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第四十九話

「We are petals of the diagonals」(終)




 朝。何時も寝過ぎて母親の声で起きるケビンは、今日はアラームの音で目を覚ました。自分で起きたのは、約四ヶ月振りだ。

 パジャマのまま朝食を食べ、顔を洗って歯をみがいたら、服を着替えた。今日はヒーロー柄の服は着ない。

 通学用のリュックは、最後に登校した日のまま。ケビンは、壁に掛かったそのリュックを背負った。


「ケビン。頑張ってね」

「うん、ママ。行ってきます」


 見送りに来てくれた母親に緊張した顔で手を振り、黄色いスクールバスに乗り込んだ。

 運転手のおじさんが「久し振りだね」と声を掛けてくれて、ケビンは小さな声で挨拶した。既に何人か乗っていたけれど、誰とも目を合わせないようにして一人で座った。

 学校までは十分くらいだ。その間も生徒が何人か乗って来た。

 バスは学校の前で止まり、ケビンは最後に降りた。しかし、暫く来なかった学校を前にして、ますます緊張して足が動かなくなる。

 その時、誰かがケビンを呼んだ。


「ケビンー!」


 ケビンにとって安心する声。その明るい声は、校門の前で元気良く手を振るマリーだった。彼女は昨日、校門前で待っていると約束してくれていた。

 ここで唯一心を許せる友達の姿を見ると、少しホッとして駆け寄った。


「おはよう」

「…おはよう」

「行きましょ」


 マリーに手を繋がれ、気後れしながらケビンは校門をくぐった。


「昨夜は眠れた?」

「あんまり」

「朝ごはんは食べてきた?」

「うん。パンケーキ食べた」

「パンケーキは私も好き。チョコレートソースとか、ホイップクリームをかけるの。ケビンは何をかけるのが好き?」

「僕は、メイプルシロップ。チョコレートソースも好きだよ」

「おいしいわよね。チョコレートソース!」


 マリーはケビンの緊張を解そうと、教室に着くまで他愛ない話をしてくれた。そのおかげで、少しだけ気が紛れた。

 だが、その時間はあっという間だった。もうケビンのクラスの教室の前まで来てしまった。緊張が増すケビンは足を止め、とても不安そうに教室を見る。


「大丈夫?行ける?」


 今日は頑張ろうと思って来たが、怖じ気づいてしまったケビンは「うん」と弱々しく返事をした。

 マリーが勇気づけてくれたから、大丈夫な気がした。だから、もっと勇気を出さなければと自分を鼓舞した。なのに、ここまで来て怯んでしまった。行きたいのに行けないなんて、せっかくマリーが背中を押してくれたのに情けなくなってくる。


「あ。そうだ、ケビン。いいものあげる」


 マリーはリュックを下ろすと、中から何かを取り出した。


「これ、あげる」


 そして、ケビンに差し出された右手から、キラキラした青い星のキーホルダーが現れた。


「これは、願いが叶うお守りよ」

「願いが叶うお守り?」

「私、算数苦手で、テストでビリになっちゃったことがあったの。でもこれに、『ビリになりませんように!』ってテストの前にお願いするようになってから、一度もビリになってないの!すごいでしょ?」

「すごいけど……いいの?マリーのお守りなんでしょ?」

「大丈夫よ。それは、昨日買ったケビンの分。私のは、このピンクの」


 マリーはピンク色の星のキーホルダーを出して、ケビンが持つキーホルダーと並べた。「色違いのお揃いよ」と彼女が笑うと、それに呼応するようにピンクの星が輝いた。


「このお守りを両手で握って、『勇気を下さい』ってお願いして。そうすれば絶対に大丈夫よ。クラスの子とお話しする時も、これを持っていればちゃんとできるわ」


 それは何処にでもありそうな、ありふれたごく普通のキーホルダー。これをお守りと言われても、本当に信じる人はいないだろう。でも、ケビンには信じられた。不安と恐怖を払拭したくて、何かにすがりたいだけかもしれないが、マリーがくれたものだから信じられた。

 ケビンは、キーホルダーを両手で強く握り締めて、ぎゅっと目を瞑った。


 僕に、もう少し勇気を下さい!


 目を開いてキーホルダーを見たら、一瞬だけ輝きを増した。願いが届いた気がして、ケビンの心に勇気が湧いてきた。


「……マリー。僕、行くよ」

「ケビン。絶対大丈夫だからね。また学校に来られたことが、すごいんだから」

「うん。ありがとう、マリー」

「またあとで会いましょ。お昼休みにね」

「うん。あとでね」


 ケビンはマリーに手を振り、マリーも笑顔で振り返した。

 お守りを握りしめ、ケビンは扉の前に立った。心臓がドキドキしている。

 中からクラスメートたちの声が聞こえる。一年以上一緒にいるけれど、まだ話したことのない知らない同級生。だけどきっと、今日から彼らのことを少しずつ知るのだろう。そしてケビンのことも、少しずつ知ってもらえるのだろう。

