第四十八話
「───海貴也サンも知る通リ、私のこれまでの人生は一般的な幸せには遠いものデシタ。他の人とは違うこの身体ハ、私の人生には枷デシタ。それでも、何度も前を向かなきゃと思ったこともありマス。けれど何年経ってモ、後ろにはずっとアノ恐怖が離れずに付いて来タ。ソレに気付かされる度ニ、私の心は潰されそうになりマシタ。ダカラ私ハ、一人で生きられる強さを欲しタ。
このカフェを始めてモ、なかなか自分を変えられなかっタ。デモ海貴也サンに出会っテ、不思議と今までとは違う自分が現れ始めタ。海貴也サンと過ごす時間が楽しかったんデス。大事なことを隠していたのに許してくれテ、向き合ってくれる貴方との繋がりをなくしたくないと思いマシタ」
自分と同じことを、ジュリウスも思ってくれていた。その胸中を初めて知った海貴也は、決して一方通行ではなかったんだと嬉しくなった。
「付き合っていた人が現れた時ハ、正直、もうあまり親しくしない方がいいのかなとも思いマシタ。私ハ、海貴也サンの隣にいてはいけないト。……デモ、海貴也サンは自分の思いを貫いテ、過去の恋にちゃんとけじめを付けマシタ。最初の海貴也サンの印象は、少し臆病な人なのかなと思ってマシタが、段々と変わっていく海貴也サンが少し羨ましかったデス。私も海貴也サンのようになりたいト、密かに思ってマシタ」
次々と露になるジュリウスの胸襟に、海貴也の心中は喜びと恥ずかしさで埋め尽くされていく。謙遜して抑えようとしても、増していくそれに追い付かない。
「国へ帰るのも本当は怖かったんデスけど、海貴也サンが掛けてくれた言葉があったから行くことができマシタ。私にハ、安心して帰って来られる場所がある。何時でも頼っていい存在があるっテ。
今まで優しくされたことはあったケド、それだけでは何かが足りませんデシタ。私がほしかったものハ、ソレ以外のものだったんデス……。私は優しさよりモ、同情や激励よりモ、辛いことに向き合う勇気をくれる人がほしかっタ。逃げてばかりいた自分ニ、決別する勇気をくれる人ヲ……。ソレをくれたのが貴方デス」
海貴也に近付いたジュリウスは、両手で彼の手を取った。
「海貴也サンが教えてくれたんデス。誰かを頼ることデ、自分を守れることモ。ここにいていいことモ。人の温かさモ……」
初めてジュリウスから触れられた海貴也は、喫驚して彼の顔を凝視する。
「私ハ、ずっと苦しかっタ。強くなりたかったから気持ちを押し殺しテ、本当の自分を偽っタ。心ない差別と偏見の言葉ばかりだったカラ、そうしないとダメだと思いマシタ。優しかったのは家族ダケ。声を掛けてくれたとしてモ、同情ばかリ……」
見つめていたら、褐色の瞳に映った光が微かに揺らめいた。ジュリウスの表情に悲懐が滲み出る。
「辛かっタ。苦しかっタ。こんなに苦しい思いばかりするナラ、いっそのこと感情なんて捨てたいと思いマシタ。……それでも私ハ、ちゃんと人として生きたかっタ。ダカラ本当は、誰かを頼りたかったんデス。デモ、人の温もりが怖かっタ。また欺かれるんじゃないかと思うと怖かっタ。ダカラ、一人でも生きていけるくらいにならなきゃ。自分の身は自分で守らなきゃっテ……。
だけどもう、そんな生き方は限界デシタ。私の心はずっと、寂しさで泣いてイマシタ。ソノ声に、やっと耳を傾けることができたんデス。……私はもう、一人で生きることはできマセン。私が望む生き方ト、大切な人の存在に気付いてしまったカラ……」
雨はやんだけれど、天気は晴れのち曇り。雨が再び降らない確率は、0(ゼロ)ではなかった。
けれど、やっと青空が広がってきた。太陽の光が眩しく、気持ち良かった。こんな気持ちを知らずに生きてきたことを、少し後悔するくらいに。
「私ハ、今までの生き方を捨てマス。海貴也サンと一緒ニ、横に並んで歩きたいデス」
「ジュリウスさん……」
ジュリウスの思いを聞いた海貴也は、胸がいっぱいになる。
これまで見ていて、少しずつジュリウスは変わっていると目を見張っていたけれど、彼は今やっと辿り着いたのだ。
