speak of devil〜噂をすれば影がさす〜
西洋にはspeak of devil、という言い回しがある。
「悪魔のおしゃべり」……日本の言葉で言えばそう、「噂をすれば影がさす」というやつだ。
正真正銘の悪魔こと、黒井シエルの登場もいつだって悪魔じみている。
つまりは、善晴が、
『――そういえば、シエルのやつは何してるんだろう?』
と思い浮かべた瞬間に小悪魔シエルは彼の前に現れるのだ。
実のところ、それには簡単なカラクリがある。
『悪魔レーダー』を使っているのだ。
……馬鹿みたいな冗談だ、と思われる話だけれど、本当だ。
誰かが不道徳を願うとき。
誰かが悪魔を呼ばうとき。
いつでもそれに応えて不道徳を撒き散らすことができるよう、悪魔を思う声を察知する「悪魔レーダー」を、シエルは所持している。
ちなみにその「悪魔レーダー」であるが地獄からの支給品、つまりは公共物なので、テ●ラが合計20センチくらい貼られている。ダサい。悪魔的にダサい。
ベタベタと過剰なまでに貼られたテプ●。
多くのデザイナーの労苦を無に帰し、景観を損ねるものとして普及したこれはシエルが近年、世界(おもに日本)に広めた悪であり、地獄で毎年開催されるベスト悪事アワードの特別賞を受賞した。
まさか地獄に逆輸入されることになるとは思っていなかったシエルは、己の悪事を深く後悔したのである。
べたべた貼ってるテ●ラは、ない。あまりにも、ない。
シエルは可愛い服も、おしゃれなアイテムも好きな小悪魔である。
今日だって、悪魔には似つかわしくない清楚系お嬢様ファッションの代名詞である空色ワンピースがバッチリ決まっているはずだ。
黒髪ロングは良い文明。
シエルちゃんに、悪魔的によく似合う。
(まあ、こうやって可愛くしてるとこいつが、褒めてくれるからなんだけどね。言ってやらないけど。ぜったい、言ってやらないけど!)
シエルはじっと善晴を見つめる。
しけた酒屋の店じまいの何が面白いのかは知らないが、随分と上機嫌に見える。
じっ……と見つめるシエルの視線に気がつかないのは、今やっている作業に夢中だからだ。
いつだってそうだ。
アニメにラノベに同人誌、その前は俳句とかいうのにはまっていて、松尾なんちゃらとかいう俳人に傾倒していた。
あまりにも馬鹿だと思ったので、シエルがからかいついでにつけてやったアダ名があった。
『ぷっふふ☆ そんな貧乏生活なんて可哀想〜。このかしこくキュートな小悪魔シエルちゃんが、カワイソーなカワイソラくんとでも呼んであげようか♪』
――なんてからかっていたのだけれど。
「……まさか、河合曾良とかいう名前で歴史に名を残すとか思わなかったし。ほんと馬鹿。なに気に入ってんのよ、あんなアダ名っ」
「ん、なんだ黒井シエル。いま何か呪詛を吐いたように聞こえたぞ」
「なんでもないですぅ〜」
店じまいを終えてツカツカと歩み寄ってきた善晴に、シエルはぷいっと顔を背けた。
ふむ、と善晴は首をかしげる。
3000年の付き合いだが、自分とシエルは天使と悪魔。
いわゆる敵同士だ。
いつも付きまとわれているので、なんとなく、遠からぬ関係の相手のように感じてしまうけれど。
「お前。最近やけに頻繁に俺のとこに来るくせに、いつもちょっと拗ねてるの何なんだ?」
「はぁ〜? べっつに、その、頻繁に来ているのはただ、お真面目な天使様を誘惑してやろうと思っているだけだしっ!?」
「……ふむ。たしかに、その両手に持った買い物袋の中身は魅惑的だな」
善晴は近所のちょっとお高いオーガニックスーパーの小洒落たビニル袋を覗き込む。
「なるほど、鶏肉に、にんにくに、生姜に玉ねぎ。小麦粉と……長ネギ? こ、これはっ!!??」
「ふふん、シエルちゃんの偉大なる計画をお分かりかしらっ!?」
