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第三十五話




 店の営業があるジュリウスは、二人が何を話しているのか気になって仕方がない。注文を聞きながら、コーヒーをドリップしながら、テラス席の二人の背中を見た。それは、レジをやりながらも。器用に会計を間違えることはないが、数円単位の差異が精算で出そうだ。

 帰る客への感謝の言葉も、どことなく上の空。扉から出ていく背中を満足に追わず、ジュリウスは視線をしきりにテラスに向けた。


「よ。ジュリウス」

「コンニチハ。恭雪サン」


 レジにいたまま眺めていると、また恭雪がひょっこりと現れた。けれど挨拶もそこそこに、ジュリウスの視線はテラスにUターンする。

 彼が向けた視線の先に気付いて、恭雪は片方の背中を一瞥する。


「アイツ、来てるのか」

「ハイ。さっき、来られなかった事情を話してくれマシタ」

「そうか。じゃあ、やっとギスギス解消か?」

「その筈なんデスが……」


 ジュリウスが憂慮した面持ちでテラス席を見るので、恭雪ももう一度見遣った。

 海貴也の隣に座る男によくよく注目すると、何となく見覚えがあるような気がする。確かに恭雪は、二人が一緒にいる姿を以前見ていた。


「あの男……前に見た奴だ。佐野と一緒にいた奴だよ」


 恭雪が買い物帰りに見た人物だった。あの時は少し遠目だったが、髪型が同じだからすぐにわかった。


「海貴也サンの前の会社の上司なんデス。アノ方が海貴也サンの……」

「なるほど。奴が全ての元凶か。で?佐野を口説きに来たのか?」

「それはわかりマセンが、さっきから二人で話してマス」

「俺が一言言って来てやろうか。佐野に指一本出すなって」


 恭雪は親切心から提案したが、そこまではとジュリウスは騒ぎになるのを嫌がり遠慮する。


「目の前で二人が話してて、気が気じゃないだろ。帰れって言ってやるよ」

「デモ、恭雪サンが言うことデハ……」

「俺だって、少なからずお前らのゴタゴタに関わってんだ。佐野とのあんな場面を目撃しなければ、お前に告白もしなかった」


 だから俺が言うと、ジュリウスの静止も聞かず恭雪はテラス席に向かった。

 ターゲットを絞り込む。無駄に姿勢の良い背中は、都会のビル群の方が風景が似合いそうだ。

 辿り着くまでの数歩の間に、ふとした疑問が浮かぶ。この男とは、別の場所で会っているような気がした。その疑点は、テラスに足を踏み入れる直前に確信へと変わった。


「おい」


 恭雪は声を掛けた。それに反応して海貴也が顔を上げる。でも恭雪は、海貴也に声を掛けたつもりではない。その両目は、海貴也の隣の亨に向いていた。


「有間さん」

「有間?」


 亨が恭雪を見上げる。恭雪は噛み付くのかと思ったが、逆に落ち着き払っている。その口からは、やっぱりという台詞が出た。


「何してんだよ」


 すると恭雪と顔を合わせた亨も、何だお前かと返した。


「久し振りだな。恭雪」

「久し振りじゃねぇよ」


 恭雪は腰に手を当てて言い返すが、自然な雰囲気が二人の間にできている。


「え?知り合いなんですか?」


 海貴也は目をぱちくりさせながら、亨と恭雪を交互に見ながら聞いた。


「知り合いどころじゃねぇよ。この人、俺の兄貴」

「え?」

「恭雪は、俺の弟だよ」

「……ええっ!?」


 その仰天の声は、店内にまでくまなく響き渡った。


 亨のフルネームは、長谷崎亨。旧姓、有間亨。恭雪の二つ上の兄で、有間家の長男だ。

 何故、恭雪は一番初めに見た時に兄だと気付かなかったのか。それはただ単に、数年前に会った時と髪型が違ったからだった。背格好は似ていると思ったが、こんな所に、ましてや海貴也といるなんて思いもしなかった。

 話の席を店内の奥のテーブルに移動して、恭雪も同席した。兄弟は隣同士で座り、海貴也は亨の正面に座った。海貴也の目は、まだ左右を往復している。

 話し合いの舞台が店内に移されると、ジュリウスはキッチンに引っ込んでそれを見守ることにした。


「まさか、二人が兄弟だったなんて……」


 グラスに刺さったストローを口元まで持ってきて咥えない海貴也は、まだ信じられないでいる。


「外見似てるって言われたこと、あんまりないよな。俺たち」

「近所じゃ、似てない兄弟で有名だったよな。俺は父さん似で、恭雪は母さん似だよな」

「でも性格は、二人共じいちゃんの血を引いてるところがあるって、昔父さんに言われたことあったよな」

「あー、あったあった。何のことかはピンとこなかったけど」


 有間兄弟はその共通点に鈍感だが、二人を知る海貴也は何となくわかる気がした。


〈最初、有間さんに感じた馴染み感は、こういうことだったのか〉


 恭雪と面識を持った時に、何故か似たような雰囲気に覚えがあると感じたことがあったが、あの感覚の正体に合点がいった。二人が兄弟だから、まとう雰囲気が一部そっくりだったのだ。


