第二十六話
花火大会から数日後。海貴也は新たな案件に取り掛かることになり、また残業の日々が始まった。
また手伝いに行けなくなることを、ジュリウスに連絡した。体調の方も問題ないかと合わせて聞いてみたが、「大丈夫デス。気にしないで下サイ」とお決まりの定型文が送られてきた。
その何時もと変わらない文面に言い知れない不安を抱いて、花火大会の感想を尋ねてみた。ジュリウスはそれにも、「楽しかったデス。花火キレイデシタ」と短文だった。
やはり、ジュリウスの様子がおかしい。こんな素っ気ないメッセージはなかった。原因は探るまでもなく明確。亨がその原因の大元であるなら、早急に“グレー”を“ホワイト”にする必要がある。
とあるビジネスホテルの一階。ここには宿泊客だけではなく、一般客も利用できるカフェがある。昼間はパスタやケーキを提供し、夜は奥のバーカウンターでカクテルなどを楽しめるようになっている。
『えっ。前より関係が悪くなった(の)?』
店内はさほど広くない。だから客席から声が上がると、キッチンにいる店員にまで聞こえる。二人反応した。
その一驚の声を正面から受けた海貴也は肩を竦めながら、そうかもしれないと告げた。
一驚したのは、先日にも現状を相談した河西と彼の同僚の藤本。ランチのパスタを食べ終わり、その後の進捗を尋ねたところ、思っていたのと違った報告が上がってきたので思わず声を上げてしまった。
少し落ち込む海貴也に向かって、河西と藤本が身を乗り出す。
「一体何でそうなっちゃったの」
「手伝いに行けなくなったのもちゃんと謝って、許してもらえたんだろ?」
「そうなんですけど……」
「佐野くんの対応が間違ってなければ、仲も元通りの筈よね。謝ったあとに、何か相手の機嫌を損ねるようなことしたとか?」
「まぁ。確かに……。食事の約束をしたんですけど、すっぽかしちゃいました」
「それだな」
「それね」
二人同時に頷かれた。この事態の落ち度は海貴也であると、超小規模裁判でマッハで判決が下された。
「いや、でも。それにはちゃんとした理由があって!」
「何だ。言い訳か?男が言い訳なんて見苦しいぞ」
判決に控訴を求めるが、茶髪ツーブロックの原告側弁護士から言い訳の前に誠意を見せろと、裁判官でもないのに棄却される。
「誠意は見せてるつもりなんですけど……」
「河西くん。取り敢えず、理由を聞いてあげようよ」
同席していた三人の上司、慈悲深い坂口裁判長は、被告人に詳細を話すよう目で促した。
与えられた釈明の機会に、前回の相談後から今に至るまでの経緯を海貴也は話し始めた。
話していて、自分が情けなく思えてきた。脅迫されているとは言え、あの日は何とか抜け出せたんじゃないかと思えてならない。
「───それで、約束を破っちゃった訳ね」
「てか。連絡くらいできただろ。しなかったのかよ」
「なかなかそういう隙がなかったんです。連絡できたのは、約束の時間に遅れるってことだけでした」
「行くつもりではいたのね」
細長いグラスに薄切りのレモンが入った紅茶を飲みながら、藤本は真剣に耳を傾ける。ストローを持つ小指が自然と立っている。
「会う機会が少なくなってしまったので。自分から取り付けた約束でもあったし、何としてでも行くつもりでした」
「なのに潰れたのか」
海貴也は返す言葉もなく、小さく頷いた。
「で。潰れたあとに、行けなかったことをちゃんと謝ったのよね?」
「はい。……翌朝でしたけど」
釈明をするつもりがどんどん追い込まれ、言葉尻も弱々しくなる。
「一晩経っちゃったのは、ヤバいんじゃね?」
「そうですよね……」
謝罪をするとジュリウスは電話口で理解を示し、大丈夫だと言ってくれた。何時もの定型文で。その時は怒られずに安堵したが、今の河西の一言で、もしかしたら腹の中には沸々としたものがあるのかもしれないと不安が過る。
海貴也は、笑顔で謗り皮肉るジュリウスを想像してみた。
笑えそうにない想像に、やってしまったと頭を抱える。
「つーかさぁ。お前が付き合わされてる相手って、そんなに怖い人なのか?」
「怖いと言うか、圧がある感じで」
〈普段は至って優しいんだよな。仕事ができる人だから、女性からは付き合えたらラッキーって思われてたくらいで。皆、結婚してたの知らなかったみたいだけど。……でもいくら思い返しても、やっぱり前はこんな強引な人じゃなかった。脅すようなことなんて……〉
以前とは違う亨の振る舞いに疑問を持ち、幾度と過去を振り返ってみた。しかし、彼と過ごした約二年間を思い返してみても、現在の姿とダブることはなかった。今の亨は、完全に海貴也が知らない別人格だった。
