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第十七話




 夏本番の月、八月。カンカン照りの太陽に、真っ青な空。相変わらずうるさく鳴き散らす蝉に、プールにはしゃぐ子供たち。真夏でもあれだけ走り回れる子供を見て、よくもまぁと呆れる一方で羨ましくなる大人も多かれ少なかれいそうだ。

 『パティスリー・ヤス』の店頭にも、夏らしいスイーツがラインナップされている。中でも、マスカットのゼリーは大人気だ。

 ジュリウスに試食をしてもらったあと中の層の味を少し改良し、レアチーズの層の上に薄くレモンソースを挟んだ。そうしたことで爽やかさが増し、売れ行き好調となった。一人で何個も買って行く客もいる。

 冷房が効く作業場で、恭雪はせっせとゼリーを作る。もう一人のパティシエに粒マスカットの砂糖コーティングを任せ、透明カップに白と緑の層を重ねていく。


「オーナー。お客さんですよ」


 店頭に立っている従業員から呼ばれ、直ぐには手が離せないから客には少し待ってもらった。切りが良いところまで作業を進めると、あとの行程はもう一人に任せることにした。

 帽子を取りながら店頭に出ると、イートインスペースに赤いキャリーケースがあった。肝心の客は何処だろうと店内を見回す前に、恭雪の名前を呼ばれる。


「あ。恭雪」


 だいぶ下の方から聞こえて視線を落とすと、ショーケース前にしゃがんだ長い髪の女性が笑顔で手を振っている。


「ただいま~」

「えっ。おま……」


 恭雪は驚いた。この美人こそが、交際を始めて四年目となる恭雪の婚約者の橘美郷。ショコラティエールで、現在はフランスで三年間の修行中の彼女は、コンクールでの入賞経験もある将来有望な逸材だ。


「何時来たんだよ。てか、連絡くらいよこせ」

「半年振りに会ったっていうのに、お帰りの一言もない訳?…あ。半年じゃなくて、七ヶ月か」


 挨拶に不満をたれた婚約者に「お帰り」と言うと、美郷からも「ただいま」と改めて挨拶を返した。


「今忙しいの?」

「あぁ。ゼリーの追加分を作ってるところだ」

「あそこの『夏の風~マスカットゼリー』って言うやつ?」


 ショーケースの上段で、照明の光を受けてペリドットのようにキラキラしているゼリーを美郷は指差した。整列しているものは、あと三つしかない。


「良かったら食うか?」

「うん、食べたい。他にもオススメがあったらちょうだい」

「いくつ食べる気だよ」

「私が甘い物好きなの、知ってるでしょ」


 それは言わずもがなだ。

 二人は元々、職場の先輩と後輩だった。時々休憩が同席になると、日替わりで甘いものが和洋中問わず彼女の前にあり、幸せそうに食べていた。付き合い始めてデートをする時も、食後にスイーツは当然だった。

 まさに、恭雪以上になくてはならない相棒と言ってもいいかもしれない。ショコラティエールになったのも、甘いもの好きが高じてだった。

 美郷のリクエストを受けた恭雪は、マスカットゼリーの他に、同じく夏の新作のバレンシアオレンジのムースケーキと一押しのアップルパイを選んで、アイスティーと一緒に出した。

 彼女にはケーキを食べながら少し待ってもらい、作業場に戻った。

 ゼリーは、あとは冷やすだけとなった。次は焼いてあったスポンジで、なくなりそうなケーキを作る。時刻は午後なので、あとは様子を見ながら追加を作るか考える。

 数十分後。一区切り付いたので、再び店頭に出た。美郷の方を見ると、さっき出した三つのケーキが皿の上からすっかり消えている。


「美郷。どうだった?」


 アイスティーを啜りながら、美郷は恭雪を見上げた。


「ごちそうさま。新作のゼリーとムース、美味しかったわよ。アップルパイも美味しかったけど、好みとしてはシナモンをもう少し利かせてもいいわね」

「参考になります。ショコラティエール様」


 恭雪はお礼を言うと、コック帽を取って美郷の前に座った。

 すぐ横の窓から強い日差しが差し込んでいたので、ブラインドを三分の二くらい下ろした。隙間から差し込む陽光を、グラスが反射する。マーブル模様になった影が、白い皿に映り込む。


