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第二十五話




「海貴也サンに、期待し過ぎていたんだと思いマス。私の勝手な期待ガ、気付かないうちに海貴也サンにプレッシャーを与えていたのカモ」


 自分が未熟だったから。だから、海貴也の接し方が変わってしまったんだ。何時の間にか、心も離れてしまったんだ。

 誰にも頼らない生き方が、こんなかたちで影響してくるなんて思わなかった。


「そんなん、わかんねぇだろ。お前の期待を重いと思ってるとか、アイツがそういう態度取った訳じゃないだろ」


 それなら自分は、あの世界でどんな生き方をすれば良かったんだろう……。


「……私、海貴也サンを頼るノハ、もうやめた方がいいんデスかね……」


 ジュリウスは、哀愁を帯びた瞳を落とした。諦念の予感を添えて。


「……ジュリウス。さっき何かあったのか?」


 あまりにも弱音を吐くジュリウスを、恭雪は心配した。けれど、ジュリウスは何も答えない。

 弱音を吐くのは初めて見た。これまでは強がっているか無理をしているかで、自分の弱味を見せまいとしている姿しか見たことがなかった。

 それが何故、弱気な部分を曝け出せているのだろう。恭雪には一切見せたことがなかった面を。


「───じゃあ、俺にしとけば?」


 顔を俯けていたジュリウスは、恭雪を見た。あの日の夜と同じ瞳で、見つめられている。


「アイツのことを気に病むなら、俺を頼ればいいんじゃねぇの」


 そう。()()()()()()なら、恭雪でもいい。海貴也とは契約を交わした訳ではないし、誰を頼るかは自由に選べる。そこに拘りがなければ、誰だっていい筈だ。


「俺はお前のこと、重いとか思わねぇ。毎日会うから体調の変化にも気付いてやれるし、店が近くだから何があってもすぐに駆け付けられる。仕事であんまり行けないアイツより、俺の方が頼りになる」


 中途半端な海貴也より自分の方が頼る価値はあると、決定を促すように恭雪は静かに主張した。

 しかしジュリウスは、その通りかもしれないとわかっていても、「デスが……」と否定を伴わせて恭雪から目を逸らした。恭雪は思わず眉を顰める。


「それでも、佐野がいいのか?」

「ソレハ……」


 恭雪の問いに、「ハイ」とも「イイエ」とも言えない。未熟な心は目指す場所も定まらないまま、踏み入れた闇夜のようなトンネルの中を彷徨う。


「……何で佐野なんだよ」


 眉間を更に寄せた恭雪から、心の中の本音が漏れる。


「アイツより、俺の方が一緒にいる時間長いだろ。お前の体質を知ったのも俺が先だ。なのに……」


 海貴也よりも先に出会っていたのに。海貴也よりも長く付き合っているのに。海貴也よりも絶対頼れるのに。気持ちに気付くのは海貴也よりも遅かったけれど、それ以外なら勝ってると思っているのに。


「俺とアイツは、何が違うんだ?」

「……ワカリマセン」

「……また『ワカリマセン』かよ」


 ジュリウスは、恭雪が求める答えはくれなかった。


〈コイツ、こんなに鈍いのか。恋愛経験ないと、こんなもんなのか?恋愛なんて、難しく考えるようなもんじゃないだろ。もっと直感的で非理論的なもんだろ〉


 苛立ちかけた恭雪だったが、あまりにも鈍感なジュリウスに手間の掛かる面倒なヤツだと呆れてしまった。

 鼻から大量の息を吐き出して気を取り直すと、補足と共に自分の抱懐を話し出す。


「俺はきっと、アイツよりお前のことをわかってる。アイツほど優しくはできないかもしれないが、同じものは与えられる。支えて助けることも。愛することも」

「デモ恭雪サンには、美郷サンがいるじゃないデスか」

「言っただろ。本気になれば捨てられるって。それとも、今までふざけてたから冗談だと思ってるのか?」

「そんなことハ……」

「キスを迫っておいて、嘘だったなんて言わねぇよ。相手が普通であろうがなかろうが、恋愛には何時だって真剣だ。お前を好きな気持ちは、間違いなく俺の中にある」


 冗談なんかじゃないのはわかっている。からかう時は享楽しているけれど、告白する恭雪は真摯で純粋な心持ちだと伝わってくる。そんな本気を見せられるから、ジュリウスはまた困窮して俯いてしまう。


「お前の体質を知っても敬遠せずに献身的に接するアイツを、俺は内心、少しだけ見直した。けど今は、アイツの気持ちは何処にあるかわからないし、お前のことは中途半端で疎かだ。正直、本当に真剣に考えてんのか疑問だよ」


