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これは天使の取り分です。




(まったく、シエルのやつ朝から誘惑につぐ誘惑を……あいつも業務には忠実ということか。仕事に真面目なのはいいことだな、……いや、悪魔だからダメか?)


 さて。


 悶々としつつも、出勤である。

 この悶々も、何千回と続く善晴の日常の一コマなので。


 善晴(よしはる)の仕事は、「人間社会にて慎ましやかに正しい暮らしを送ること」である。慎ましやかな暮らし、というものには当然、勤労も含まれる。


 祈り、働け。

 これが、天界(かいしゃ)の方針だ。


 そして、労働に勤しむということは、当然それにともなう通勤というものも存在している。


 スーツをピシリと着こなし、おしゃれな本革の通勤用リュック(善晴が某国の軍隊にいたときに支給された年代物だ)を背負って街を歩く。


 天界(かいしゃ)からの支給で何不自由なく……というか高級タワーマンションに住める程度の稼ぎがある善晴であるが、働くことが業務内ならば仕方がない。

 そして、そして善晴は今の仕事を気に入っているのだ。


「よーし、今日も頑張るぞ」


 住まいのドアを出てから、かっきり30分後。

 ラッシュアワーもなんのその、身体によいヘルシーな徒歩通勤の果て。

 善晴は隣町の商店街にたどり着く。


「おはようございます」


「あらまあ。おはよう、ヨシハルちゃん」


 古びた小さな酒屋。

 【初台屋(はつだいや)酒店】

 大小様々な酒瓶の並ぶ棚の奥のカウンターから、ひらひらと手を振る美女。


 初台彩乃(はつだいあやの)さんだ。


 きれいに手入れされた茶髪から爽やかなオレンジ色のジェルネイルの施された爪の先まで、こざっぱりとしたファッション。失礼ながらこんな古い酒屋には似つかわしくない。

 どちらかといえば、キャリアウーマン然としている。


「ヨシハルちゃん、はやめてください。俺もいい歳なんですから」


 いい歳(3000歳)の天使としては、30歳にもなっていない妙齢の女性に「ちゃん付け」されるのは少しはずかしい。


「ふふふ、ごめんごめん。いやあ、でも毎日ありがとう。本当に助かっちゃうよ。一日中座ってるだけなんて、私だったらおかしくなっちゃう!」


 気にした風でもなく彩乃さんは笑う。

 酒屋の祖母からこの店を引き継いだ彼女は、午後から彼女の仕事(フレックスタイム、という制度を導入しているらしい)に向かう。

 かなりの高給取りらしく、善晴にも1日あたり3万円という破格の給与を支払っている。


 午後から夜まで、この店のカウンターに座っているのが善晴の仕事だ。

 客足のほとんどない店内。

 21時の閉店まで読書したり、ラジオを聞いたりして過ごすのだ。


 いわゆる、店番である。


「じゃあ、わたし行ってくるね。……あ、そうだ。伝えとくね。ヨシハルちゃん」


「はい?」


「先月の売り上げ、この店始まって以来の新記録だよ! ヨシハルちゃんが店番してくれるようになってから、めちゃくちゃ順調なんだよ!」


「そうですか。お役に立てたなら嬉しいです……っていっても、俺はなにもしてないですけど」


「またまたぁ! やっぱり、爽やかで素朴な男子が店番ってのがいいのかもね……その、あえてのリーマンっぽいスーツもいい感じなのかな」


「さあ、どうでしょう」


「頼りにしてるよ、ヨシハルくん。じゃね」


 ひらひらと手を振って颯爽と出かけていく彩乃。

 善晴は曖昧な笑みで見送った。



 さて、仕事の始まりだ。


 ……といっても。


 夕方になると、必ず現れる常連客……目を惹く美少女、いや、小悪魔の登場までは、カウンターの中で悠々自適に過ごしているだけなのだけれど。


 実のところ、新記録だという売り上げのほとんどは、黒井シエルによるものである。


 悪魔は酒を好むのだ。


 そして……。


「ふむ、今日はこれを味見するかな。『木曜日のノラネコ』、クラフトビールか。いい名前だ」


 天使も酒を好むのだ。


 客のやってこない小さな酒屋のカウンターで朝からクイッとクラフトビールで喉を潤しつつ、読みかけのライトノベルのページをめくる。

 これが、韮沢善晴(にらさわよしはる)の仕事である。


 ちなみに余談だが、酒樽で発酵中に減る酒のことを『天使の取り分』と呼ぶのであるが――それはまた、別のお話。

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