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第四十六話




 十月三十一日。夜の七時を過ぎた『パエゼ・ナティーオ』にはまだ明かりが灯っている。店内にいるのは、海貴也一人だけだ。

 彼は、一人でせっせと作業をしていた。窓のサッシに英字が並んだガーランドを取り付けたり、膨らませた風船を壁に貼り付けたり、生花を飾ってテーブルセッティングまでしている。


「こんな感じでいいのかな。女子ならこういうの得意なんだろうけど」


 SNSの写真を見本に初めての作業に手探りで取り掛かる海貴也は、女子力というものの偉大さに感嘆し続ける。デザインに関わる者として恥ずかしいものは見せたくないが、なかなか映えた写真のようにはいかない。

 一つあくびをすると、スマホが鳴った。恭雪からのメッセージで「こっちはもうすぐ終わるぞ」と知らせが来た。海貴也はスマホの左上の時計を見る。


「もう七時過ぎてたのか!急がないと!」




 それは、一時間半ほど前のこと。

 仕事が一段落して休みだった海貴也は、他の客がいない中、ジュリウスとの時間を楽しんでいた。

 辺りも暗くなり、ジュリウスが入り口の電灯を点けに行った時、店の電話が鳴った。


「ハイ。『パエゼ・ナティーオ』デス。……恭雪サン。何デスか?」


 恭雪から電話があった。電話があるのは珍しく、たまに新作ケーキの減り具合を確認する電話があるくらいだ。それに、夕方にしてくることは滅多にない。

 恭雪との話が始まってすぐに、ジュリウスから渋る話し声が聞こえた。また、何か困らせるようなことを言われているのだろうか。

 三分くらい通話は続き、ワカリマシタと観念した台詞を最後に受話器は置かれた。


「有間さんからだったんですか?」

「ハイ。そうなんデスけど……」

「どうかしましたか?」

「助けを求められマシタ。お店のオーブンが調子悪いとかデ、直したいからその間店頭にいてくれないかト……」


 ジュリウスは眉を八の字にする。


「何でそんな頼み事をジュリウスさんに」

「人がいないみたいなんデス。来ないト、また私が嫌がることをするぞって言われマシタ」

「懲りない人だなぁ。じゃあ、今から行くんですか?」

「そうなんデスけど……。やっぱりお店を空ける訳にはいかないノデ、嫌がらせは心配デスけど断りマス」

「大丈夫なんですか?あの人だったら絶対、有言実行ですよ?」


 海貴也の言う通り、断れば恭雪はまた過剰なコミュニケーションをしてくるだろう。想像して心の中で激しく同意するジュリウスは、厭う面持ちになった。


「何だったら、オレが店番しますよ。この時間から来るお客さんもいないだろうけど、もし来たらオレが対応しますよ」

「デスが……」

「行って下さい。ジュリウスさんの身を守る為にも」


 そういう経緯でジュリウスは恭雪の店に行き、海貴也が一人となった。




 その頃の『パティスリー・ヤス』では、ヘルプに来たジュリウスが店頭に立っていた。裾がギザギザの黒いケープを纏って。

 店の窓には「HALLOWEEN」のロゴやおばけかぼちゃや幽霊のステッカーが貼ってあり、店内もハロウィン仕様に飾り付けされている。ジュリウスがケープを身に付けているのは、店頭に立つ従業員はハロウィーン期間中付ける義務だからだ。ジュリウスは従業員じゃないからと断ろうとしたが、逆らってもいいのか?と恭雪に軽く脅されて初のコスプレとなった。こっ恥ずかしいとはこのことかと、人生で始めての試練に堪える。

