第四十三話
九月の下旬に差し掛かり、次第に気候も秋めいてきた。紅葉に味覚にと、楽しみが増える頃だ。
仕事の休憩時間。隣の自宅のリビングで、恭雪は次の新作スイーツの図案を考えていた。
年季が入ったこたつテーブルは恭雪や亨が幼い頃からずっとあるもので、角にはシールを剥がした跡がある。また住み始めた時に買い替えようと思っていたが、金銭的にそんな余裕がなかったのでそのうちでいいやと思った。そうして何時か何時かと機会を窺っていたが、もう三年くらい経っている。
「お疲れ様ー」
そこに美郷が来た。手には三種類のケーキが乗った皿とフォークを持っている。おやつの時間のようだ。部屋の角に重ねられた座布団から一枚持って来て、恭雪の正面に座った。
「何してるの?」
「来月の新作のアイデア練ってんだよ。十月はハロウィンだろ」
「そうだったわね。私も向こうに戻る前に、ハロウィンぽい新作考えようかしら」
「帰るの、今月末か」
美郷の滞在期間はもうすぐ終わる。十月になるのを待たずに、再びパリでの修業生活に戻らなくてはならない。
「また遠距離になっちゃうわね。寂しいでしょ?」
「あぁ。寂しいな」
ノートと睨めっこしながら、忙しい主婦が子供をあしらうように恭雪は言った。気持ちが込められていない台詞に、まさに母親にあしらわれた子供みたいに美郷は唇を尖らせる。
「本当に寂しく思ってる?」
「思ってるって」
「感情がこもってないんだけど」
「寂しいに決まってるだろ」
「本当に?私の代わりにジュリウスさんがいるから、平気なんじゃないの?」
「は?何で急にアイツが出てくんだよ」
「だって恭雪、ジュリウスさんのこと好きでしょ?」
「えっ?」
美郷がズバリと隠し球を投げ込むと、ようやく恭雪は顔を上げた。
「“LIKE”じゃなくて、“LOVE”の方だったりするわよね?」
「えっ…はぁ!?」
言い当てられた恭雪は、持っていたシャープペンを落とした。一体何故バレたんだろう。ボロは出していない筈だと、明らかな動揺を見せる。
美郷は新作のパウンドケーキを一口食べた。さつまいもの甘みときのこが絶妙にマッチした、恭雪の自信作だ。それを一口二口と口に運びながら、懐疑的な顔付きで婚約者を見る。嫉妬から鬼の形相になってはいないが、何時もと少し雰囲気が違う。
見破られてしまったが、あっさり認めたら隠し続けてきた努力が水の泡だ。幸い、確証を得ている訳ではなさそうだと推察し、恭雪は隠し通すことを決めた。
「好きって……。お前っ。何、突拍子もないこと言ってんだよ!」
「あら。違うの?」
「バカか。アイツは同性だぞ。そんな訳あるか!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
「じゃあ、このケーキの絵は何?」
美郷は、フォークでノートのページを指した。それには、ホールケーキのイメージ図が描いてある。
色々とメモしてあり、「スポンジの間にはカットしたフルーツ」「星形のクッキーにビターとオレンジに着色したチョコをコーティング」「本を象ったクッキー(コーヒー風味)」など細かく書いてある。そして「10/31 ジュリウス誕生日」というメモも。
「こっ、これは……。アイツが丁度ハロウィンが誕生日だから、何となく思い付きで描いただけだ。深い意味はない」
慌てて説明するが、逆に怪しい。事細かにメモを書いてある時点で、作る気満々だ。
「本当にそうなの?」
「当たり前だろ!……まぁ、アイツのことは嫌いじゃないけどな。ただのビジネスパートナーだ」
取り繕う為に言い切る恭雪だったが、言いながら何気に切なくなった。同時に、女々しい一面がある自分が意外だった。
恭雪は断言してみせたが、ところが美郷は引き下がらない。
「嘘吐かなくてもいいわよ」
「嘘じゃねぇし」
「だって私、聞いたもの。あの日、恭雪がジュリウスさんを慰めてるの」
「あの日って……何時だよ」
「花火大会の日」
「花火大会の日って、あの日は特に……」
「二人で話してたでしょ。帰りに脇道で」
「あっ……」
それを言われただけで、恭雪ははっとした。
ジュリウスと話したあと、美郷とは駅で合流した。と言うことは、二人よりも後ろを歩いていた美郷は、二人を追い越したことになる。故に、二人が話しているのを見掛けていても不思議じゃない。
「盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、恭雪があまりにも真剣になってるから気になって聞いちゃったの」