「つーか、急に来るなよ。帰って来るってちゃんと連絡しろ」

「ごめん。恭雪を驚かせようと思って。貴方が驚く顔を想像したら、ワクワクしちゃった」


 帰って来ることは先月聞いていたが、詳しい日時は教えてもらっていなかった。近い日になればちゃんと言ってくれるだろうと待ち構えていたから、予想外の恭雪は余計に一驚した。


「それにしても、夏に帰って来るなんてどうしたんだよ。毎年年末だろ」

「親戚の法事があってね。急遽、休暇もらって帰って来たの」


 帰国の理由を聞いた恭雪は、「そうなのか」と少し湿っぽくなる。

 法事は昨日終わり、まだ身内でない恭雪の参列は必要ないと判断したので、報告も事後となった。


「サプライズもいいけど、荷物もあったんだろ?連絡くれれば、空港まで迎えに行ったのによ」

「毎回そうだから、たまには違う帰り方にしようかなって思い付いたの。でも、サプライズの成功率は八割ってところかしら」


 一見、成功したように見えるが、彼女の評価は満足とまでいかなかったようだ。頬を突いて、不完全燃焼だと顔で言う。


「大成功だっただろうが」

「確かに成功したけど、恭雪が意外と驚かなかったから、私的に満足はしてないわ」


 恭雪が驚いたのは間違いない。けれど、美郷が恭雪のリアクションに不満を訴えているのは、驚いた時の表情が百パーセントの喫驚ではなかったからだ。

 彼女に、隠さなければならないことがある。婚約者を差し置いて、心のベクトルを他にも向けてしまっていることを。それが再会の初っ端で、驚きの中に混入してしまっていた。


「いやいや。驚いたって」


 恭雪は動揺しかけるが、美郷に見抜かれてはいけないと平静を保つ。しかし、肯定しつつも視線は彼女の目から少し逃げている。


「ほんとに~?」


 それに疑念を抱く美郷は、眉頭を寄せて恭雪の顔を覗き込む。それに身を仰け反らせそうになりながらも、「本当だって」と再度肯定した。

 それ以上追求されると、ボロが出てしまいそうだった。美郷に凝視されるほんの数秒の体感時間が、通常の三倍くらいに感じる。

 しかし、危ないところで美郷の追求はストップした。


「……ま。恭雪は淡白だもんね。誕生日祝っても真顔だし、このお店のオープンにお花贈っても、お礼の言葉が素っ気なかったからねー」


 三年以上付き合ってきたからこその解釈に、心から安堵した。


「言っておくが、ちゃんと感謝の気持ちはあるからな」

「結婚する相手なんだから、そのくらいわかってるわよ。もしそんなことも理解してなかったら、私たち交際の時点で破綻してるわよ」


 何とか疑念は消えてくれたようだが、現在の恭雪の心情を知ったらそれこそ破綻しかねない。漏洩したら、両家親族を巻き込んで大事件になる。


「どれくらい滞在するんだ。何時も通り半月か?」

「ううん。今回は一ヶ月よ。お世話になってたお店に顔を出して、ずっと会ってなかった友達にも連絡したから会って来るわ」


 今日の宿泊先も、近場の温泉宿を予約した。日本の温泉に入るのが楽しみらしい。ヨーロッパの温泉施設にも行ったことはあるが、水着着用だから温水プールに入った気分だったと、日本人には少し物足りなかったみたいだ。


「明日からは?また色んな店のはしごして、チョコレートばかり食うのか」

「人の楽しみを、ふざけた娯楽みたいに言わないでくれる?それにチョコレートばかりじゃないし、仕事の一環よ」

「流石に毎日じゃないだろ。遊ぶのか?」

「勿論よ。この辺りの海きれいだから、一度潜るつもり」


 仕事を兼ねたスイーツ店巡りも、大好きなダイビングにも行く。けれどそればかりでは、折角帰国したのに恭雪といる時間がなくなってしまう。その時間をどう賄おうかと思い、美郷は計画を立てていた。


「それ以外なんだけどね。……恭雪に、ちょっと提案なんだけど」

「何だよ」


 美郷は可愛らしく両頬を突いて、少女のような瞳で恭雪を見つめる。


「私、ここで働いてもいい?」




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