第十一話
日曜日の夜。約束通りに、亨とニ度目の再会を果たした。
店はグルメサイトで検索して、駅から程近い商店街の中にある鶏料理専門店を予約した。
市民に愛されている商店街は、とても栄えている。昔から構える老舗をはじめ、チェーン展開する有名カフェやドラッグストア、何故か多いジュエリー専門店、某大手百貨店などが軒を並べていて、平日でも買い物客で賑わう通りだ。
飲食店もあるので、夜になると立ち寄るサラリーマンも多い。金曜日からの三日間は特に、酔っ払いがそこかしこにいる。そんな二面性を持つエリアだが、治安は悪くない。
海貴也と亨は、再びあの銅像の前で合流して向かった。店に入ると、半個室に通された。
席は全て仕切られていて、隣の席とは簾で別けられている。通路を挟んだ向かいでは団体で飲み会をしているようで、時々、大笑が湧いてくる。
「海貴也はこの店、来たことあるのか?」
「いいえ。初めてです。亨さんが好きそうだと思って選んだんですけど……ここで良かったですか?」
「全然。俺の好み、覚えてたんだな」
亨は嬉しそうに言った。外さなかったのは良かったが、まだ好みを覚えていたことを海貴也は不覚に思っていた。
「どれも美味そうだな……。見ろよ。骨付きの半身焼きとかあるぞ」
ラミネート加工されたメニュー表を亨は指差した。赤い“オススメ”の文字と、焼いた鶏の大きな写真が目を引く。雛鳥と親鳥の二種類があるらしい。他のメニューとは別に用意されていると、特別感が出るから不思議だ。
二人は店員を呼び、生ビールとからあげの盛り合わせとサラダ、それから、骨付きの半身焼きは身の柔らかい雛鳥を二つ注文した。
「───今日も、物件を探しに来たんですか?」
「あぁ。今日、二ヶ所目の不動産屋に行った。向こうで探したやつと比べて、その中から選ぼうと思ってる」
「良い物件、見つかりそうですか?」
「まぁな。……ん。これ美味いな。何処の部位って言ってたっけ?」
からあげの盛り合わせを食べていた亨は、せせりを気に入ったようだ。海貴也も同じ部位を食べて頷いた。
けれど、亨と同じくらいの感動はなかった。ずっと、何で自分がここにいるのかわからない。
「……どうした海貴也。腹減ってないのか?」
どこか元気がない海貴也を、亨は気にする。そうじゃないですと、海貴也は作り笑いで誤魔化した。
「………あの……奥さんは、大丈夫なんですか?もう臨月なんじゃ……」
「今はあいつの話はやめろよ。折角忘れてたのに、メシが不味くなる」
話題を厭う亨は、不機嫌そうに半身焼きにかぶり付いた。噛み切れなかった皮が伸びて、映画で見た賊の食事シーンと完全にダブる。
「ごめんなさい……」
亨の機嫌を損ねてしまった海貴也は畏縮した。
気掛かり続けているあの時現れた亨の一面を、もう一度確認してみようと思って聞いたが、やはり知らない彼は存在しているようだった。妻との不仲も事実だ。
けれど不仲が事実だとしても、今は大事な時期だと思った。別れた時に、確か妊娠三ヶ月だと言っていた。もう十ヶ月経っているから、間もなく出産の筈。何時赤ちゃんが生まれてもおかしくないのに、亨は本当にこんな所で油を売っていていいのかと心配だった。
噛み砕いた肉をビールで流した亨は、意気消沈する海貴也を見遣ると、眉間に寄せていた皺を引かせた。
「いや。……あいつなら大丈夫だ。今は実家に帰ってる」
それを聞いて、まさかもう手遅れで、出産直前にも拘わらず別居状態になってしまったのかと考えた。
しかしそうではなく、実家がある田舎で生みたいと言い一時的に帰っているだけだった。出産後も妻は暫くは向こうにいると言う。
まだ処置が間に合う段階で良かったと、取り敢えず海貴也は安心した。危うく、自分との過去の不倫関係がバレたのかという妄想にまで発展するところだった。
「まぁ、俺の仕事も不規則だし、世話してくれとか家事を手伝ってくれって言われてもできないからな。その方が俺も助かる。それに実家なら母親もいるから、困った時は助けてくれるし。つーか、もうそのままずっと実家にいてくれてもいいんだけどな」
確実に本音だった最後の一言は、からあげと一緒にビールで流すことにした。
「……因みに予定日は?」
「海貴也。口の回り」
なるべく彼の妻の話をして危機回避を試みる海貴也だったが、亨に口の端を指されて気が逸れた。さっき食べたサラダのドレッシングが付いていることを、教えてくれている。
亨が口の右側を指していたので、海貴也も右側を拭いた。
「違う。こっち」
「え?」
自然に亨の手が伸びてきて、海貴也の口の左側を親指で拭った。
海貴也の心がざわりとする。
「口の回り汚すってガキかよ」
ドレッシングが付着したその指をペロッと舐め、亨は声を出して笑った。海貴也はすぐに、拭われた口元を紙ナプキンで擦った。
彼の笑顔を見て、時々からかわれたことを思い出した。普段はクールなイメージの亨だが、海貴也が弱い下ネタでからかっては眉をハの字にして笑っていた。他の部下には殆ど見せない、海貴也だけが知っている一面だった。
すると亨は、箸を置いて真剣な面持ちになる。
「……海貴也。急に別れたことは、本当に悪かった。実はお前のこと、少し心配してた」
「……心配、してくれてたんですか?」
「あぁ」
その心遣いは少し意外だった。別れた不倫相手のことなんて、すぐに忘れていると思った。一度は完全に繋がりを絶った相手のことを気に掛けるなんて、していないと思っていた。
そう言えば、再会した時に亨は言っていた。別れた時はまだ海貴也が好きだった、と。
心配してくれていたことを、海貴也は喜びたかった。けれど、感情はその逆だった。
「……だったら。何で最初から、本当のこと言ってくれなかったんですか」
「言ったら、付き合ってくれなかっただろ」
「当たり前ですよ。亨さんが結婚してるって知ってたら、付き合ったりしなかった!」
簾越しに座る客や、通りすがる店員に聞かれるリスクを忘れて、海貴也は声を張った。面責する眼差しを亨に向けて。
海貴也にそんな目を向けられたことに、亨はいささか驚いた。
「海貴也……」
「オレがどれだけ傷付いたかわかりますか?実は既婚者で、奥さんに子供ができたから別れようって……。身勝手で一方的過ぎますよ」
「そうだよな」
「あんな別れをしたから、オレは会社を辞めたんですよ?普通に付き合って別れたならまだしも、不倫ですよ?」
「……悪かった」
ずっと焦心していた胸中を吐露され、亨は初めて海貴也の思いを知った。
別れ話をした時も、その後職場で会った時も、海貴也は亨を責める言葉を一言も言わなかった。非難する眼差しを向けるどころか、視線を合わせてくれなかった。それは別れた相手と職場が一緒だから、ただ気まずくなっただけなのかと思った。
改めて自責の念を抱き、詰問を受け止めた。
「……もういいですよ。だいぶ気持ちはリセットできたので」
亨の自省は海貴也にもわかった。彼は本当は、そんな酷いことをできる人ではないと知っているから。