「お世話になってた人って言ってたっけ。学生時代の先輩とか、会社の人なの?」
「前に勤めてた会社の人なんです」
「それは断り難いのも納得だな」
でも前の会社は他県だったんだろ?と河西が当然の疑点を投げ掛けてきたので、海貴也は坂口に感付かれないように説明した。ついでに、毎日朝から晩までLINEのやり取りがあることを付け加えた。流石にそれには変だと思ったようで、二人は怪訝な面付きになった。
「だけど、佐野くんの人間関係に支障が出てるなら、その人のことちゃんと考えた方がいいわよ。お世話になった人なら多少の付き合いは大事にした方がいいと思うけど、佐野くんが自分の本心を圧し殺してまで繋がっていたい相手なのかを考え直すことも、必要かもね」
そう言う藤本の意見に坂口は「そうだね」と同意し、所見を続ける。
「“どっちとも付き合い続けて両方と良い関係を作る”よりも、“これからも自分が本当に付き合っていきたい繋がりを選ぶ”のがいいんじゃないかな。佐野くんて人付き合いがあまり得意じゃないし、社会人だからってそんな律儀に一人一人との縁を全部持ってたら、そのうち身動き取れなくなるかもしれないよ。…あ。クライアントはそれとは別問題だから、大切にしてほしいけどね」
「繋がっていたい人を選ぶ……」
海貴也はこれまで、積極的に人付き合いはしてこなかった。それは小学校二年の時の事件が発端だが、大雑把な友達付き合いの中から厳選して付き合う人間を決めてきた。こんな付き合い方でいいのかと度々思うことはあったけれど、自分がゲイだとバレたらきっと人は離れて行く。あの時のように遠巻きにされるなら、最初から自ら距離を取って付き合うしかない。そうして薄っぺらな付き合い方をしてきた。
けれど、自分の生き方は間違っていないのだと教えてくれた。確かに、たくさんの人と交流すれば十人十色の見識を知ることができるし、それだけ自分の中の概念の形を変えられることだろう。しかし、皆が皆気が合う訳ではないし、壊滅的に相性が悪い場合もある。例え社交性を養うことが必要だったとしても、それが自分の負担になるならば思い切ってもいいのだと。
必要なものは残し、不必要なものは切り捨てる。それも有益な付き合い方の一つだろう。
「困ってるなら、一回誘いを断ってみたら?そしたら相手の出方がわかるし、もし意見が通ったら逃げられるってわかって安堵もできるじゃない。それとも、かなりの俺様キャラとか?」
「まぁ、断れないことはないんですけど。何と言うか……」
〈脅されてるなんて、口が裂けても言えない〉
そして正直に言うと、亨は若干俺様キャラかもしれないと、本人には言えないことも思う海貴也。
「どうやら、何かしらの圧力が掛かってるみたいだな。何か弱味を握られてるのか?それをちらつかされて、強引に付き合わされてるのか」
自分の顎を触りながら、安いドラマに出てくる三流俳優のように河西は推理する。坂口は感嘆の声を上げた。
「そんな感じです」
「凄いわね、河西くん」
「こう見えて、推理小説好きだからな。断れない理由をなかなか渋って言わないから、そう推測した!」
的中させた河西は、腕を組んで得意気にふんぞり返る。ついでに鼻も伸びている。
隣の藤本は河西を真顔で見ていた。そして彼に言う。
「でも。ある程度のキーワードが出ていれば、誰にでもわかったわよ。私も何となく、そうかなって思ってたし」
「折角良い気分になってたのに、鼻をへし折るようなこと言うなよ」
藤本の言葉にがっかりすると、今度は背中を丸めた。確かに藤本の言う通り、海貴也の台詞や表情を注意深く窺っていれば、誰にでも予測はつきそうだ。
へこんだ河西のフォローはせず、藤本は話を続ける。
「取り敢えず、佐野くんが脅されてるってことでいいかしら?わからないのは、そこまでして付き合わせたい理由よね」
「それは、オレ知ってるんで。でも聞かないで下さい」
「なら、何も聞かないことにするね」
「そいつが持ってるネタは、お前にとってどのくらい不利なんだ」
鼻が折れたままの河西は、テーブルに両肘を乗せて聞く。
「えっと、だいぶ……」
「結構ヤバそうなネタか?」
河西は聞き出そうとしたが、「あまり詮索しないでおきましょ」と藤本に止められた。三流俳優の名探偵よりも、助手の彼女の方が余程気が回る。
「それよりも、その人との関係をどうやってやめるかよ」
「お前も何か弱点とか知らないのか?一緒に働いてたなら、一つくらいあるだろ」
「弱点……」
そう言われても、自分と不倫したがっていることしか思い当たらない。あとは、妻子を見捨てて離婚をしたいと考えていること。しかし、どちらにしても自身が絡んでいる為、これと言って逆に脅せるようなことは思い付かない。