「海貴也から近所のパティスリーの話を聞いた時に、もしかしたら恭雪じゃないかって思ったんだよ。どうだ。店は順調か?父さんと母さんの方はどうなんだ?」

「気になるなら、顔見せついでに行けばいいだろ」


 亨と話す恭雪は、何時もと雰囲気が違った。悪態を吐く彼はそこにはおらず、亨の弟の顔をした彼だった。初めて見る有間家の一部だ。


「それより、兄貴に話がある」


 ブラックのアイスコーヒーを一回啜ると、恭雪は兄に身体を向けた。


「何だ。店の宣伝依頼か?身内だからってサービスはしないぞ」

「そうじゃない。兄弟だから、ちょっと聞きにくいんだけど」


 亨から一度視線を外し、戸惑いと躊躇いを顔に浮かばせる恭雪は、慎重な心持ちで実兄に問い質す。


「兄貴……コイツとデキてたのか?」


 恭雪から出た質問に、亨と海貴也は顔を見合わせた。


「海貴也。話したのか?」

「言う訳ないじゃないですか!オレも初耳です」

「佐野がジュリウスに、昔のこと話したんだろ?俺も前に二人が一緒にいる所を見て、それをジュリウスに教えた時に俺も知った。……まさか兄貴が同性もいけるなんて、驚愕だわ」


 それは自分も同様だったという感想は、心の中で密かに思っておいた。


「有間さんは、知らなかったんですね」

「全く。想像すらしなかったわ」

「俺に幻滅したか?」

「兄貴の色恋沙汰には、とっくに幻滅してるけどな」


 恭雪は、愚兄の恋愛遍歴を知っている。それはどれもこれもろくなものではなく、歴代彼女からは贈り物でビンタを受け取っている。その理由も結末も、改めて言うものでもない。

 そう。海貴也が再会した亨が、本当の亨だ。海貴也との復縁に必死になったが故に、裏の部分が出てしまったのだ。

 だとしたら。不倫をしていた時の優しい性格は、偽りの仮面だったのだろうか。


「恋愛は自由だから、誰を好きになろうが構わない。けど、兄貴は結婚してるだろ」

「わかってるよ」

「兄貴にも常識くらいあるだろ。義姉ねえさんいるのに、男追い掛けてどうすんだよ」

「わかってるって」

「それ。面倒だと思うと聞き流そうとするの、いい加減直せよ。もういい大人なんだからやめろ」


 弟からの説教が始まると、ばつが悪くなった亨は煙草を吸おうと箱とライターを出す。しかし、中は禁煙だと恭雪に注意された。

 海貴也には、何とも不思議な光景だった。何時もは意地悪で人をおちょくっている恭雪が真面目に亨を説教し、自信家で責任感もあって頼りになる存在の亨が、聞き分けのできない子供のようになっている。普段の印象とは、まるで正反対。パラレルワールドの二人を見ているようだった。

 初めて恭雪がまともに見える。


「最近、あんまりうまくいってないことは知ってる。この前、義姉から相談のメールが来た」

「お前に?」


 亨は少し驚いた様子で恭雪を見た。メールをしているなんて、そんな話は初耳だ。それは当然だった。亨には秘密にしておいてほしいと頼まれていたのだ。


「しかも一回二回じゃなくて、去年の春くらいからなんだけどな。少し冷たくなったとか、帰りが遅い日が増えたとか、セックスレスだとか。自分の他に大切な人ができたかも、ってことも言ってたぞ」


 それは恐らく海貴也のことだ。亨の妻は、ずっと前から薄々気付いていたのだ。義理の弟に言うことじゃないだろと呟く亨は、更に居心地が悪くなる。


「セックスレスだって言われて、俺もコメントに困ったけどな。まぁ、それはもういいんだけど。この前は子育てのことで揉めたって言ってたけど、まだ揉めてるのか?」

「らしいです。話し合いも、足踏み状態みたいで」


 まともに取り合いそうにない亨の代わりに海貴也が答えると、そうだろうとは思ったけどなと恭雪まで呆れた。


「ちゃんと話し合う気はあるのか?」

「あるよ」


 肯定するが、ばつが悪い亨は目を逸らしたままだ。昔と同じことを繰り返す兄に、恭雪は疑惑の目を向ける。


「本当かよ。そう言って、わかり合えないまま別れたの何人いたよ?」

「本当にあるよ」

「なら、何で佐野に会いに来たんだよ。きっぱり別れるなら、ここにいるのはおかしいだろ。自分で女々しいって思わないのかよ。実の兄ながら、情けなく思うわ」

「あるって。今回は本当に」


 その言葉は本当であると、自分を見放しそうな恭雪に亨は強く訴える。


「だから、ここに来たんだ」


 そして、正面の海貴也に顔を向けた。

 キッチンの中にいるジュリウスは、食器を磨きながら話に耳を傾けていた。この話し合いの着地点が枠の中に収まるように、心配そうな面持ちで終わるのを待ち続ける。




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