これは誤魔化しようがないと、恭雪は言葉が出ない。
美郷は、パウンドケーキの感想は言わずに食べ続ける。
「あんな真剣な表情、始めて見たわ。それだけジュリウスさんのことを気に入ってるのね」
「いや。あれは……」
「どこか儚げな印象は、放っておけないわよね。外見もキレイだし。好きになっちゃうのも仕方ないかもね」
「ちょっと待て美郷。話を聞いてくれ」
「何?言い訳?」
発言を止めると、不信の目が向けられた。若干気圧されるが、恭雪は毅然と立て直す。
「言い訳と言うか、それはもうけりが付いてる。そもそも、俺とジュリウスには何もねぇよ」
「こっそり付き合ってた訳じゃないの?」
「最初からアイツには拒否されてたし、俺が一方的に言い寄ってただけだ。正直に言えば、あの時きっぱりフラれてる」
「そうなの?」
不信の目を向けて問われると、短く「あぁ」と返答した。
「本当に?」
「本当だ」
「未練もない?」
「ない。だから、この件はもう終わってる」
粘っても進展しないことは既に理解した。自分に言い聞かせるように恭雪は言った。
「そんな一方的に終わらせられても困るわ」
しかし美郷は、話題を続けようとする。それはそうだよなと得心しつつも、次は別れ話になるのではと危機感がやってくる。
「恭雪は、私という婚約者がいながら浮気をしたのよ?私は、何でそうなったのか理由を聞きたいわ」
「そんなの話す必要あるか?」
「話さないなら、今すぐ私の両親に事実を報告するわよ?どんな反応するかしら」
毅然としていた恭雪はまた圧される。美郷の両親───特に、県議会議員を務める父親は厳しい。娘に傷をつけるつもりかと面責されそうだから、それは回避したい。
慎重に考えるまでもなく、恭雪は事の顛末を話し始めた。自分が今までジュリウスの為にしてきたことや、海貴也が現れてからのことを話した。キスを迫ったことは悪いと思いつつ伏せた。その間も美郷は、二つ目に選んだパンプキンタルトを黙々と食べていた。
そして、話を聞いた美郷の第一声は。
「恭雪って世話好きのくせに、やり方がちょっと外れてるのよね」
こたつに肘を乗せて、残念そうに言った。
「しょうがねぇだろ。こういうやり方しか、思い付かないんだからよ」
「そう言えば。私にアプローチしてきた頃は、テンパリングが甘いとかよく口挟んできて、私をイライラさせたわよね。他人に口出しする暇があったら自分の技術磨けって、見てた先輩に怒られてたけど」
「昔のことは今はいいだろ」
決まりが悪そうな恭雪は、麦茶と一緒に甦った思い出を流す。
「そういうところ、貴方損してるわよね。でも恭雪って、お節介をずっと続けるでしょ?そこに優しさの欠片が見えると、気に掛けてくれてるんだなってわかるようになるの。私、あれが恭雪なりの優しさだって気付くの、三ヶ月くらい掛かったわ」
「俺だって、佐野みたいに親切な感じでできたらと思うこともある。だけどやろうと思うと、こっ恥ずかしくなるんだよ」
「うん。そんなことされたら、熱でもあるのかなって心配になるわ」
美郷は真顔で賛同する。おかげで、実行してみたいという些少に残っていた意思が塵と化した。
「……で?俺の話を聞いてどうだった?」
「改めて、恭雪って不憫だと思ったわ」
「それはもう取り上げなくていい」
その弱点はつつかないでほしい。恭雪は汚点を染み抜きしたくてたまらない。
「……婚約、どうしたいと考えてる?正直に言ってくれ」
相手が男だったから、受け入れられないかもしれないと思った。だからと言って、女性ならまだよかったと言う話でもない。恭雪は、ビンタ付きの婚約破棄を覚悟した。
美郷の答えは。
「……婚約継続で」
「………は?」
「だから、婚約は破棄しないってこと」
思ってもみなかった答えで逆に困惑する恭雪は、阿呆みたいに口を開けっ放しにした。おまけに何回も瞬いた。
「……いいのか?」
「どうやらそうらしいのよ。何度も自問して、恭雪と別れた場合のことを想像したりしたわ。でも、不思議なんだけど、別れるのは辛いと思ったの。私の気持ちは、全然変わらなかったのよ。勿論、初めて浮気されて傷付いたけどね。それでも私は、恭雪と結婚したいと思ったの」
そう語る美郷だが、胸奥が反映する瞳は複雑そうだった。結論は出ても、凝りは暫く残るだろう。
美郷は安堵すべき結論を出してくれた。ところが恭雪は待ったをかける。