 その恭雪はというと、ずっと作業場に籠っている。


「恭雪サン。まだ直りマセンか?」


 ジュリウスが作業場を覗くと、オーブンにかじり付いている恭雪からもうすぐだと返事があった。

 そして数分後。オーブンの修理を終えた恭雪が、店頭に出て来た。


「悪かったなジュリウス。助かった」

「海貴也サンがいたから来れマシタけど、もうこんな頼み事は受けられマセンよ」

「わかってるよ。今回だけだって。今日はアルバイトが夕方出られない奴ばかりで、夜は俺しかいなかったからさ」


 もう一人の正社員のパティシエも、用事があって無理だったらしい。恭雪一人しかいない日にオーブンの調子が悪くなるとは、こんな日だからある偶然だろうか。


「閉店後にできなかったんデスか?」

「閉めたあとに使いたかったんだよ。なのに、タイミング悪く調子悪くなって。だから本当に助かったわ」


 だが、業者に頼まずよく自分で修理できたものだ。得意分野なのだろうか。

 時計を見ると、七時十五分になっている。カフェの閉店時間を過ぎていることに気付くと、ジュリウスは素早くケープを脱いだ。


「それじゃあ、帰ってもいいデスか?海貴也サンに任せたままナノデ」

「あ。ちょっと待て」


 恭雪は受け取ったケープを無造作に作業台に置くと、ショーケースから十五号サイズのケーキの箱を出してジュリウスに差し出した。


「これ、持ってけよ。試作品だけど。お詫びの代わりに、アイツと食べてくれ」

「いいんデスか?アリガトウゴザイマス」


 四角い箱の上の窓から、白いホールケーキの一部が見えた。ふとジュリウスは、恭雪から何かをもらったのはこれが初めてだと思った。


「て言うか、アイツとは上手くいってるのか?」

「何ですか急ニ」

「だって、全然教えてくれねぇし」


 完全に蚊帳の外になってしまったが、せめて進捗は教えてほしいらしい。世話焼き魂が疼くようだ。

 聞かれたジュリウスは、特に報告することもないので仕方なく、以前と変わらず上手くいっていると答えた。


「まるで亀だな。俺が言ってやってるのに、お前はまだ自覚がないのか?言われたら普通、気持ちを錯覚しそうだけどな」

「恭雪サンに言われて、一応自分でも疎いと思ってマスよ」

「まぁ、いいんじゃないか。お前ららしくて、もう口を出す気も薄れたし」


 自分一人が外からガヤガヤ言っても分厚いガラスに阻まれてしまうことを、数ヶ月掛かって理解したようだ。


「そう言えバ、海貴也サンから聞いたんデスけど。私が一時帰国することヲ、恭雪サンが海貴也サンに言ってくれたんデスよね」

「おう。尻を鞭打ってやったよ」

「ソノおかげで出発前に海貴也サンと話せテ、私は気持ちを切り替えることができマシタ。アリガトウゴザイマシタ、恭雪サン」


 本当に有り難く思ったジュリウスは、自然に微笑み掛けた。お礼を言われた恭雪は面食らう。


「……初めてだな」

「何がデスか?」

「俺に本当の笑みを見せたの。出会ってこの方、初めてだ」

「……何時もと同じデスよ?」


 一度くらいあったのではと、ジュリウスは首を傾げた。とことん自覚がない反応に、これがジュリウスだと恭雪は納得するしかない。


「……ま。俺にも素直な反応を返せたってことは、それだけ変われたってことだな。誰のおかげとは言わねぇけど」


 癪に思い、該当人物の名前は伏せた。ジュリウスのことは諦めざるを得なかったが、負けを認めるのはちょっと悔しかったりする。


「恭雪サン。……私ハ、一人にならなくてもいいんデスよね。もう強がらなくてもいいんデスよね」

「バカかお前は。やっとわかったのかよ」


 腕を組ながら恭雪は呆れる。まるで、マンツーマンで教えていた生徒が、基本の数式をようやく理解した時のような心境だ。講師や家庭教師の経験はないけれど。


「恭雪サンの言う通りデス。 私はバカデシタ。ずっと自分しか見えてなかったんデスね。コノ答えに辿り着くマデ、時間が掛かってしまいマシタ。無駄に肩肘張ってしまっていたような気がシマス」


 他人を拒み続けたのは、自分を守りたかった故の自己本位的なものだったのだとジュリウスは考えた。自分で自分を憐れみ、誰も観ていない舞台の主人公になったつもりでいただけだと。


「強がってたんじゃねぇの、お前の場合。それこそ、最初は頑張ろうとしてたんだろうけどさ。意固地になってたところもあるんじゃね?」

「……そうデスね」

「でもまぁ、全部お前が悪い訳じゃない。環境と無知が、お前を追い込んだんだ」


 だがこれだけは確かだと、恭雪は続ける。


「お前は最初から、自由な世界に生きてた。だからこれからも、この世界で自由に、お前らしく生きたいように生きればいい」


 人は自分と違う者を差別し、偏見を持つ。けれど世界という居場所は、どんな人間であろうと生きるのを拒まない。ここにいる者全てが平等で対等であると許している。ジュリウスはそれに気付ける筈だったが、気付けなかった。


「恭雪サン。今まで色々と助けてくれテ、アリガトウゴザイマシタ。恭雪サンの言葉デ、気付かされたこともありマス。貴方との出会いモ、私の人生を作るには欠かせない大切なものデス。とても感謝してイマス」

「モブにされなくて良かったわ」


 素直なジュリウスの謝意に喜びを隠すように、恭雪はふざけて返した。


「恭雪サン。こんな私デスが、これからも宜しくお願いシマス」


 対等でいられることを願って、ジュリウスはお辞儀をした。


「おう。ビジネスパートナーとしてな」




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