第二十三話
「海貴也サン……」
思い浮かべていた相手が目の前に現れて目を見開いたジュリウスは、神様からのサプライズかと思った。裸足だった両足に、急いで下駄を履かせる。
「どうしたんですか、こんな所で。それに浴衣……」
「コレは、美郷サンに着せてもらいマシタ。今日も三人で来てイテ」
「そうなんですか。二人と来たんですね。……浴衣、凄い似合ってます。素敵です」
「ア…アリガトウゴザイマス」
恭雪に「キレイ」と言われた時は大して何も感じなかったが、海貴也の「素敵」という言葉は感じ取り方が何故だか違った。「キレイ」も「素敵」もジュリウスには十分な褒め言葉だけれど、その三文字に込められた気持ちも同等のものだけれど、海貴也の方が嬉しかった。
冷めていた熱が、胸の中からじんわりと戻って来る。
「海貴也サンは、一人でどうしたんデスか?」
「オレは、ついさっき着いたばかりで。ジュリウスさんこそ、こんな所で何してたんですか?」
「実ハ……」
「海貴也」
恭雪たちとはぐれたと言おうとした時、海貴也の名前を呼びながら近付いて来る人がいた。
亨だ。
「やっと来たか。遅刻するなよ」
「しょうがないじゃないですか。仕事だったんですから」
折角戻って来ようとした熱が、引き潮のようにサーッと引いていく。
亨は、ベンチに座っているジュリウスに気付いた。
「……あ。確か、あのカフェの店員さんですよね」
「エェ」
「何か、海貴也が世話になってるみたいで。俺、コイツの元上司なんですよ。最近再会して仲良くしてるんだよな、海貴也」
「ちょっと。亨さんっ」
亨は海貴也の肩を抱きながら親密さをアピールをするが、海貴也は焦って離れたがる。
「浴衣着てるんですね。俺たちも着れば良かったな。どの柄が似合うか選び合ったりしてさ。……あ。でもそんなことしたら、カップルみたいか」
「そ、そうですよ。そんなことしたら、カップルみたいじゃないですか」
“亨とカップル疑惑”がジュリウスの中で残留していると危惧する海貴也は、元上司に絡まれて困っている風に相槌し、苦笑いの懸命な笑みで払拭に努めようとする。
そんな海貴也を無視して、亨は話を続ける。
「お一人で花火見学ですか?」
「イイエ。一緒に来た人とはぐれてしまっテ」
「そうだったんですね。一体何処行ったんですか、あの人は」
足が痛くて休んでいることは、敢えて言わなかった。借りた下駄の鼻緒が汚れていないかだけを、心配した。
「連絡は?電話してみましたか?」
「それが、スマホを家に忘れてしまっテ」
「なら、オレが……」
困っているジュリウスを助けようと、海貴也はズボンのポケットに手を入れた。しかし、亨にその腕を掴まれ制止されてしまう。
「海貴也。もうすぐ打ち上げ始まるぞ。早く座って見られる場所行こう」
「あ。でも……」
「折角来たんだから、ちゃんと見たいだろ」
「そうですけど……」
そんなことよりも、目の前に往生しているジュリウスがいるのに放っておくのは忍びない。けれど、亨が腕を引こうとする。
「向こうの階段がまだ空いてるから、そこ行こう」
あまり亨に逆らわない方がいいのはわかっている。でも、このままジュリウスを見放すのも薄情というもの。
どちらを優先すべきか決め倦ね、ジュリウスを見遣った。すると、彼は微笑んだ。
「私なら大丈夫デス。ココにいれバ、会えると思うノデ」
「でも……」
「海貴也サン。私のことは気にしないで下サイ。ソノ人と花火、楽しんで下サイ」
「ジュリウスさん……」
「だってさ。子供じゃないんだ。心配いらないだろ。ほら、行くぞ」
ズボンのポケットに入っていた海貴也の手を引っ張り出し、亨は有無を言わさずに海貴也をその場から剥がした。
「ジュリウスさんっ」
後ろ髪を引かれる思いで海貴也は引っ張られた。人影に遮られていくジュリウスは、微笑みながら小さく手を振っていた。
夕間暮れの時間もとうに過ぎ、海岸を照らすのは沿岸に立ち並ぶホテルなどから漏れる灯りと街路灯の照明。
開始時間が間近に迫った会場は、更に人が多くなっていた。座る場所探しを諦めて、遊歩道のフェンスに寄り掛かっている見物客もいる。
海貴也の手は、亨に引っ張られ続けた。
「亨さん、待って下さい!」
亨は、一度も後ろを振り返らない。
「海貴也。お前は、俺と花火見に来たんだろ」
「亨さん……」
他の見物客にチラ見されながら大階段まで来て、亨は立ち止まった。
「ちょっと落とし物したわ。さっきの所かも。探して来るから先座っててくれ」
「えっ……」
戸惑う海貴也を放り出し、亨は踵を返した。
