第三十三話
海貴也の話を聞きジュリウスも安堵したが、どうしても尋ねたいことがある。それを聞かなければ、海貴也との関係のリスタートが切れないと思った。
ジュリウスの足元に、少しだけ陽光が当たる。
「……海貴也サン。聞いてもいいデスか」
「何ですか?」
「……私ハ、海貴也サンの負担になっていマセンか?」
「そんな!ジュリウスさんを負担に思ったことなんてありませんよ」
海貴也を手を振って否定した。ところが、ジュリウスの質問は止まらない。
「お仕事とお手伝いを両立するノハ、疲れマセンか?無理をしていマセンか?」
「前にも言ったかもしれませんけど、無理なんてしてませんよ。やりたいと思っただけなんで」
「それが本心デスか?私ハ、海貴也サンの今の正直な気持ちを知りたいデス」
「正直な?」
「お店に来られなくなった理由はワカリマシタ。デモ、海貴也サンが本当に私の手助けを続けようと思っているノカ、知りたいんデス」
影が揺らめく褐色の瞳は、忖度でもその場凌ぎの言葉でもなく、海貴也の本心を求めた。どっちの答えが返ってきても大丈夫なように心構えをしたが、それは無駄なことだった。
「助けたい気持ちは変わってないですよ。もし嫌だと思い始めてたら、あのまま疎遠になってたと思います。……そんなことも心配してたんですね」
「私ハ、他の人と違いマスから。少し不安になってしまいマシタ」
亨に、海貴也とは釣り合わない、期待はしない方がいいと言われてから、色んなことを考えてしまった。その果てに、アルビニズムの実情を知っている海貴也は、迷信を信じてしまったのではないかとまで考えた。
考え過ぎだというのはわかっていた。しかし、迷信を信じた人たちに遠ざけられ虐待された過去が付きまとい、不安は簡単に拭えなかった。
人の掌はすぐに返される。それを嫌になるほど味わってしまっているジュリウスには、人並みの優しさでは足りない。
〈そうか……そうだよな。ジュリウスさんにとっては、きっとオレが思ってるよりもずっと心細くて怖かったんだ〉
顧慮が行き届いていなかった上に、自分が目指す場所の道半ばだという現実に気付けなかった。海貴也はそれも今回の要因の一つだと、謝りきれないことを胸中で悔やむ。
これを、最初の償いとしよう。イメージで胸に十字を刻み、嘘偽りのない微笑みを向ける。
「ジュリウスさん。その不安は不要ですよ。疲れるとか面倒だとか、ましてや負担だなんて思ったことは一度もありません。自分から手を挙げたことなので、そこは責任を持ちます」
そう言い切った海貴也だが、「でも……」と一度視線を落とした。ジュリウスは更に不安そうにする。
「正直なこと言うと、仕事が残業続きになったりして疲れてる時もあります。けど、そんな時だからここに来たくなるんです。何時もと違うことをして、休憩時間には目の前の海を見ながら美味しいコーヒーとケーキでまったりしたり、暇な時は無駄話をして……。ここ『パエゼ・ナティーオ』は、リフレッシュさせてもらう場所なんです。オレは、手伝いのついでにリフレッシュをしに来てるんです。だから逆に元気をもらってるんで、大丈夫です」
仕事の疲れも失敗も癒される『パエゼ・ナティーオ』での時間は、海貴也にとってなくてはならないものになっていた。今となっては行きつけと言うよりも、もう一つの居場所のようなものだ。
そして何より、ジュリウスと出会い仲を深めた大切な場所。二人が繋がることができた、始まりの場所だ。ここに、これまでの二人の全てが詰まっている。
そう。海貴也が取るべき行動は、シンプルだったのだ。『パエゼ・ナティーオ』に来ることこそが大事だったのだ。ここに答えの全てがあるのだから。それに早く気付くことができれば、整理にこんなに時間は掛からなかったのかもしれない。
微笑む海貴也の様子に一つの嘘もないことを感じたジュリウスは、ようやく胸を撫で下ろした。瞳に揺らめいていた影も、スーッと消えていく。
「ジュリウスさんこそ、オレに不満ありませんか?」
「不満……デスか?」
「もし何かあるなら、この機会に聞きたいです」
今後も仲違いなくやっていけるようにと海貴也は質問したが、ジュリウスは尻込みしてしまう。思っていることを言ってしまったら、今度こそ海貴也は距離を置いてしまわないかと危惧してしまう。
「言ったラ、嫌いになりマセンか?」
「なりません」
海貴也は首を真っ直ぐ縦に振った。気構えの表れを見せてくれ、ジュリウスの心配が尻込みを思い止まる。
ふとその時、恭雪に言われたことが頭を過った。
───ジュリウス。“配慮”と“遠慮”を履き違えるな。もう少し正直になってみろよ。
口にしてはいけないと思っていた。不安も不満も、自分がこんなだから仕方がないことだと。それを吐き出すのは間違っていると。我慢しなければならないと。それが周りへの配慮だと。
しかし今、目の前で待ち構えてくれている。感情の本当の色を知りたいと。心の底に潜ませている形を見たいと。
今するのは“配慮”じゃない。けれど“遠慮”でもない。正直になることだ。
「……いいんデスか?」
「はい。遠慮なくどうぞ」
海貴也はピシッと姿勢を正して、ジュリウスに溜まった膿の捌け口になる準備をする。
海貴也ならきっと、聞いたあとも嫌な顔はしないだろう。それも海貴也への甘えになるんだろうか。そう考えながらも、「それじゃあ……」と蓄積したものを吐き出そうと心の栓を抜いた。