 このままでは、本命を放置してでも付き合わなければならない事情があるとしても、それまでの献身をゴミ箱に捨てられるような男だったのだろうかと失望せざるを得ない。


「それでもお前は、アイツの方が良いって言うのか?このまま、元上司のヤツのところに行くとしても」

「ソレハ…私は……」

「ジュリウス。佐野が恋愛対象じゃないならそう言え。はっきり言えば、お前の中のその正体不明の感情も消える」


 突然現れた不安や諦めは、何処から来たのかわからない。しかし、行き着く先を定められない心は、光が導こうとしてもそっちに行こうとはしない。ひらひらと舞う蝶のように、ただ一つの求めるものを探し続ける。


「……スミマセン。やっぱり、よくワカリマセン。……デモ。恭雪サンとは、今までと変わらない関係でいたいデス」


 探しているものは、目の前にはなかった。


「………そうか」


 ジュリウスの唯一の答えに、恭雪は沈黙した。

 何となくわかっていた。ジュリウスは真面目だから、婚約者のいる自分を選ばないだろうと。それ以前に、彼の心を動かした者には勝てないんじゃないかと。意外と強情で、一度こうと決めたら変えることはない意思は、てこを使っても難しいと知っていた。

 恭雪はまた短く息を吐くと、ゴツゴツした石垣に寄り掛かった。通りはまだ、花火見物帰りの人通りがある。


「いくつかお前に質問する。───コーヒーと紅茶、どっちが好きだ?」

「……コーヒーデス」


 ジュリウスは何も考えずに答える。


「室内と屋外、どっちがいい?」

「室内デス」

「夏と冬、どっちが好きだ?」

「冬デス」

「ロックとクラシック、聞くならどっちがいい?」

「クラシックデス」

「楽しいヤツと無口なヤツ、どっちと仲良くなりたい?」

「楽しい人デス」

「ちゃんとわかってんじゃん」

「………何がデスか?」


 恭雪の質問タイムが終わっても、ジュリウスはまた「よくワカリマセン」と言いたげな眼差しだ。


「“好き”と“嫌い”の仕分け。そういうことだよ」


 ジュリウスも簡単な物事に関しては、“好き”と“嫌い”の概念を自然と得ている。成長によって、彼個人の趣味嗜好としてごく当たり前に選り分けてきた。

 ジュリウスがそれを判別できていることを確認したところで、今度は彼の手を握った。ジュリウスは少しだけ身構える。


「俺と手を繋ぐのは嫌か?」

「……抵抗がありマス」

「身体が密着するのは?」

「ソレもちょっと……嫌デス」

「じゃあ、キスされそうになった時は?どんな気分だった?」

「……思い出させないで下サイ」


 ジュリウスの眉間に、二~三本の皺が寄った。その明らかな表情を見てか、恭雪は手を離して質問を続ける。


「嫌だったか?ちょっとでも覚悟したか?」

「………嫌…デシタ」

「嫌のレベルは?顔を見たくないとか、二度と近付きたくないとか、不快を通り越して怒りが湧いたとか」

「……不快ではありマシタ。多分、怒りみたいなものモ」

「ビンタしたもんな」

「アレは、ソノ……」


 手を上げられたことに話が及ぶと、ジュリウスは慌てた。


「スミマセンデシタ。私も自分で驚いテ……」


 あの時は反射的に叩いてしまっただけで、そんなつもりはなかったジュリウスは本当に申し訳なく思っている。


「相当嫌だったんだろうな。結構痛かったし」


 幻覚の痛みに恭雪が一笑しながら左頬を擦ると、ジュリウスは恐縮するように首を縮めた。


「確かに怒りもあったと思うんデスけど……。胸の底から何か込み上げて来るようナ……胸が詰まるような感じがシマシタ」

〈なるほどね……〉


 ジュリウスのその台詞で、恭雪ははっきりさせたかった答えを見出だしたようだ。先程出された唯一の答えを合わせれば、百点満点の回答まであと一歩というところだ。

 明答はもらえなかったが、ジュリウスの胸奥にある小さな原石を恭雪は見つけた。けれどその原石は、自分が手にするものじゃない。認めたくはないが、やむを得ず手を引くことにした。


「ジュリウス。俺ほどじゃないが、お前もやっぱ質悪いな」

「エッ。どういうことデスか?」

「そのうちわかるだろ」


 恭雪らしく、言いたいことは遠回しにした。これはジュリウスの為というよりも、ノロノロと蛇行運転をする二人の関係性に苛つかされたことへの当て付けだ。恭雪はジュリウスの感情の正体に辿り着いたのだから、教えてやればそれ以上苛立つことはないのだけれど。そこもまた、恭雪らしい。

 二人は川のような人の流れに合流し、再び駅に向かい始めた。


 他人ひとから見れば抵牾しく、思わず口も手も出してしまいたくなる蝸牛かたつむりのような進捗。

 けれど、確実に漸進ぜんしんしているのなら、彷徨う心は何時の日か、すぐ側にある月のような温和な光に気付く筈だ。




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