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第二十話




 注文のドリンクを出し一段落すると、新たな来客を知らせるドアベルが鳴った。


「こんにちはー」


 音程の高いドアベルに負けないほどの、明るい声が入って来た。挨拶をしながら店内に入るのは、恭雪か山科夫妻しかいない。しかしその声は、どちらでもなかった。

 ジュリウスは客の顔を見ると、一段階、表情を明るくしながら出迎える。


「美郷サン。イラッシャイマセ」

「久し振り。ジュリウスさん」

「お久し振りデス」


 美郷とは、二回ほど顔を合わせていた。恭雪からも、彼女が婚約者だと紹介されている。

 彼女の正体を知らない海貴也は、テーブルを拭きながら親しげな二人の様子に目をそばだてた。


「元気そうね。お店の場所、忘れてなくて良かったわ。お寺の中だから、覚えやすいわよね。あ。これ、お土産。私が作ったチョコレート。あとで食べて」


 小さい紙袋を渡されると、お礼を言いながらジュリウスは受け取った。前にも土産でもらって食べたことがあり、カカオの香りが引き立つとても口溶けの良い美味しいチョコレートだった。今回も食べるのが楽しみだ。

 ジュリウスに土産を渡すと、美郷はその表情を観察するようにじっと見つめる。


「ジュリウスさん、前より表情が明るいかも。何かいいことがあったの?」


 去年末に会った時と印象が違うことに気付き、美郷は嬉しそうに聞いた。ジュリウスも、「そうデスね」と表情を綻ばせた。


「マタ、帰って来られたんデスか?」

「えぇ。用事があったから、休暇をもらったの」

「恭雪サンには会ったんデスか?」

「勿論。私用が終わったから、休暇の間お店の手伝いをせてもらうわ」


 不自然さを醸し出すことなく、笑みを交えながらジュリウスは会話する。これまでの人生で感情を隠す場面が多々あったので、造作無いことだ。勿論、美郷への申し訳なさもあるし、気が咎める思いもある。

 けれど、恭雪にされたことは彼女には隠さなければと判断した。恭雪の罪が公にならず事が全て丸く収まれば、円満に二人は結婚できる筈だから。


「……ジュリウスさん。お知り合いですか?」


 そこに、親しげな仲が気になり過ぎた海貴也が、我慢できずに二人の間に入って来た。


「新しい店員さん?」

「イイエ。友人の海貴也サンです。時々、お店を手伝ってくれているんデス」


 今はそうなのだから仕方がないとわかっているけれど、「友人」と紹介されて海貴也はちょっと切なくなった。


「海貴也サン。こちらは橘美郷サンで、恭雪サンの婚約者の方デス」


 紹介されると、この人がそうなのかとまじまじと美郷の顔を見てしまった。

 第一印象は、恭雪には勿体ないんじゃないかと思うほどの美人。にっこりと微笑まれると、少女のようなあどけなさが顔を出す。こんなスレンダー美人がよくあの人格を持った男と付き合ったなと、彼女に感嘆する思いだ。


