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第四話




 駅から繁華街の方へ歩き、坂口が予約した居酒屋に着いた。瓦屋根の軒先に、赤い店名が目立つ看板。店先には、今の時期を象徴する紫陽花が鉢の中で咲き誇っている。

 店内のあちこちには、懐かしのビールのポスターや招き猫や信楽焼の狸があったりと、ノスタルジックな雰囲気だ。開けた調理場のカウンターには、日本酒の瓶がいくつも並んでいる。

 小上がりに案内された三人は、ひと息吐く間もなく注文した。食べ物より先に生ビールとお通しの枝豆が来たところで、乾杯した。


「───と言うか。二人が同じ会社で働いてたなんてなぁ」

「前に名刺渡しただろ。覚えてなかったのかよ」

「すっかり忘れてたよ。どのくらい一緒に働いてたの?」

「確か大卒だったから、三年もいないよな」


 亨は正面に座る海貴也に話し掛けるが、ポテトサラダを黙々と食べている海貴也は全く気付かない。特段、好物という訳でもないのに、焼き鳥の盛り合わせや刺身の三種盛りには目もくれない。


「なぁ。佐野ってば」

「……えっ?」


 二度目の呼び掛けで気付き、ポテトサラダと口を往復していた箸を止め、亨を見た。ひたすら動かしていた口を急遽止めた所為で、口の中にポテトサラダが少し残っている。


「向こうの会社、三年もいなかったよな?」

「あっ。……はい。そうです」


 残りを急いで飲み込んで答えた。良く知る人物の筈なのに、別れた相手だからなのか受け答えの仕方が初対面のようになってしまう。


「辞めちゃったのは、環境に馴染めなかったんだよね。亨の会社って、もしかして“グレー”なの?」

「そんなことねーよ。至ってホワイトな会社だよ」

「会社が原因じゃないってことは、上司の亨が何かしたの?」

「えっ!?」


 冗談半分の坂口の質問に動揺した海貴也は、あからさまに驚いた。ビールを飲もうとして出した左手が、ロボットのように空中で止まる。

 何かされたどころのレベルじゃない事実を、そっくりそのまま伝える訳にもいかない。この場に見合ったコメントを何とか探し出す。


「そっ、そんなことはないです!とお……長谷崎さんは良い上司でしたし、本当に自分のメンタル的な面が原因だったので。長谷崎さんは、何も悪くないです」


 両手を左右に振って、坂口の疑念を否定した。ただ、最後の方は当時を想起してしまった所為で、何かがあったと匂わせる口振りになってしまった。

 しかし、坂口は特に引っ掛かる様子もなく、まだ残る疑いを亨に向けた。


「亨、本当に?」

「俺は懇切丁寧、手取り足取り仕事を教えてやったぞ。だよな、佐野?」


 ちょっと悪戯な微笑を向けられ、精一杯の苦笑いで海貴也は応対した。この場にいるのも苦痛でならないのに、できるだけこちらに話を振らないでほしいと思う。


「佐野くん。もう上司じゃないんだから、素直に言ってもいいよ。亨からチクチク言われて怖かったって」

「そんなことは……」


 久し振りに友人に会えて嬉しいのか、坂口の亨いじりが止まらない。話を強制的に終わらせられない海貴也も、怖くはなかったと明答しかけたが、よくよく思い出してみると時々暴言を吐かれていたのを思い出した。


「まぁ、多少」

「おい」


 海貴也の忖度なしの回答に亨はばつが悪くなり、坂口は機嫌良さそうに笑った。


「本当は優しいくせに、亨は口が悪いから勘違いされがちなんだよね、昔から。まぁ、あながち勘違いでもないんだけど」

「ぐっちー。それ、庇ってんのかディスってんのかわかんねーよ」


「ごめんごめん」と謝りながら、坂口はまた笑っている。酒が入ると、“ブラック坂口”がひょっこり顔を出す。こうした面白い面もあるところが、坂口が好かれる理由の一つだろう。

 二人は昔の話を引き出しながら、楽しそうに酒を酌み交わす。その話に混ざりたくても、海貴也は混ざれなかった。昔の二人を知らないからではない。ビールの味も焼き鳥のタレの味もわからないほど、この時間に排斥の念を抱き続けていた。


〈帰りたい……。今すぐ帰りたいけど、誘ってくれた坂口さんの手前それは失礼だよな。でも、できればここにいたくない。何か席を立てる理由があれば……〉


 とにかく数分でもいいから、ストレスとなっているこの場から離れたかった。

 時間稼ぎのようにねぎまをゆっくり食べ、一串終わるとバッグからスマホを取り出した。


「……あ。すみません。ちょっと電話出てきます」

「こっちに気を遣わなくていいからねー」


 海貴也は靴を履いて、店の外に出て行った。本当は着信なんてない。場と時間を凌ぐ嘘だ。


「そう言えば亨。こっちには何の用で来たの?仕事?」

「いや。物件探し」

「物件?引っ越しするの?」

「自分のオフィス持とうと思って。その内見」


 大手企業のグラフィックデザイナーだった頃から、経験も実績も積み上げてきた。商品を宣伝するポスターから本の表紙デザインまで多岐に渡って作品を手掛け、称賛された。

 フリーランスも考えたことはあるが、一人では難しいという話を聞き、フリーになり他の会社と契約するか独立するかで考え、独立する方を選んだ。


「独立する時は、向こうでって言ってなかったっけ?」

「一応、候補に入れとこうと思ってな」

「珍しいね。地元なんてって感じなのに」


 亨はこの辺りの出身で、二人は予備校時代からの付き合いだ。その頃から亨は、都会に出てバリバリ働いて将来は自分の会社を持つんだと豪語していた。

 その言葉通り、亨は首都圏の大学を卒業したのち大手広告制作会社に就職。殆ど地元に帰って来ることなく働き続け、目標の手前まで来ている。高校生時代の宣言を現実にしているのだから、そのエネルギーは余程のものだ。


「どういう心境の変化?」

「別に。家賃が向こうより安いから」

「あー。なるほど」


 それは合理的な考えだと、坂口も納得した。

 愛煙家の亨は、ノースモーカーの坂口に了解を得て煙草を吸い始める。


「……アイツ、仕事どうだ?」

「佐野くん?あまりコミュニケーション能力は高くないけど、仕事は問題ないよ。他の社員とも上手くやってるし」

「そうか」

「気掛かりだった?」


 亨をよく知る坂口は、口の端を上げて聞いた。亨は煙草を片手にビールジョッキを口に運ぶと、「別に」と素っ気なく返す。


「彼、この仕事向いてるかもね。しっかりクライアントが持ってるイメージを汲み取って、根気よく取り組んでる」

「真面目だからな。あと、褒めると簡単に喜ぶから、単純な奴だよ」

「可愛がってたんだね」


 勿論、部下としての意味だ。だが、亨が海貴也を普通の部下以上に扱っていたのでは、という予想は安易だった。何故なら、亨の口から部下を褒める言葉はなかなか聞かないからだ。


「人をからかい過ぎだぞ、ぐっちー」

「もしかして、箱入りかな?」


 上機嫌な坂口は、意図もなくたわむれ口を吐いた。




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