 大きく深呼吸をすると、ケビンはいよいよ教室の扉に手をかけた。


 その手に握られた星は、本当は最初からケビンの中にもあった。そして、その星は何時か輝きを増して、ダイヤモンドになる。遠いようで近い未来で、唯一の輝きを放って待っている。マリーと一緒に来ることを。


 さぁ。新しい装いで扉を開けよう。






 END






 冬がじわりじわりと近付いて来る。その気配を感じた秋は、短い命を生き急ぐように大地を鮮やかに変貌させていく。

 お寺の針葉樹も、ちらほらと模様替えがされた。きっと冬が闊歩し始めると、その足元を茶色い絨毯にするのだろう。

 その薄暗く寒い道を、足早に海貴也は通り抜ける。早く『パエゼ・ナティーオ』に行きたくて、昨日からうずうずしていた。


「こんにちは。ジュリウスさん」


 休憩中だった店の扉を、ドアベルを鳴らして開けた。その瞬間、海貴也の足が止まる。

 ジュリウスが、テーブルと恭雪に挟まれている。何時か見たことのある光景に、海貴也はデジャヴを感じた。


「有間さん!何してるんですか!」


 あの頃と違うのは、恭雪にちゃんと感情をぶつけられるようになったこと。


「何って。久し振りにコミュニケーションの練習だよ」

「やめたんじゃなかったんですか。悪ふざけも大概にして下さいよ!」


 海貴也から苦情を言われても、恭雪は痛くも痒くもない。右手をテーブルに突いたままもう片方を腰に当てて、身体を海貴也の方に向ける。恭雪が離れてくれないから、ジュリウスは身体を仰け反らせた体勢のまま動けない。


「わかってるよ。だけど、これからはお前だけの特権だろ?そんなの何か悔しいじゃねぇか。何でお前なんだよ。トータルで一番の功労者は俺じゃねぇのかよ」

〈前と同じこと言ってる〉


 ジュリウスのことは諦めても、そこはどうしても納得がいっていないようだ。

 しかし思い返してみると、恭雪の功労なくしてこのゴールはなかったと言える。彼には、最優秀助演男優賞を差し上げたい。


「そうかもしれませんけど、力ずくはやめて下さいって言ってるんです。ジュリウスさんも迷惑なんですから」

「まだ嫌なのか、ジュリウス」

「スミマセン。と言うカ、ずっとやめて下さいって言ってマス……」

「なので、いい加減離れてもらえますか」


 双方から再三の苦情を受け、海貴也からは睨まれた恭雪は渋々ジュリウスから離れた。不意を衝かれて参っていたジュリウスは、安堵の息を漏らした。


「で?佐野は何しに来たんだよ。休憩時間だからイチャイチャしに来たのか?それとも、またお泊まりか?」

「ちっ、違いますよっ」


 ニヤニヤしながら恭雪に突っ込まれ、海貴也は羞恥する。

 恭雪の台詞はどういう意味かと言うと。ジュリウスの誕生日───つまり二人が両想いになった夜、海貴也はそのまま二階に泊まった。両思いになれた嬉しさで眠れず、二人は話をしながら深い時間まで起きていた。翌朝目が覚めたのは、目覚ましのアラームではなく配達に来た恭雪からの電話で、店が開いていないと教えられるまで寝過ごしていることに気付かなかった。

 ジュリウスは急いで身仕度を整えて、休みだった海貴也も開店準備を手伝い、一時間遅れで店を開けた。恭雪も少し手伝ったのだが、その時に全てを察して二人から報告を受けたのだ。


「遠慮しなくていいぞ。俺は帰るから。いてもいいならいるけどな。朝まで」

「だから、そうじゃないです!」


 めでたくジュリウスと両想いになれたが、これからは恭雪からのちゃちゃがエスカレートして心労が重なるんじゃないかと、人知れず海貴也は不安を抱いている。それを回避するには、恭雪の性格プログラムを組み直さなければ不可能だ。

 補足をしておくと、二人はハグまでしかしていない。

 海貴也は顔を赤らめながら席に座ると、バッグからタブレットを取り出した。


「ジュリウスさん。この前言ってたやつ、できましたよ」

「できたんデスね」


 ジュリウスは海貴也のタブレットを覗き込んだ。興味を示した恭雪も、一緒になって覗く。表示されているのは、とあるホームページだった。


「載ってる写真、この店じゃないか」

「『パエゼ・ナティーオ』のホームページを作ったんです。正しくは、親友に作ってもらったんですけど」


 前に色々と相談に乗ってもらった、例の親友だ。パソコン関係が得意で自身でもホームページを運営していたので、協力してもらったのだ。イメージを伝えたくらいで、ほぼ任せたかたちになったが。


