第四十一話
立秋とは名ばかりで、暦が変わろうが名残惜しいとばかりに幕が降りた季節が引き摺られる。夏と秋の境界からやって来た、様々な思いと一緒に。
デスクの端でスマホが震える。持ち主を呼び出す為に、繰り返し机上で踊る。画面には知らない番号が表示されていたので、無視をした。一度切れたが、またすぐに同じ番号からの着信を知らせ、長々と持ち主を呼び続ける。
「ずっと鳴ってるぞ。出なくていいのか?」
河西に言われ、作業中だった海貴也はすみませんと断りスマホを持って席を立った。フロアの廊下に出ると、知らない番号からの電話を取る。
「はい。もしもし」
「やっと出た。とっとと出ろよ!」
「有間さん?」
苛ついた声の主は恭雪だった。変な詐欺の電話ではなかったが、よく騙してくる彼に電話番号を教えたことはない。
「何でオレの番号……」
問い詰めようとしたが、そんなことはどうでもいいんだよと遮られた。恐らくはジュリウスに教えてもらったんだろうと考えたが、そう言えばジュリウスの様子を報告してくれると言っていたのを思い出した。
それをわざわざ半ギレしてまで連絡してくれたのかと思ったが、若干焦った声は次にこう続けた。
「アイツ、今日の夜の便でタンザニアに帰るぞ」
「帰る!?」
突然のジュリウス帰国報告に、海貴也は少し動揺する。
恭雪の話では、先日知らせがあった亡くなった甥の葬儀に参列する為らしい。身内の葬儀なら帰るのは当たり前だが、あの動揺の仕方だったから、まさか帰るとは思っていなかった。
「……どうしてオレに」
その報告に平静をつくって問うと、電話の向こうからは「はぁ!?」とまたキレた声が返ってきた。
「お前、寝ぼけてんのか!何もしないで、このまま行かせるつもりかよ!」
「行ってどうするんですか。だってオレは……」
「アイツに対して中途半端な覚悟だから、何もすることはないってか」
図星を突かれた海貴也は、思わず口を噤んだ。あの日の出来事で、恭雪には既に胸臆が見抜かれている。
しかし、あの出来事だけが海貴也が及び腰になっている原因ではない。
「……オレは、あの時何もできなかった。知っていたことが現実に起きたのが信じられなくて、受け止められなかった」
「それは俺も同じだ。マジかって思ったよ」
海貴也より恭雪の方が勝っているところはあるかもしれないが、折に触れた所感に差異はなかった。
「俺たちには現実を聞き入れるスペースがあっても、今はまだ事実を処理する能力が足りない。“自分の住む世界とは違う世界の話だ”という意識が少しでもあれば、それを落とし込むことさえできない」
現実を突き付けられた恭雪の感懐は、海貴也自身ももっともだと思った。受け止めながら、その言葉が悔悟に染まる胸に刺さった。
「だから、何もできないんです。何を言ったらいいのか、皆目見当が付かないんです」
「だから黙って行かせるのか。何もできないからって何もしないのか」
行き場のない感情が、氷山のようにずっと漂っている。それをアイスピックで遠慮なく恭雪は突いてくる。そんなことをしたって、氷山は小さくならない。残暑の太陽にだって無理だった。
その小さくて太い針に刺され、腹の虫が少し騒ぎ出す。
「有間さんは、何でそうやってちょいちょい口を出すんですか。正直、ちょっと面倒臭いんですけど。そんなに気になるんなら、有間さんが追い掛ければいいじゃないですか」
「俺が行ったってしょうがねぇんだよ!アイツはお前を待ってんだから!」
恭雪は声を荒らげた。怒鳴り声にも近い声音に、海貴也は少し戦く。
「俺の言葉なんて、アイツには届かない。アイツはお前の言葉を待ってる。お前じゃないとダメなんだよ」
「……そんなことないですよ。オレが言おうが有間さんが言おうが同」
「だから、違うっつってんだろ!」
恭雪は憤激を抑えるようにまた声を荒らげ、海貴也を黙らせた。
「何もわかってねぇのな。ジュリウスのこと何も見えてないわ、お前。アイツを好きになっておいて、俺に手を出すなって言っておいて、本気だと見せ掛けてただけか。やっぱ無理だって思ったら、あっさり見放すのか。無責任過ぎるだろ。アイツを受け入れようと決めたんじゃねぇのか。付き合っていこうってよ」
「でも所詮、オレには荷が重かったんです。中途半端な覚悟だったんなら、ジュリウスさんにとっても迷惑です」
この場で氷山が溶けきるのを待つよりも、漂い彷徨って辿り着いた場所で溶けるなら。その方がいいならそれでもいいと。
「……なら、アイツのことは諦めるのか。それなら、俺がもらうぞ」
「そ……」
その一言には、海貴也も流石に焦りを見せた。ちょっと突いただけだが、恭雪が言うだけでだいぶ効果がある。
冗談か本気か見分けられない台詞のあとに、恭雪は言葉を続けた。
「俺はお前のこと、意外に見応えのある奴だと思ってる。だから俺を呆れさせるな」
尊大な物言いだが、海貴也を認める言葉を恭雪は初めて口にした。いじってくるばかりで下等な扱いしかしてこなかった彼からの言葉は、氷山を少し崩した。
「……上から目線ですね」
「ローカル恋愛ドラマの唯一の視聴者だからな。なかなか物語が進まないつまらないドラマだけど、毎週欠かさず観てるんだよ」
「観てるだけじゃなくて、少しくらいディレクションして下さいよ」
「甘えてんじゃねぇ。これは、テメェがディレクションしてきたことだろ。一瞬挫けたくらいで立ち止まるな。お前が自分で考えて決めたことだろ。自分の発言に責任を持て。自分に自信を持て。ジュリウスの一番の理解者になるんだろ。だったら、アイツへの気持ちが本物なら、何が何でも貫いてみせろ」
自分の中の鬱積したものまで一緒に吐き出すように、恭雪は発破をかけた。しかし、そのすぐあとに「だが」と対立語を付けた。
「もし、もう向き合いたくないなら、無理にとは言わねぇ」
「えっ……」
叱咤していた口から突然真逆の言葉を掛けられ、海貴也は戸惑ってしまう。
「向き合いたくない現実は、恐らくこれだけじゃない。ジュリウスと付き合うということは、お前にとっても辛い現実がこれからも待ってる」
それは、きっとまた訪れる同族の悽愴な出来事を共有することか。はたまた亨も言及した、ジュリウスの身体で起きていることが、彼の未来を早急に蝕むことか。
「もしも自分の未来を守りたいなら、違う選択もできる」
違う選択───それは、海貴也とジュリウスが一緒にいない未来。
「佐野。お前が後悔しない方を選べ」