「夕食の約束がダメになった時、とてもがっかりシマシタ。お店に元カレの方が来た時モ、ずっとおしゃべりしてマシタよね。しかもアノ人、私を意識して海貴也サンの手を握りマシタよね。アレはちょっと不快デシタ。花火大会の時もそうデシタけど、わざわざ私の所に戻って来テ、海貴也サンに期待しない方がいいなんて言われマシタ」
〈亨さん、そんなことまで……〉
これはもう手の施しようがないと、海貴也は呆れるしかない。
「海貴也サンがお店に来なくなったのはコノ人の所為なんだと思うト、寂しいと言うカ……。花火大会モ、本当は海貴也サンと行きたかったデスし、連絡もあまり来なくなっテ、もう私の所には来ないのかなってとても不安になりマシタ。こんなに寂しくて不安になってるノニ、一向に連絡は来ないシ。かと言っテ、私からしようと思っても勇気が出なくテ……。海貴也サンとの距離が空いてカラ、恭雪サンにも色々……」
蛇口から水が出るように次から次へと不安や不満を溢していたジュリウスだったが、そこで一旦しゃべるのを止めた。
「有間さんにも、また何かされたんですか?」
「ア。……イイエ。大したことではないデス」
危うく、告白されてキスまでされそうになったことを言いそうになってしまった。これだけは隠し通さなければならない。
何故かと問われると………海貴也に嫌な思いをさせたくないからだ。
聞いた海貴也は、恐らくまた恭雪が強引にコミュニケーションをしようとしたんだろうと思っている。深く掘り下げようとはしてこなかった。ジュリウスは海貴也にまた秘密を作ってしまったことに少しの罪悪感を持つが、何とか口を噤んだ。
「とにかく。海貴也サンの負担になってるかもトカ、プライベートを犠牲にさせてしまっているかもトカ、色々考えてしまっテ。不安や心配事が、次々と増えてしまいマシタ」
「何か……本当にすみませんでした。もの凄く反省してます」
思っていたよりも多い量が吐き出され、ジュリウスは相当抱え込んでいたんだと胸が痛んだ。亨にも呆れたが自分もよっぽどじゃないかと、猛省の必要があると実感する。
「もう大丈夫デス。全て話してもらったノデ」
溜まっていた膿を吐き出せたジュリウスは、スッキリした様子だ。何時もの微笑みを見せ、海貴也もホッとして伸ばしていた背筋を丸めた。
「良かったぁ。実は、愛想尽かされてたらどうしようって心配だったんです。ジュリウスさんて怒らないから、内心は凄くムカついてるんじゃないかって。でも、今まで通り話せてホッとしました」
すっかり表情も緩めて、アイスコーヒーを啜った。
曖昧さがどれだけ自分や周りを苦しめるのかを、身に沁みて感じた。しかし、何故あんなに逡巡していたのかは未だにわからない。当時の様々な記憶が呼び起こされたことは確かだが、亨への想いが甦った訳ではなかった。
多少の未解決は残ったが、ジュリウスと疎遠にならずに済んだので深く考えないことにした。
「……話すことっテ、意外と大事なんデスね」
ジュリウスもアイスコーヒーを啜り、しみじみとした口調で言った。
「私はどうしても遠慮してしまうノデ、本心を言えないということが今まで度々ありマシタ」
「それって、体質のことで色々あったからですよね」
「そうなんデスけど。結局は自分で、周りからはきっとこう思われてるって決め付けてたからデ。ダカラ、自分から何かを発信するなんて考えたことがありませんデシタ。わかってほしいナラ、ちゃんと言葉にしないといけマセンね」
「オレもそれわかります。オレも前は、自分から何かするってなかったから……。声での意思表示って、本当は多分、凄い大事なんですよ。だからオレは、自分が言った言葉で“ジュリウスさんと繋がっていたい”って気付けたんですから」
ちゃんと相手と顔を合わせて話をすることも、関係を築くには大事なことの一つなのだろう。文字だけでは見えない相手の表情や声色───“生”の感情を間近で感じることで、その人がどんな思いでその言葉を言っているのかを知ることができる。だから海貴也は本当の亨を知り、彼と決別できた。亨を拒めなかったことは事態を長引かせる要因にもなったが、意味を為す過程になったのではないだろうか。
そう考えると、声は最強のコミュニケーションツールなのかもしれない。
「……と言うか、ジュリウスさん。気になったことが」
すると、海貴也の声音が僅かに緊張したものになった。
「何デスか?」
「オレとあの人のこと、気になってたんですか?」
「エッ?」
「もしかして、ちょっと嫉妬してました?それとも、オレの自惚れですかね」
海貴也の含羞した眼差しが、ジュリウスの反応を窺った。
ジュリウスはまた、恭雪から言われたことを思い出す。
自分が海貴也を好きなんだということを。
動揺して視線が泳ぐ。瞬きが多くなる。
「ソレハ……。そう、デスね……」
心は惑い、答えに困る。
その時、店の扉がコンコンと音を立てた。誰かが外からノックしたようだ。
気付けば休憩時間は過ぎ、午後の営業の時間に突入していた。ジュリウスは急いで席を立ち、外で待っている客を迎え入れる為に鍵を開けに扉の前に行く。
しかしジュリウスは、はたと扉の前で立ち止まってしまった。
「……海貴也サン」
「どうしました?」
ジュリウスは施錠を解き、扉を開けた。ドアベルと共に、午後の営業一人目の客が入って来る。
アイボリーのサマージャケットを着た小綺麗な出で立ちの客に、海貴也は目を丸くした。
「……と、亨さん!?」