「何でまた?」

「オレが提案したんです。このカフェに、もっとお客さんが来てほしいと思って」


 ジュリウスにレイアウトを確認してもらい、他にリクエストがあるかと聞いた。作ってもらったホームページを一通り目を通したジュリウスは、「大丈夫デス。素敵にできてマス」と満足してくれた。


「あと。プロフィールも書きましたけど、間違いがないか確認してもらえますか」


 トップページの下の方には、店主プロフィールとしてジュリウスの写真と彼のこれまでの経歴が載っている。国籍から、来日した年まで。そこには、本当の出身国とアルビニズムであることも書かれていた。


「おい、ジュリウス。アルビニズムのことも書いてあるけど、いいのか?」


 当然のごとく恭雪は心配した。


「ハイ。コレは、私がお願いシマシタ」

「お前が?」

「生き方を変えるナラ、本来の自分を隠してはいけないと思ったノデ。思い切って書いてもらいマシタ」


 いささか驚く恭雪を見て、海貴也はその意義を伝える。


「デメリットはそんなにないと思うので、オレも賛成しました。寧ろこれで、お店だけじゃなくてアルビニズムにも興味を持ってもらえるし、このホームページを見た他のアルビニズムの人たちが来るかもしれません。そしたら、ジュリウスさんはその人たちと話ができるし、最終的にはコミュニティが作れると思うんです」


 つまりは、コミュニティカフェのような形態を目指すということだ。勿論、アルビニズムだけの社交場を作ろうとしている訳ではない。元々ここに来ている健常者の人たちも交えて、広く交流できる場を目標としている。


「カフェの宣伝だけじゃなく、ジュリウスの交遊関係を広げる目的もあるのか」

「あ。一応、有間さんのお店の情報も載せたので。お客さん増えるかもしれませんよ?」


 店主プロフィールの下に、『パティスリー・ヤス』のホームページアドレスも載っている。アップルパイがオススメだということもおまけで添えた。


「よく考えたな」

「だって、もったいないじゃないですか」


 言いながら、海貴也は店内を見回す。


「こんな素敵な場所をもっと色んな人に共有してもらいたいし、ジュリウスさんのこともたくさんの人に知ってほしいから。これからのジュリウスさんの為になると思ったんです」


 ジュリウスが変わる決意をしたのなら、その手助けをするのが当然の役目だと思った。その先にジュリウスが見たい景色があるのなら、自分も一緒に見てみたい。隣に並んで歩きたいと言ってくれたから、歩幅を合わせて手を繋いで歩きたいと。


「やるじゃん佐野」

「オレの仕事、何だと思ってるんですか」


 恭雪に褒められた海貴也は、饒舌に語り出す。


「オレたちは、誰かの思いを伝え広める役目なんです。伝えたい思いを形にして、その人の思いが広まって、受け取った人の喜びや希望になってほしい。オレたちは、人の思いを未来に繋げる手伝いをしているんです。媒体の大きさや露出度は関係ない。やること自体に意義があるんです」


 と、ひとしきり語ると、ジュリウスと恭雪から注目されていることにはっと気付き、一気に恥ずかしくなる。


「……って、思ったりしたんです」


 海貴也の身体が、みるみる小さくなっていく。頭から蒸気が上っているのが薄ら見える気がする。

 一連の海貴也の様子を見た恭雪は、表情を緩めた。彼に注視していた目を、もう一度タブレット画面に向ける。


「にしても、このプロフィール写真よく撮れてるな。お前、意外と撮るのうまいんだな」

「いや。この写真を撮ったのは、亨さんなんです」

「えっ。兄貴が?」

「カメラが趣味だったので頼んでみたら、引き受けてくれました」


 ホームページに載せるならちゃんとした写真がいいだろうと最初は写真屋で撮ろうとしたが、羞明のジュリウスの為にやめておいた。出張撮影も調べたが、費用がピンからキリで迷ってしまった。そんな時に、亨のことを思い出したのだ。

 連絡先は再び削除していたので坂口から教えてもらい、ダメ元で連絡し依頼した。承諾してくれたのは意外だった。しかも見返りはなし。


「よく顔合わせられたな」

「オレは案外大丈夫でした。寧ろ、亨さんの方が素っ気なかった感じで」


 いざ再会となり、顔を合わせたらどうなるだろうと思っていたが、海貴也はことのほか普通に会話ができた。逆に亨の方がまともに目を合わせてくれず、海貴也がしそうな反応だった。不安視していたジュリウスとも、体質について何か言ってくることなく、海貴也の指示に従って撮っていた。


「少しは、これまでの自分の振る舞いに後悔してるんだろうな」

「そうですね」


 亨は『パエゼ・ナティーオ』に来る前に、恭雪の店にも立ち寄っていた。その時はヤボ用で来たと言い、迷惑を掛けたことを恭雪に謝った。家庭のことを優先し、独立も先延ばしにしたとも言っていた。

 五分も経たずに行ってしまったが、我が兄ながら手が焼けるなと恭雪はつくづく思った。




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