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第十六話




 夕食のあと、二人は手分けして片付けをしていた。

 恭雪の店も閉店時間だというのに、ジュリウスが戻った方がいいと言っても恭雪は大丈夫だと能天気に答えた。ただでさえカフェにちょくちょく顔を出しているのに、自分の店を疎かにしていないかとジュリウスは少し心配だ。

 任せるということは従業員を信頼しているのだろうけれど、果たして従業員の方はこんな経営者で不満はないのだろうか。


「にしても、アイツがドタキャンて珍しいな。どれだけ時間に遅れても、約束は必ず守りそうなのに」

「今日は仕方がないデスよ。食事は何時でもできマスし、マタお店に来られるようになると言っていたノデ」


 寛容なジュリウスは、恭雪のようにへそを曲げたりしない。我が儘を言ったりして、誰かを困らせるようなこともない。思ったことをそのまま言うこともないし、ちゃんと相手を思い遣れる。恭雪とは正反対だ。

 けれど、何故かこの二人はうまくいっている。恭雪が一方的に煮え返ってなんてことは過日以前にもあったりしたが、何せジュリウスが鷹揚で冷静な頭の持ち主だから、対立しても炎はすぐに収まってしまう。

 恭雪が炎なら、ジュリウスはぬるま湯。しかも、いくら強火で焚いても全く沸騰しないから炎は太刀打ちできず、空気が足りなくなって種火になってしまうのだ。折り合いを付けているところもあるだろうが、案外良いバランスが取れているのかもしれない。

 テーブルを拭いて回っていた恭雪は、置きっ放しになっていたジュリウスの本を見つけた。


「この本、お前のか?」

「ハイ。そうデス」


 おもむろにパラパラと捲ってみるが、ピーマンが食卓に出た子供みたいな顔をする。

 椅子に座りながら、どんな話なのかとキッチンのジュリウスに聞いた。

 ジュリウスが読んでいるのは、小学生の男の子と女の子のほのかな恋物語だ。不登校で引き籠もっている九歳の男の子が、ある日二つ年上の女の子と友達になる。人見知りの男の子は次第に彼女に心を開いていき好意を持つようになるが、彼の生来の性格で彼女との関係をどう進展させていくのかが気になる作品だ。


「話の終わりは、どうなるんだ?」

「マダ最後まで読んでいないノデ……。男の子は自分の気持ちに気付いてるんデスけど、伝えようとしないでいたらそのまま……」

「へぇー。まるで……」

「…?何デスか?」


 偶感が浮かびその端が口から出たが、「何でもねぇよ」とただの独り言として恭雪は処理した。

 洗った食器を拭き終わり、ジュリウスがキッチンから出て来る。


「この本の話じゃないけどよ。アイツはお前に献身的になってるけど、他の付き合いもちゃんとできてんのかよなんて思うんだよな。今日の誘いも、本当は断りたかったんだろうけどさ」