「初めまして。有間さんには、お世話になってます」

「恭雪を知ってるのね。迷惑掛けてない?」

「そんなことないです」

「ちょっと口は悪いかもしれないけど、良い人だから。これからも仲良くしてあげて」


 もう既に恭雪の妻を自覚する雰囲気を醸しながら言われると、「こちらこそ」と返した。半分は社交辞令だ。

 話も一区切りすると、美郷はキッチンカウンター前の席に座り、アイスカフェラテとフルーツサンドを注文した。注文を受けたジュリウスは、キッチンに入って調理を始める。

 海貴也は美郷にお冷やとおしぼりを出して、少ない備品のチェックをしようと思った。

 そこに、またドアベルが鳴った。チェックに行こうとした足を止めて、海貴也は振り返った。


「いらっしゃいま……」


 最後まで言い切る前に、目と口を開いたまま表情は固まった。


「と…亨さん!?」


 なんと、客として亨が現れた。仰天する海貴也の声に、キッチンにいたジュリウスも何だと振り向く。


「ど、どうしてこんな所に……」


 驚きを隠せない海貴也は、亨の頭から足まで視線を往復させる。目をしばたたかせながら本物かどうか確認するが、自信に満ちた面構えは偽者ではない。


「海貴也がいるかと思って。てか、何でエプロンしてんだよ」

「ちょっと、手伝いを」

「何処でも座っていいんだろ?」

「はい。どうぞ……」


 海貴也が戸惑っていることは気にも留めず、亨は迷わず奥の窓際の席へ進む。海貴也はその後ろを付いて行く。


「亨さん。何でここに……」

「その前に、注文していいか。喉が渇いた。あっついわ今日」


 右手を団扇代わりにして扇ぎながら、亨は猛暑に嘆く。

 海貴也はメニューを案内すると、アイスコーヒーの注文を受けた。


「……アノ方と、お知り合いなんデスか?」

「えっ」


 注文を通しに行くとジュリウスに尋ねられ、海貴也の目が泳ぐ。最初に名前を呼んでしまったから今更他人だとは言えず、前の会社の上司だと苦笑いしながら正直に答えた。


「どうしテ、辞めた会社の方がこんな所ニ?」

「さ、さぁ……?」


 当然の疑問に首を傾げる海貴也。だが、理由を一番知りたいのは海貴也だ。こんな夢にも思わなかった事態、今すぐこの場からずらかりたい。

 ジュリウスと亨が一緒の空間にいるというシチュエーションは、絶対に発生しないと思っていたのに。まさか現実になろうとは、思いもしなかった。ジュリウスが店に立っていない日ならまだ良かったと一瞬思ったが、やっぱり遭遇しそうだから結果良くない。

 元上司の来訪には疑問だろうが、まさかこの人物が元カレだとはジュリウスは思わないだろう。もしバレてしまえば、ドタキャンの理由から脅迫まで芋づる式に知られてしまいそうだ。ただでさえ後ろめたさで微妙な距離感になっているのに、秘事が明るみに出ればジュリウスとの関係が危ぶまれてしまう。

 とにかく、ボロだけは出さないようにする。海貴也は、亨との関係が悟られないように徹することに決めた。

 ドリンクの前に、お冷やとおしぼりを亨のテーブルに持って行く。テーブルに置いてすぐさま離れようとしたが、決心した傍から亨に手首を掴まれた。


「な、何ですか」

「座ってけよ」

「いや。でも、営業中なので」


 ジュリウスの視線を気にしながら、海貴也は断ろうとする。幸いにも、ジュリウスはこっちを見ていない。


「少しくらいいいだろ」


 自分の正面の席を叩きながら、亨は座れと催促する。断り続けたところで、掴んだ手は離れそうにない。

 これは言うことを聞くしかないと諦念の印に肩を落として、エプロンを付けたまま大人しく亨の正面に座った。

 亨は渇いていた喉を水で潤すと、店内をぐるりと見回す。


「いい雰囲気の店だな。こんな所にあるなんて、いわゆる隠れ家カフェってやつだな」


 相手の胸中など知らず、亨はのんきなものだ。観光気分でも味わっているのだろう。

 海貴也は仕事をさぼって申し訳ない心待ちだったが、それよりも、何故亨がここにいるのかが不可解だった。だって彼には、連絡先は教えても住所は教えていないし、カフェの存在を教えても場所の詳細は言っていない。


「……どうして、ここがわかったんですか」

「ちょっと、お前のスマホで見た」

「勝手に人のスマホ見たんですか!?」

「てのは嘘だけど」


 思いきり個人情報保護法に引っ掛かるんじゃないかと驚いたが、刑法に問われそうな手法はこれ以上はまずいと思ったのだろうか。

 本当は、海貴也と仲の良かった白瀬に聞いたらしい。どうやって聞き出したかは教えてくれなかったが、快く住所を教えてくれたと言う。彼の社内での評価が、悪い方向で生かされたようだ。


「今住んでる所教えろよって言っても、どうせ教えてくれないだろ」

「それは、まぁ……」

〈そりゃあ、確かに教えないけど……。白瀬あいつ……〉


 まさか元同僚経由で知られることになるとはと、売られた気分だった。悪意はなかっただろうけれど、余計なことをするなと恨みたくなる。

 亨は煙草が吸いたくなったが、あいにく店内は全席禁煙だ。テラス席なら大丈夫だと海貴也は案内したが、暑いからという理由で亨は喫煙を諦めた。

 ヘビースモーカーの彼の服には、何時も煙草の臭いが付いていた。そんな些細なことも、会話の断片から思い出せた。




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