「いやでも。相手はジュリウスだったんだぞ?男だぞ?何とも思わないのか?」
「そこは案外引っ掛からなかったわ。免疫があるからかしら」
同性と浮気しかけたことが引っ掛かると思ったが、美郷は海外でLGBTの人に出会っている所為か大丈夫だった。カフェで海貴也と亨のことを見た時の反応を思い返しても、そうだとわかる。
「……本当か?」
「きっぱりフラれたみたいだし、なら安心かなって。それに、恭雪はちゃんと全部話してくれたでしょ。それって、私に対して誠実でありたいと思ってくれてる証拠じゃない?私、本当の貴方のことわかってるつもりだし、いい加減に話してるかどうかなんて聞けばわかるわ。だから、私の希望は変わらない。私は恭雪を信じる。───これが、私の答え」
「………」
恭雪は無言になり、もっさりした髪をかき上げ頭を掻いた。胡座を崩して座り方を正座に変えると、美郷を見た。
「……美郷、悪かった。それから、ありがとう」
そう言って頭を下げた。美郷は一言「うん」と言うと、最後に残ったいちごのショートケーキを口に運んだ。
和解となったが、沈黙が流れる。気まずさで、恭雪からは話し掛けづらかった。
「……でも良かった」
「何が」
「恭雪が優しさに不器用で。普通に優しくできてたら、取り返しが付かないことになってたかもしれないわ」
もうやめてくれととも言えない恭雪は、無言で三度眉を顰めた。
「その不器用さが一因だったとしても、恭雪が佐野くんに敵わなかったのは、決定的な差があったからじゃないかしら」
「決定的な差?」
その差とは何なのだろう。年齢、職業、人間性……。年齢は恭雪の方が年上で、オーナーパティシエとなって独立しているし、年収も海貴也よりある自信がある。人間性も負けているとは思いたくない。
では、恭雪と海貴也にある差とは何だろう。
「佐野くんはきっと、“何か”を持ってたのよ。でも恭雪は、“それ”を持ってなかった。だから佐野くんの方を選んだのかもね」
「“何か”って何だよ」
「そんなのわからないわよ。私はジュリウスさんじゃないもの」
恭雪と海貴也の決定的な差。“何か”を持っているかいないか。
海貴也は、何を持っていたのだろう。恭雪とは違うアプローチの仕方でジュリウスと親しくなったのだから、その“何か”を持っているのは確かだろう。
優しさ。思い遣り。ひたむきさ。誠実さ。欠けるところはあっても、恭雪も同じものは持っている。それらの他に、何が足りなかったのだろう。
考えても、恭雪にはわからなかった。ジュリウスに聞いてみたいが、それは絶対にしたくない。
「あと要因とするなら、恭雪に惹かれるところがなかったんじゃないかしら。つまりは、フィーリングね」
「それを言われたら、何も言えねぇわ」
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだ。だが、本当にただフィーリングが合う合わないの話だったら、潔く諦められそうな気がすると思った。もしそうだったら、いくら口や手を出しても無理だと思い知らされるだろうから。
これで良かったんだろう。ジュリウスにフラれて、美郷を捨てずに済んだのだ。恭雪は辿ろうとしていた本来の道に戻って来た。これで丸く収まったのだ。
「……ところで。とても重要なことを確認しなきゃならないんだけど」
「何だよ」
「もう未練もなくて、私はこれからも恭雪の婚約者でいいんでしょ?」
美郷は可愛らしく、首を傾げて聞いてきた。恭雪は当たり前だろと答える。
「それなら、変わらない愛を証明して」
目を瞑って、恭雪にキスを要求した。
恭雪は要求に躊躇する。ジュリウスとキスをしようとしたことは、まだ罪悪感として残っている。今の恭雪にとって、美郷とのキスは踏み絵と同じだ。後ろめたさが混じったキスをすれば、また追及されてしまうかもしれない。
「何でだよ。別にする必要ないだろ」
「何でよー。恋人の求める心を放っておく気?……それとも、隠してることがあるの?」
「ねぇよ」
鋭い。しかしここは、美郷には我慢してもらうことにした。キスはもう少しだけ待ってほしい。
美郷は、それ以上ねだってこなかった。ちょっと拗ねながら、恭雪が考えていることを見抜いていそうだった。
美郷は食べ始めたばかりのいちごのショートケーキを一口分取ると、恭雪の口元に持っていく。恭雪は素直に口を開け、甘いケーキを頬張った。
スポンジに挟まったいちごの酸味が、やけに際立っているように感じた。