サンデッキに戻って来ると、まだジュリウスがいた。履き直した下駄をまた脱いでいる。
亨は物を探す様子もなく、ジュリウスの前に立った。海貴也を連れず一人で戻って来た亨を、ジュリウスは怪訝な顔付きで見上げる。
「あの。一言言いたくて」
「……何でしょうカ?」
「間違ってたら謝るけど……アンタ、普通の人じゃないでしょ?」
ジュリウスは僅かに動揺する。
亨は、彼がアルビニズムの人間だということに気付いていた。
何を言われるんだろうと、ジュリウスは身構える。
「やっぱりそうなんだ。仕事柄、色々調べたりもするんでね。別に、だからどうって訳じゃないんだけど。常人には、アンタのことなんて全部理解できない。アンタはどう思ってんのか知らないけど。だから、あんま期待しない方がいいと思うよ」
ほぼ初対面の自分を相手に、一体何のことを指して言っているのかよくわからない。
「……アノ。何のこと……」
「俺たちとアンタが見てる世界は違う。どれだけ時間を一緒に過ごそうが無駄だ」
「無駄……?」
「普通の人間とアンタじゃ釣り合わない」
つまり、牽制だった。
亨は、海貴也のジュリウスへの想いに感付いている。だから、間違いが起こらないように言った。ジュリウスが海貴也をどう思っているのか関係なく、予防線は事前に張っておくことに意味があると判断したのだ。
それだけ言い捨てて、亨はまた人混みの中に消えていった。
足が痛い。皮が捲れたところが、ズキンズキンと疼く。
そこへ、亨と入れ違うように恭雪と美郷が現れた。
「いた!お前、こんな所にいたのかよ」
「……恭雪サン。美郷サン」
うっかり忘れそうになっていたが、ジュリウスは二人を捜している最中だった。そして、なかなか来ないジュリウスを心配して恭雪と美郷も捜していたのだ。
「全然来ないから、心配してたんだぞ」
「でも良かったぁ、見つかって」
美郷は心底安堵していた。その左手にはコンビニの袋、右手にはアイスを持っている。
「心配を掛けてスミマセン」
「お前、下駄脱いでんじゃん。疲れたのか?」
「イイエ。歩いていたラ、鼻緒が擦れてしまっテ……」
足を見せたら、美郷がすぐに提げていた巾着から絆創膏を出して貼ってくれた。鼻緒は汚れていなさそうだった。
絆創膏をしたら、ジンジンしていた痛みが少し大人しくなった。恭雪からは、ペットボトルの気遣いがあった。
二人と再会して、少しずつ熱の潮が戻って来る。
「無事に合流できたところで、花火何処で見る?良い場所空いてっかなぁ」
「でも、もうすぐ打ち上げの時間よ。ここで良いんじゃない?座れるし」
石のベンチは座り心地は良いとは言えないが、遮る物もなくて丁度良い。花火が打ち上げられる時間まであと数分だったので、三人はその場で見物することにした。
花火を待つ人たちを退屈させない為なのか、J-POPが流れる。その中で、冷めてしまったコンビニのホットスナックを三人でシェアした。焼き鳥は多分始めて食べる。ジュリウスは、今度はできたての温かいものを食べたいと思った。美郷は、溶けてしまう前にもう一本のアイスを食べた。
そして開始時刻が目前に迫ると、アナウンスで十秒前からのカウントダウンが始まる。
「……5、4、3、2、1、」
「0!」と同時に、花火の打ち上げが始まった。
景気付けに金色の大玉花火が骨に響く音を鳴らして花開かせると、見物客からは歓声が上がった。それを皮切りに、何発もの花火が夜空に上がり始めた。
恭雪もアイス食べていた美郷も、色鮮やかで迫力のある夏の象徴に釘付けになる。
大きな円を描くもの。枝垂れ柳のようなもの。星のようにチカチカしながら消えるもの。種々様々に光を放ちながら、矢継ぎ早に人々を楽しませる。
音が反響してあちこちから聞こえる。まるで花火に囲まれているようだ。
「きれい……」
夢のようにひとときだけ咲く花の如く、次々と咲いては散り、散っては咲く。その光が、黒い海にもう一つの世界を生み出す。
その美しさはそこにいる全ての人の視線を奪い、魅了する。ひたすら目に焼き付ける人。写真に収める人。指を差して幼い子供の記憶に留める人。その誰もが、同じ時、同じ景色を共有している。
ジュリウスも、漆黒の空を彩る散り花を見上げる。
けれど何故か、どこか心寂しかった。
隣には、恭雪も美郷もいる。なのに、世界でたった一人になってしまったような気になる。
身体に響く筈の音も、遠く聞こえる。
自分の心を満たす何かが、足りなかった。
それでもジュリウスは、周りに合わせるように、美しく散る儚い花を見届けた。




