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第一話




“恋”が、よくわからない。

“好き”の在処を、見失いそうになる。



 降り続いた雨を凌ぎ、長い夜を越え、陽春の光に眩しく迎えられた。


 充足の日々。

 夏の熱になってやって来る、過ぎ去った冬。

 甦った季節が、結びかけた糸を解いて迷夢めいむに誘い込もうとする。


 また降り始める、陰雨。

 霞み始めた、太陽が指した未来。

 手から離れかける、希望のひと欠片。


 心が望むのは、過去の残骸か。それとも、未来に繋ぐ約束か。



 星の願いは、幾つもの想いの先に─────







 * * * * *







 とある小さな町に、海を臨んでひっそりと佇むカフェがある。店名は『パエゼ・ナティーオ』。そこの店主のジュリウスと、海貴也は出会った。

 ジュリウスの出身は、アフリカ大陸の東に位置するタンザニア連合共和国。国民の殆どが黒人で、世界遺産の国立公園がある自然豊かな国だ。

 彼も本来なら、周囲と同じ色で生まれてくる筈だった。しかし、神様の悪戯か、正反対の色で生まれてきてしまった。

 『先天性白皮症』(アルビニズム)。彼が生まれ持った個性の名前だ。

 それ故に、彼は故郷で死と隣り合わせだった。養父に巡り会ったおかげで将来も掴んだが、幾度も立ち止まりながら夢を挫折しかけた半生だった。

 それでも、単身で来た日本でも夢を追い続けられているのは、ここで見つけた大切な出会いがあったから。

 それは海貴也も同じ。ジュリウスとの出会いで、それまでの自分から脱却できることに気付けた。


 季節は変わり、春。二人は新たな気持ちで暖かな日々を迎えた。






 GWが過ぎた、五月中旬の土曜日の午後。急に夏日の気温を記録したのも相俟って、お寺に来ていた人々が少し『パエゼ・ナティーオ』にも流れて来ていた。

 と言っても、全部で十八ある席が満席になることもないので、そこまで忙しくはならない。何時もの土日祝日の来客数に比べると約一.五倍だが、元々の客数が少ないのでちょっとありがたいくらいだ。


「ありがとうございました」


 そんな、何時もより稼働している店を切り盛りしているのはジュリウスではなく、彼と同じエプロンを付けた海貴也だった。注文聞きから、調理、会計、洗い物までを一人でこなしている。

 ジュリウスの体質を知り、彼の体調不良の原因を知った海貴也は、「少しでも支えになりたい」という言葉通り、先月からカフェの手伝いを始めた。仕事もあるので毎日とまではいかないが、休日を中心にジュリウスの体調次第で手伝っている。


「アイスのブレンドが二つと、二層のチーズケーキと、みかんとグレープフルーツのタルトですね。少々お待ち下さい」


 手伝いを申し出た時に、コーヒーの淹れ方からサンドイッチの作り方まで、休憩時間や営業終了後に叩き込んでもらった。更には自分でサイフォンを買い毎日自宅で自主練もして、何とか店で提供できるコーヒーを淹れられるようになった。

 ジュリウスと全く同じ味になっているかは……常連客から苦情が来ていないところを見ると、寛容な心の持ち主のようで助かっている。

 時間は午後ニ時半。残っていた三人の客が帰って行った。掛け看板を【CLOSED】にひっくり返しテーブルの上を片付け始めると、奥の廊下からジュリウスが顔を出した。


「あ。ジュリウスさん。大丈夫ですか?」

「ハイ。おかげさまデ」


 ワイシャツを着ているということは、最初は店に立っていたようだ。今は顔色も悪くない。


「お店は大丈夫デシタか?」

「はい。何時もより少し来店は多かったんですけど、問題なく」

「それじゃあ、お昼休憩にしましょうカ」


 海貴也は洗い物に取り掛かり、ジュリウスは二階のキッチンで昼ご飯の準備をする。ジュリウスが準備をしている間、洗い物が終わった海貴也はコーヒーを淹れる。この流れが休憩時間のお決まりになっていた。

 食べるのは一階のカフェスペースで。今日のお昼は、SNS映えしそうなオープンサンドだ。


「───で。何でまた有間さんがいるんですか」

「そろそろ休憩時間だと思って」


 しれっと恭雪がいるのも、もはや日常だ。カフェの休憩時間を狙って、しょっちゅうジュリウスの手料理にありついている。以前は朝以外に来ることは殆どなかったが、最近になって来るようになったとジュリウスも不思議がっている。勿論、海貴也も良い気はしない。


「お腹空いたんなら、自分のケーキ食べればいいじゃないですか」

「自分の為に作ってんじゃねぇし」

「オレだって、有間さんの為にコーヒー淹れてないんですけど」


 恭雪に向かって不服を放つ海貴也を、「いいじゃないデスか」とジュリウスは宥める。


「来ると思って多めに用意してありマスし。さ。食べマショウ」


 ジュリウスの何時もの微笑みで海貴也は一旦引き下がり、三人で食事を始める。

 コーヒーを好んで飲まなかった海貴也だが、自分で淹れるようになってからはミルクティーよりも飲むようになった。苦味が苦手だから、砂糖とミルクは欠かせないけれど。


「……これ、美味しいですね」

「さっき下準備くらいはできたノデ、グラタン風にしてみマシタ。他ハ、チーズにハチミツをかけたものト、ミートボールをホールトマトで煮た簡単なものデス」


 グラタン風のオープンサンドは、潰したじゃがいもとベーコンを缶のホワイトソースと混ぜ、仕上げに粉チーズをかけてある。チーズとハチミツはパンに塗ったマスタードがアクセントになっていて、トマトソース煮のミートボールはブラックペッパーが振りかかっている。