「……まったくわからん」
がく、とシエルは肩を落とした。
善晴は、食べるのは嫌いじゃないが料理はからきし分からなかった。
というのも、天使である善晴はそもそも物を食べるという行為が生存のために絶対必要というわけではない。
敵陣営のエージェントである黒井シエルが、何かにつけて寄ってきてはなにかと美味いもので『誘惑』してくるので自分で料理をするという経験をせずに3000年経ってしまったというのもある。
「ふふん。唐揚げよっ! この唐揚げをあんたの家で作って、このカロリーで誘惑してやるわっ!」
「ええっ、昼の弁当にも入ってただろ!?」
善晴は首をかしげる。
2食連続で唐揚げ? たしかに、大好物だけれど。
「甘いわね。あれはまだまだ発展途上だったのだわ」
「発展途上? 昼の弁当の唐揚げ、めちゃくちゃ美味かったけど」
「〜〜っふぇ!?」
ぽぽぽっ、とシエルが顔を真っ赤にした。
美味い唐揚げを提供して誘惑してのなお善晴を堕天させられないことを恥じているのだろうか? と、善晴は呑気に考える。
さらに夕食で攻勢をかけるとは、相変わらず仕事には真面目な悪魔である。
その勤勉さで持って人間を誘惑すれば、もっと地獄での評価を上げられるんじゃないのだろうか……と思わなくもないが、立場上そういうアドバイスはしないでおく善晴である。
赤くなったり青くなったりしていたシエルは、こほんと咳払いをする。
「と、ととととにかく……よりカラッと、よりジューシィに、より美味しく仕上げることができるはずなのよ!」
「おおお、向上心っ!」
「さらにっ、この長ネギで塩ネギタレを作って油淋鶏風にする予定なのだわっ!」
「すげえな!?」
「さっきあんたの部屋に忍び込んで、ぴかぴかごはんも炊きたてになる予定よっ!」
「計画性の鬼!!! いや悪魔!!!」
「ひれ伏すといいのだわ!!」
「俺は悪魔にひれ伏したりはしない」
「ちっ」
「いま舌打ちしただろ」
清楚な水色ワンピースをなびかせてめちゃくちゃ悪い顔をしたシエルに、善晴は苦笑いをした。
そうして、あることに気づく。
「っていうか、シエル。持つよ、それ。重いだろ」
善晴はひょい、と高級な紙袋をシエルの細い腕から奪う。
悪魔とはいえども、女の子の細腕に持たせるには、ちょっとズッシリしすぎている重さだった。
「……あぁっ!?」
先ほど赤くなったシエルの頬が、さらに真っ赤に燃え上がる。
はわ、っはわ、……と妙な声をあげるシエルにかまわず買い物袋を片手にスタスタと歩いていく善晴の背中に、シエルは「ちょっと、天使クン!!!!!??」と悲鳴をあげる。
(ちょ、え、え、え、なになにそういうのずるいんですけど!!!)
そんな。
いきなり荷物持って歩いてもらえるなんて、そんな。
(天使のくせに……っ、なんでいっつも、ずっと、私に優しいのよっ!!!)
シエルが火照る頬をパタパタ仰ぎながら吉晴の背中を追う。
「めっちゃおいしい悪魔の唐揚げでっ、今日こそ誘惑してやるんだからねっ!!」
「ははは、楽しみにしてるよ。あ、うちのビールも冷やすか?」
「っ、最高……っ」
シエルはこのところ「清楚系」にハマっているので、イメージ戦略としての禁酒をしていたのだけれど、
キンキンに冷えたビールとあつあつの揚げたて唐揚げ、という提示されたイメージの前には無力だった。シエルは誘惑にあっけなく負けた。
「よおし、そうとなったら急いで帰るか。俺に続け〜、この悪魔め!」
「っ、見てなさいよ、この天使っ!!! あんたのことだって、いつかバッチリ誘惑してやるんだから!!」
夕暮れ、下町、商店街。
走る天使と、追う悪魔。
商店街のおでん屋のおばちゃんが、「今日も仲がいいこと」と笑いながらちくわを袋につめて。