『新しい環境で、新しい自分になる』という目標に。
海貴也は自分のことのように、胸の中に喜びが満ちていくのを感じていた。しかし海貴也に与えられるものは、それだけではなかった。
「……海貴也サン……。私モ、貴方を好きになっていいデスか?」
「えっ!?」
突然の告白に、海貴也は飛び跳ねそうになるくらい驚愕する。
「私モ、海貴也サンにいてほしいデス」と言われた時は、半分期待して半分そんな都合の良い展開はないと思っていたし、あれは前フリだったのかどうなのかと考えてしまった。実際は、あの時のジュリウスは特別な意味合いは意識していなかったけれど。
「……ジュリウスさん。ほ……本当に?」
急展開過ぎて付いていけていない。踊り出すほど喜びたいが、驚きの方が上回っている。
「色んなことがあっテ、自分の本心がうまく表せなかったんデスけど、やっと形がわかりマシタ……。今凄く、私の心臓はドキドキしてマス」
自分の胸に手を当てて喜びが浮かぶ表情のジュリウスは、心なしか何時もより血色が良くなっているように見える。
「……オレも。ドキドキしてます」
「胸、触ってみてもいいデスか?」
「はい」
海貴也に手を伸ばすと、彼の胸にそっと右手を当てた。服の下から、海貴也の心臓の鼓動を感じる。
「本当だ……」
ジュリウスは左手で、もう一度自分の胸に触れた。
「これガ、“恋をする”ってことなんデスね」
目を瞑り、互いの鼓動に耳を澄ます。同じリズムで波打つ鼓動は、まるで二人の想いをリンクさせているようだ。目を閉じていたら、どっちがどっちの音かわからなくなってしまいそうになる。
これが、緊張の鼓動。恋の音。
「………ジュリウスさん。あの」
海貴也の顔も赤い。ジュリウスに告白した時よりも紅潮している。けれどその時よりも羞渋しながら、何か言いたげにしている。
「……あの。ギュッてしても、いいですか?」
「ギュッ?」
「だ……抱き締めても……?」
恥じ入る海貴也は、目を見ての懇願はできなかった。でも今、もの凄くジュリウスに触りたくてしょうがない。
「む、無理なら、全然……」
「いいデスよ」
「えっ」
まさか願いを聞き入れてくれるとは思わず、目を丸くして顔を上げた。
「……だ、大丈夫ですか?」
「ハイ」
ジュリウスは柔らかに微笑んだ。迷いも戸惑いもそこにはなかった。
海貴也は小さい歩幅で一歩前進して、ジュリウスに近づく。心臓が壊れるんじゃないかというくらい動いている。
ジュリウスとは身長差がある。少しだけ踵を浮かせて、首に腕を回した。応えるように、ジュリウスも海貴也の背中に触れた。
「……大丈夫ですか?」
「海貴也サンだから、平気デス」
身体が温かかった。自分の熱なのか、海貴也から伝わってくる熱なのかわからない。心臓の鼓動も、二つが一つになっている。
「七夕の願い事は、叶いましたか?」
「ハイ。叶いマシタ」
ジュリウスの心は、人生で一番満たされている。
「ジュリウスさんの願い事が叶って、オレも嬉しいです。ちゃんと役に立てて。───オレ、これからも一緒にいられるように、ジュリウスさんが全体重を掛けても大丈夫なくらい、もっと大人になります」
好きな人の為なら、もっと変われる気がする。そんな未来が海貴也の目には見えていた。まだぼんやりとだけれど、遠霞は消えると不安はなかった。
ジュリウスの為なら、どんなことでもできそうだった。無敵になれそうだった。今度は過信じゃない。
身体を離して、顔を見合わせた。二人共、同じくらい赤面している。
「両思いになれマシタね」
「改めて言われると、ちょっと照れ臭いです」
海貴也が心恥ずかしさで顔に皺を寄せると、ジュリウスもつられてはにかんだ。
互いに面映さに堪えられなくなりそうになる。けれど、繋がった手は離そうとしなかった。
海風が優しく吹き抜ける。
花束の花びらが、拍手をするようにひらひらと揺れる。
夜空には、上弦の月が浮いていた。
満ちる未来へ向けて、これから少しずつ光を増していく。