「……そうデスよね。海貴也サンは海貴也サンで、会社の方や友達の付き合いがあるんデスよね。海貴也サンが言ってくれたカラ、私はお手伝いをお願いしてイマスが……」

〈ソレハ、海貴也サンのプライベートを犠牲にさせてしまっているのかもしれナイ……〉


 ジュリウスは海貴也の優しさが嬉しかったから、彼の厚意に甘んじた。体調不良はずっと悩みの種だったし、店の急な休みを補えるならと受け入れた。

 けれど、恭雪に指摘されて初めて気付いた。海貴也の意思に、自分の意思を委ね過ぎてはいないかと。


「まぁ。アイツが好きでやってることなんだから、別にいいとは思うけどな。犠牲にしてるなんて思ってないだろうし」

「デモそういう意味デハ、今日は会社のかたを優先されて良かったってことデスよね」


 今日、約束が果たされなかったのは結果的に良かったんだと、ジュリウスは海貴也の利益になることを受容した。ジュリウスは融通の効かない性格でもない。


「まぁ…そうだといいんだけど……」


 なのに、恭雪は不安を誘う一言を呟いた。


「何カ、気になることがあるんデスか?」


 恭雪が畳んだテーブルクロスを畳み直しながら、ジュリウスは聞いた。しかし恭雪は「あー。うん。まぁ、そうだな」と、彼にしてはらしくない歯切れの悪い応答をした。

 自分でも気持ちの悪い答え方だと思ったのか、数秒の間が置かれると、明答の前に答え合わせをするように恭雪からも問い掛けられる。


「……この前の土曜日、買い物に行った時に佐野を見掛けたんだけどさ。アイツ、仕事って言ってたか?」

「ハイ。ソノ日は仕事だト、メールで言ってマシタ」

「そうなのか……」


 ジュリウスの質問と関係がなさそうな不可解な質問と回答のあと、恭雪は視線を伏せて黙ってしまった。すぐ質問の意図が話されるのかと思ったのに、口が閉ざされたことでジュリウスは気になってしまう。

 海貴也がどうしたのだろう。仕事だと言っていたのは間違いないが、恭雪は何を見て気掛かりになっているのだろう。


「恭雪サン?」


 ジュリウスは振り向き、催促するように名前を呼んだ。すると、恭雪も再び口を開く。半ば深刻な面持ちで。


「……いや。その時なんだけど、一緒に上司らしき男といたんだけどな……。やけに仲が良いというか、親密でさ。そいつが佐野と肩組んだり、アイツの腰に手を回したりしてて……」

「……」


 話を聞くジュリウスは、相槌を忘れた。


「お前に言うことじゃないと思ったんだけどな。お前ら、そういうんじゃないし。それに、俺の勝手な想像かもしれない。でも、あの感じはそう見えた」

「………そう…デスか………」


 ジュリウスは、四つ折りになったテーブルクロスを見つめる。

 沈黙が流れる。ラジオのBGMもない中、時計の秒針の音だけが静かに響く。

 波の音も今日は聞こえない。しかし確実に、砂浜に繰り返し寄せている。訪れた静寂の邪魔にならないように、白波を立てて。

 暫くして、恭雪が沈黙を破る。


「……ジュリウス」


 釣られるように、ジュリウスも口を開く。


「私以外にモ、仲が良い人がいたんデスね。……そうデスよね」

「なぁ」

「私、すっかり甘えてしまっていたノデ、海貴也サンのプライベートまで気が回りませんデシタ」

「なぁ。ジュリウス」

「それならそうと言ってくれたら私モ……」

「ジュリウス」


 何かを押し切るようにしゃべり続けるジュリウスを、恭雪は少し強引に止めた。そして立ち上がるとジュリウスの背後に立ち、「あのさ」と前置きする。


「……俺がお前を好きだったら、どうする?」

「エ?」


 突然のことに驚き、ジュリウスは振り返った。褐色の両目を丸くして、恭雪を見る。


「……恭雪サン…?」

「俺はもしかしたら、お前が好きなのかもしれない」


 恭雪ははっきりそう言った。言葉は曖昧ながらも、その目は真っ直ぐジュリウスを見ている。真っ直ぐ、真剣な眼差しで。


「……何時もの冗談デスか?」

「冗談じゃない」

「……そう言っテ、マタからかうんじゃ……」

「本気だ」


 それは、聞かずとも見れば明らかだった。からかうような口元でも、どんな反応をするか楽しみにしている目の色でもない。

 あの時と同じだった。

 海貴也が好きかと問い詰められた時と、同じ面持ちだった。

 恭雪が本気で告白しているのだとわかると、ジュリウスは困惑の表情を浮かべる。


「……デ、デモ。婚約者がいるじゃないデスか」

「あぁ。そうだな」

「……おかしいデスよ。恭雪サン」

「そうかもな。でも気付いたんだ。お前を好きかもしれないことに」


 困り果てたジュリウスは、首を数回浅く横に振る。


「……恭雪サン。冷静になって下サイ」

「十分冷静だ」

「はっきりしてないナラ、考え直せマスよね」


 恭雪が一歩近付くとジュリウスは後退できず、太股の後ろがテーブルに当たった。


「アイツがお前と近い間柄になったと知った時、何で俺じゃないんだと思った。何で俺じゃダメなんだと。やり方は違ったが、俺だってお前の為に色々考えた。それなのに、俺よりも後に知り合ったアイツの方がお前と親しくなったのが、腑に落ちなかった」

