第8話
幽霊船の中は廃船同然の外側から想像できないほど豪奢だった。
床には赤いビロードの絨毯が敷かれ、内壁には高級そうなオーク材のようなものが使われ、天井には水晶で出来たシャンデリアまでかかっている。ダイランド邸も豪華であったら、ここはそれ以上だ。
ただ高さに制限がある船内なので、背の高い海賊は思わず頭をぶつけそうになっていたが。
廊下をしばらく進み、さらに階段を降りる。
外を見た時には大きな船だと思っていたが、船内はその予想以上に広かった。
やがて廊下の突き当たりにある部屋まで到着すると、ホシノはその部屋の扉を開ける。
一際大きく精緻な細工が施された扉だけで、その先がこの船にとって最も重要な場所であることは誰の目にも明らかだった。
【アビゲイル様、お連れしました】
「うわ……」
扉の先の光景に、康大は呆けたように言った。
この部屋は食堂であるらしく、部屋の中央には楕円形の白いテーブルクロスが乗った大きなテーブルがあり、その周りにはいくつもの椅子が連なっていた。重要なのはそのテーブル上で、魚料理、肉料理、さらにデザートや酒瓶など、さまざまな種類の料理が所狭しと、さらに今さっき完成したかのように湯気を立てて並んでいたのだ。
ハイアサースの喉が思わず鳴る。
最後の食事からそれなりの時間が経っていたので、今にも飛びつかんばかりの顔をしていた。
「ハイアサース」
「わ、分かっている!」
康大が窘めると、ハイアサースは食事から目を逸らす。
本能で生きている海賊達もハイアサースと似たようなものであったが、こちらもソルダの厳しい眼光で料理には飛びつかなかった。
【ようこそ皆さん】
テーブルの一番奥、ホスト席に座っていた人間が、康大と海賊達を迎える。
アビゲイルという名前から連想できる通り、それは女性だった。
生きていたら歳はハイアサースより少し上くらい、白い髪に病的なほど白い肌をした美しい女性で、その中で爛々と輝く大きな赤い瞳だけが強烈な印象を与える。彼女も上流階級を連想させるような煌びやかなドレスを纏い、この豪華な場所にそぐわぬ気品ある雰囲気を持っていた。
尤も康大にとっては、
(良いおっぱいだ……)
大きく胸が開いたドレスから、こぼれ落ちそうな巨乳こそが重要であったが。
無意識に鼻の下を伸ばす康大。
鉄仮面越しでもそれが理解できた婚約者と忍者は、思い切り白い目をした。
そんなだらしない康大をよそに、ソルダは康大達を押しのけ、ずかずかとアビゲイルに近づく。
そして何を思ったのか、康大がしゃぶりつきたかったその巨乳を、いきなり揉みしだいた。
「な――!」
【お、お客様!?】
康大は絶句し、ホシノは取り乱したが、された方のアビゲイルは優雅な微笑みを讃えたままだ。ホシノを手で制し、平然を貫いている。
ソルダはその反応を見て、つまらなそうに指を離した。
「冷てえ女だ。あらゆる意味でな。これじゃあ立つもんも立たねえ」
おそらく彼女の体温が著しく低かったのだろう。
しかしおっぱい星人の康大は、巨乳というだけで冷たかろうが温かろうが揉めば立つ自信はあった。
「お前本当にどうしようもないな」
今度ははっきり口に出して婚約者から呆れられる。
忍者に至っては、もう同じ人間として見られていない気がした。
【ふふ、お客様は好奇心旺盛のご様子。それはとても良いことですわ。さあ皆さん、席に着いてどうぞ料理を召し上がって下さい。毒など何も入っておりませんわ】
「・・・・・・」
ソルダは最も近くにいた肥満気味の海賊に目配せした。
その海賊はよほど腹が減っていたのか、許しが出ると同時に食器すら使わず、手で料理をかき込む。
「うめえです! お頭ァ!」
その言葉を皮切りに、他の海賊も勢いよく食べ始める。
「こ、コータ……」
「ああ、もう良いよ」
同じように許しをもらえたハイアサースが海賊達の向かいに座り、こちらは食器を使いながら、すごい勢いで食べ始めた。
「な、ならば私も……」
ハイアサースに倣い、ザルマも食べ始める。たださすがいいところの出身だけあって、食べる姿は上品で、本能のままに食べるハイアサースとの対比がひどかった。
そんな中、圭阿とソルダは食べるどころか、椅子に座ろうともしない。
黙って慎重に様子を窺っている。遅効性の毒の可能性もあるし、無防備な食事中に襲われる可能性もある。
2人はそれをことさらに警戒しているのだろう。
(さて、俺はどうするかな……)
今までの出来事で康大もそれなりに腹が減っていた。何より喉がからからだ。食べている人間達の様子を見る限り、とても毒がはいっているようには見えないし、毒殺するためにわざわざアビゲイルが招き入れたようにも思えない。
