髪に、手を伸ばしかける。その時ジュリウスの身体が動き、反射的に手を引っ込めた。でも、ただ寝返りを打っただけで、ジュリウスは眠り続ける。

 海貴也は、一度止まった息を静かに吐き出した。


「……それじゃあオレ、帰りますね。お休みなさい」


 メモを書き残し、照明を消してそっと部屋を出て、玄関を合鍵で施錠しジュリウスの家を後にした。

 自宅に戻ると、デスクの上のコルクボードに願い事を書いたメモ短冊を貼った。

 すると、スマホが新着のメッセージを知らせる。亨からだ。


 「今日でかい仕事が一つ終わった。皆で打ち上げしたぞ。お前が仲良かった永山も一緒に」

 「お疲れ様です。オレは今帰って来ました」


 返信すると、すぐに新しいメッセージが届く。


 「遅かったんだな。残業か?」

 「いいえ。残業もあったんですけど、帰りに友達の所に寄ったので」

 「友達できたのか。馴染めてないかと思った。良かったな」

 「良い人に出会えたので」

 「良い人か」「そうだ。来週末にまたそっちに行くんだが、時間あったら飯でもどうだ?」


「………」


 「二人でですか?」

 「そうだけど」「嫌ならやめとく」


 海貴也は躊躇った。

 何でもない、ただの食事の誘いだ。元上司で、元交際相手で、今はただの知り合いからの。


「───…」


 少し考えて、「わかりました。大丈夫です」と送った。すると、店をピックアップしてくれと頼まれた。店は、会社の人たちと打ち上げで行く決まった飲食店くらいしか知らない。新たに探しておく必要がありそうだった。

 ベッドに横になると、深く息を吐いた。


〈……オレ、矛盾してるよな〉


 亨と顔を合わせたくないと思いながら、拒みきれない自分がいる。

 退社と引っ越しという一大決心をしておきながら、まるで未練がましく思っているようだ。だが、決してそんなことはない。

 ただ。心の造形が、少しだけ波に削られている。

 自分の気持ちの在処を確信できている確率は、八割ほど。あとの二割は数日前を最後に姿を消し、行方不明になっている。だからほんの少しだけ、不安になっていた。

 けれど、意思と行動の矛盾は、行方がわからないその二割が戻って来れば解消できる。心のベクトルが変わっていないのだから、削られ消えた分はまた作れば元に戻るのだ。

 亨に会うのは次を最後にしよう。海貴也は心の形を守る為に、そう決めた。


『この先もずっと、誰よりも側でジュリウスさんを支えられますように』

 海貴也の本当の願いが、インクが切れかけたボールペンで書いた所為で所々掠れていた。




「We are petals of the diagonals」②




 引きこもるばかりのケビンの日常が、ほんの少し変わり始めた。まず、一日を過ごす気分が一段階上がった。そして、夜が早く来てほしいと思うようになった。

 夕食の時間になると、家族四人でテーブルを囲む。今晩は、スパゲッティーやミートボールやサラダが並んでいる。


「ケビン。野菜もちゃんと食べるんだぞ」

「はーい」


 父親に注意されると、ケビンは茶色ばかりの白い皿に緑色を少しだけ乗せた。でも食べるのは後回しにして、スパゲッティーをフォークに絡めた。

 取ったサラダを食べないケビンに、父親はまた話し掛ける。


「ケビン。近頃、機嫌がいいな。何かいいことでもあったのか?」

「まぁね」

「そうなの。新しいお友達ができたのよね」


 笑みをこぼしながら母親が理由を言うと、ケビンも嬉しそうに頷いた。次男の性格をずっと気に病んでいた父親は「へぇ」と驚くが、対して長男の反応は喜びと驚きのどちらでもなかった。


「友達?本当なの母さん?だってケビンは、学校に行ってないじゃないか」

「ネットで知り合ったメール友達よ。二歳年上の女の子なんですって」

「そうか。だからここ数日、表情が違ったんだな。どんな子なんだ?」

「明るくて、とってもいい子だよ。写真見せてもらったけど、かわいかった」


 ケビンの表情がまた綻んだ。

 ケビンの心持ちは、マリーと出会う前と少し変わった。ケビン自身もそれに気付いていて、友達がいることは一人で遊ぶよりも楽しいものなんだと知れた。まだ電話で話すくらいだが、初めての友達と言えるマリーは、ケビンに幸せの種を運んで来てくれたのだ。


「お姉さんなら、頼りになりそうだな。良かったなケビン。新しい友達ができて」


 父親は、引きこもっていた息子に友達ができたことを素直に喜ぶが、兄はまだ喜びを見せない。


「父さん。ケビンが新しい友達作ったのはいいけど、ずっと引きこもってるんだよ?いい加減、学校に行かせた方がいいんじゃないかな」


 兄は、不登校を続けるケビンを甘やかしていると言及する。しかし怒っているのではなく、弟のこの先を危惧してのことだ。勿論、友達ができたことを本当は嬉しく思っている。


「アレックスが言うこともわかるけど、今はこれでいいのよ」

「どうして?勉強が遅れるだけじゃないか」

「そうね。私たちも勉強は大事だと思うけど、ケビンにはもっと他に大事にしなきゃならないことがあるの」


 人にはそれぞれ優先することがあり、それが何なのかは個々で違う。小学生のケビンには、これから習っていく勉強の基礎を頑張ってもらいたい、というのが家族の本音かもしれない。

 しかし、今それは強いるべきことではない。勉強よりも、まだ十年近く先の進学よりも、目の前に解かなければならない課題がある。


「今ケビンには、私たち家族以外で心を許せる相手が必要なんだ。今はその友達とコミュニケーションを取って、ケビンには自信をつけてもらいたいんだよ」

「心配する気持ちもわかるけど、焦ったって仕方がないの。今までのケビンを見てきて、アレックスもわかるでしょ?」


 兄は母親に諭され、宥めるように父親に肩を叩かれた。

 彼はケビンとは性格が違うから、コミュニケーションが苦手だと言う意味がよくわからなかった。家族とは普通に話すから、余計に不可解だった。

 けれど、ケビンが一年生になって暫くして「もう行きたくない」と母親に泣いてすがっていたことは、よく覚えている。近所の子たちに溶け込んだところを見たことがなかったことも、思い出せた。

 彼は、隣の弟の頭を撫でる。


「ごめん。そうだよね。僕はケビンが早く元気になって、学校に行ってほしかっただけなんだ」

「いいよ、お兄ちゃん。心配してくれてありがとう」



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