「恭雪サン、やめて下サイ」

「その理由が、ずっとわからなかった。それがあの時───佐野がお前じゃない奴と親しくしていたのを見た時に、やっと解けた」


 ジュリウスの心境の変化があったり纏う空気も変わってきて、嬉しくはあった。だがその反面、何かスッキリしないものがあった。それの出所は判明しても原因は不明で、歯の間にずっと食べかすが挟まっている気分だった。

 その答えが、ふいに目の前に現れた。想定内の人物から、予想もしないかたちで。


「ジュリウス」


 恭雪は、ジュリウスの腕を掴んだ。その途端、ジュリウスの腕は石膏のようになる。そこから石膏部分は広がり、ジュリウスの自由を奪っていく。


「お前は、アイツが好きか?」

「……」


 ジュリウスは、タイムリープをしていると錯覚する。しかし、同じことは繰り返されない。


〈もしその目に、アイツしか映っていなくても〉

「俺も見てくれ」


 恭雪の顔が近付く。

 密室。誰も───二人の関係性を知る者は、ここにはいない。

 畳んだテーブルクロスが、ぱさりと床に落ちた。




「We are petals of the diagonals」④



 ケビンはすっかりマリーと仲良くなり、内向的だった心も彼女の前ではだいぶ扉が開かれるようになった。

 会話も、これまではマリーの話を聞く一方だったが、最近は好きなヒーローの話をしたり一緒にゲームをしたりする。ケビンの好きなものに、マリーも興味を持ってくれた。

 遊ぶのはいつも家の中。マリーは活発な子で、外で遊ぶのが好きだった。でもケビンは正反対。けれども彼女は、無理に外に誘い出すことはしなかった。ケビンが外で遊ぼうかと気を利かせて言っても、部屋で人形遊びもよくしているから大丈夫と気遣いを被せた。

 そんなある日、遊びに来てくれるマリーに「友達とは遊んでるの?」と聞いた。するとマリーは、


「大丈夫よ。友達とは、学校で毎日会っているから」


 と、笑顔で答えた。

 彼女は、ケビンの家に足しげく通っている。来る時間を考えると、学校が終わってすぐ寄り道もせずにまっすぐ来ている。つまり、彼女の放課後はケビンに費やされていることになる。

 それがわかった途端、マリーの交遊関係が心配になった。だから友達と遊んでいるかと尋ねた。


「僕のことは、あまり気にかけなくてもいいよ?」


 自分のせいで友達を蔑ろにさせてしまって、その影響で彼女から友達が離れてしまっても、自分は仲を取り持ったりなど責任は取れない。だから無理はしないでほしいと、心配になった。

 一瞬、マリーはきょとんとした。けれど、また口角を上げ、


「何を言っているの?私は友達に会いに来ているのよ」


 と、碧い瞳が見えなくなるくらい目を細めて笑った。マリーは、自分を友達だと思ってくれている。ケビンの心は、たったそれだけで温かくなった。

 マリーは、小学校にあがってからの初めての友達。この性格でなかなか友人関係が築けなかったケビンにとっては、生まれて九年で初めて友達と言える相手だ。しかも、恋をするのも初めて。友達と好きな子が同時にできたのは、とても幸せなできごとだ。

 友達ができて良かった。それは本当に嬉しいのに、気持ちを顔に写し出すことはできかった。その屈託のない笑顔を見ると、ケビンは少し切なかった。




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