状況証拠はこれが毒である可能性はほぼないと言っていた。
(・・・・・・)
康大はそれに従い、結局ハイアサースの隣に座って食べることにした。
しかし、彼らと違い、本能に任せるのではなく、よく観察してから食べる。
魚も肉も捌いてしまえばどれも似たようなもので、極彩色の果物がすこし毒々しいぐらいか。見た限りでは、変な味を連想させるような料理もない。
康大は臭いも嗅いで安全を確認してから、ゆっくりとスープをすする。
(……これは)
一口食べた瞬間、康大の表情が変わった。
不味いわけではない、むしろかなり美味しい。
ただ問題なのは、その味が現実の世界の味とあまりに近すぎたことだ。
この世界に来てから色々なものを食べてきたが、不味いうまいはあってもその味はどれも一種独特だった。カレーを除くと、どれもこれも元の世界では食べたことのない味だ。
それがこの料理は、現実ですぐに該当する料理が思いつくほど似ている。
試しに他の料理も食べてみたが、同様だった。
(どういうことだこれは……)
似非ビーフシチューを啜りながら、康大は頭をひねる。
そして黒い煮物のようなものを食べてさらに頭が混乱した。
(これカレーだ、しかも黒カレーだぞ。圭阿に教えてあげた方が良いかな……)
味が同じなら、あの時と材料が違っていても問題は無いだろう。ただ頑張って警戒してくれている圭阿にそれを言うのは、少し酷な気もした。
(まあ黙っておくか……)
圭阿の献身に報いるため康大はそう決め、似非カレーも瞬く間になくなった。
結局、圭阿とソルダ、そして幽霊を除く全員によって、大量にあった料理は全てたいらげられた。
全く食べられなかったものの、圭阿もソルダも羨ましそうな顔はしない。そういう切り替えは、彼らにはいつものことだった。
ここで話が終われば良かったのだが。
「それにしても黒い奴はまんまカレーだったな」
「ああ、あの黒いのはカレーというのか。あれは辛かったが特別美味かったぞ」
空気が読めないハイアサースとザルマが余計なことを言う。
「あ、か、あ……」
圭阿の表情があからさまに変わり、深い絶望が訪れた。
助けを求めるように見られた康大は、思わず顔を逸らす。
「・・・・・・」
「ぬわっ――んご!?」
腹いせとばかりにザルマが圭阿に椅子ごと後ろに倒され、後頭部を壁におもいきりぶつける。
康大は彼女の報われなさに同情し、あの時カレーと教えなかったことは墓場まで持っていこうと心に誓った。
皆の腹がふくれたおかげか、室内の空気がかなり弛緩する。
この食堂に入ったばかりの頃は、まだ全員が殺気立っていた。今なおそれが変わらないのは、圭阿とソルダだけだ。
圭阿は別の意味でも殺気立っているが。
【皆様ご満足されたようで何より。それでは改めて何故皆様をここにお呼びしたのか、説明致しますわ】
アビゲイルが表情を変えぬまま言った。
なんとなく、「もうすぐ乳首が見えるんじゃないか」とおっぱいを見ていた康大の表情が変わる。さすがに重要そうな話になれば、呆けてもいられない。
鼻の下は伸びたままだったが。
【私、生来の遊び人なのです。退屈が死ぬほど苦手なのですわ】
「はっ、死に損ないがよく言うぜ」
ソルダが嘲笑し、それに合わせて他の海賊達も下品に笑った。
ホシノは眉をひそめたが、アビゲイルは構わず話を続ける。
【そこでこうして旅をし、色々なお客様をこの船に招待して無聊を慰めているのです】
「つまり私達に曲芸師の真似事でもして楽しませろと言うことか!?」
【いえいえ】
ザルマの言葉にアビゲイルか首を振った。
その無邪気そうな赤い瞳の奥には、うすら寒くなるような狂気があった。
ただ康大には、
(うわ、首振っただけであそこまで揺れるか……)
おっぱいの方が重要だった。
【皆様にはゲームをしてもらい、私はそれを見て楽しむだけですわ。普段は同じ集団の方々がいらっしゃるのですが、今回は珍しく敵対している方同士。そこでチーム戦のゲームをしてもらいます】
『?』
大部分の人間の頭に、疑問符が浮かぶ。
いったいこの女は何を言っているのかと。
しかし康大だけは、彼女の意図がなんとなく掴めていた。
そのため、その後に続く言葉を聞いてもそれほど慌てたりはしなかった。
【勝ったチームの方はそのままお帰り頂けます。けれど、負けたチームの方はここでお亡くなりになり、永遠にこの船の奴隷になっていただきますわ】
康大が安心する時間が訪れるのはまだまだ時間がかかりそうだった……。