「うまいな。マジで」

「喜んでもらえて良かったデス」

「今度、店に差し入れてくれよ。金払うから」

「ソレハ、ちょっと難しいト……」

「何でだよー。手間賃も上乗せするし」


 そういう話じゃないんじゃないかと海貴也は思った。

 のんびり営業だから時間はあるかもしれないが、一人でやっているのだから急に忙しくなった場合には無理ではないだろうか。ジュリウスの体調もあるし、諸事情を承知していない恭雪ではないと思うのだが。


「何だったら、俺が身体で払ってもいいぞ」


 アイスコーヒーを飲んでいた海貴也は、思わずむせた。「身体で払え」はわかるが、「身体で払ってもいい」が恭雪の口から出るのは驚愕だ。


「…っ。何言ってるんですか!」

「バーカ。冗談に決まってんだろ。そんなことに反応するなんて、童貞かお前は」


 恭雪が鼻で笑う。真に受けた海貴也は、またからかわれたらしい。


〈またハラスメント発言……〉


 ジュリウスとの接し方は大体理解した海貴也だが、恭雪とは未だにうまくいく予感がしない。海貴也にとってはあまり接点がなかった性質の為に、今のように本気と冗談の区別が付き難い。

 おまけにジュリウスに、対人コミュニケーション改善という大義名分のもとにセクハラをしていた事実で、“信用ならざる男”のレッテルを接着剤で貼ったままだ。


「つーかお前、自分の仕事はいいのかよ。おざなりになってんじゃねーの?」


 海貴也の隣でミートボールのオープンサンドを大口で頬張りながら、恭雪は横目を流した。海貴也がカフェを手伝っていることは恭雪も勿論知っていて、朝ケーキを配達に来る時に顔を合わせることもある。


「大丈夫ですよ。本職は忘れてないんで」


 恭雪に負けまいと、海貴也もチーズとハチミツのオープンサンドに食らい付く。


「本当は、やっぱ仕事がキツくて辞めたんじゃねぇの?」

「辞めてたら、毎日来てますよ」

「毎日来るくらいなら、ハロワ行けよ」

「ハロワ通いながら、ここに来ますよ」


 視線を合わせる二人の間に、火花が見えそうだ。その線香花火のような喧嘩が目の前で展開されても、ジュリウスは焦りもしない。


「二人共、随分仲良くなりマシタね」


 寧ろ、和んでいる。


「いや。仲良くなんて……」


 こんな、人を小馬鹿にすることを生き甲斐としているような人と仲が良いなんて思われたくない海貴也は、是が非でも否定したかった。が、それも邪魔をするのが横にいる変面パティシエ。海貴也の心中お構いなしに、肩をがっつり抱いてくる。


「仲良しだよなー?もう友達だもんなー?」

「はい?」

「お友達が増えて良かったデスね。海貴也サン」


 不快さを表したい海貴也だが、ジュリウスにほっこりされてはこの場は笑うしかない。引きつり笑いがバレないように気を遣う。


〈何か、ジュリウスさんが喜んでる……。微笑まれたら、有間さんはあんまり好きじゃないですなんて言えない〉


 決して空気が読めない訳ではないが、自分と似ている海貴也に自分以外に話す相手ができて嬉しいのだろう。

 ジュリウスの表情は、以前よりも柔らかくなった。我慢して塞いでいたものを解放したことで、自然な表情を見せるようになった。その変化は海貴也も恭雪も気付き、お互いに喜ばしいことだった。


「……そうか。コイツがいるってことは、今日はジュリウスの体調悪かったのか」

「昨夜、雨降りましたからね」


 以前からあったジュリウスの体調不良は、雨の所為だった。幼い頃襲われた時に、雨が降っていた。だから、雨が降ると当時のことを思い出してしまい、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が出てしまうのだ。

 それが判明してから、海貴也は天候が悪い日はジュリウスに電話し、体調の確認をするようになった。手伝えるのが朝からであれば、ジュリウスの代わりに食材の買い出しに行ったりもする。ボランティアだから報酬はなく、代わりにこうして食事をもらっている。

 けれど、最近のジュリウスの症状も少しは軽減されているようで、急に倒れることもなくなった。ちゃんと休めるようになるなど、生活環境が改善されたおかげだろう。


「もう大丈夫なのか。無理すんなよ?」

「アリガトウゴザイマス。恭雪サン」


 三個目のオープンサンドに手を出しながら、恭雪は心配りする。

 因みにジュリウスの昔の話を知らなかった恭雪は、彼の体調不良がPTSDだと気付いていなかった。時々顔色を悪くしているのは、ストレスが起因しているのだろうかとは考えていたが、流石に殺されそうになったことがあるとは想像していなかった。


〈有間さん、ジュリウスさんには優しいところあるんだよな。オレには相変わらずだけど〉


 ジュリウスの真実を知ってからの恭雪は、以前のようなコミュニケーションをジュリウスにしなくなった。その代わりに体調を配慮する言葉を掛けることが多くなり、一応優しい面もあるんだったなと海貴也が再確認する場面もある。

 こうして鉄格子が取り払われたことで、少しずつジュリウスを取り巻く環境が変わり始めている。ジュリウス自身も、そして彼に出会った海貴也も、自分の過去を見直したことで新たに現れようとしている未来へ向かおうとしている。




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