第1話
どれぐらい馬に揺られていただろうか。
ずっとしがみついていたため、ザルマがいい加減気持ち悪るがるのではないかと康大が思い始めた頃、ようやく先頭を走っていた圭阿が足を止めた。
徒歩の彼女の方が終始馬より速かったのだ。
さらに軽く見積もっても2時間は走り通しであったのに、どういう身体構造をしているのか、圭阿は結局ただの一度も休むことはなかった。
しかし残念ながら、そこはまだ目的地にはほど遠い場所だった。
「これは……」
いい加減尻も痛くなり、率先して馬から下りた康大が呟く。
彼の前の前には完全に海に崩れ落ちた崖。その向こうに続くはずだった道も、崖と共に海の藻屑となっていた。
しかもそれは一箇所だけではなく、目に見える範囲でも3箇所はある。極めつけに道は断崖絶壁の上に作られ、圭阿ですら崖を伝っての移動は至難であった。
「……困りましたな」
圭阿もさすがに眉間に皺を寄せる。どうやらこの光景は彼女にとっても予想外だったらしい。
康大はとりあえず自分達同様崩れた崖の前で立ち往生している、農夫らしき老人に話しかけた。
「あの、一体何があったんですか?」
「ん、ああ、何か一晩で突然崖が崩れちまったらしい。何でも話によると、ばかでかいモンスターが踏みつぶしたとかどうとか……」
言われてよく見ると、崩れた崖の形は確かに巨大な足跡のようだった。
そしてそれは、少し前に康大達が散々見たものでもあった。
(ああ……)
康大はすぐにそれがあのゴーレムの仕業だと言うことに気付いた。直接的には何の責任もないのに、何故か居たたまれない気持ちになる。
「……あの、ところでいつぐらいに復旧されそうですか?」
「あ~、いつぐれえだろうなあ。まあここは大事な道だから、そう長くはかからんと思うが」
「じゃあ今日明日にでも――」
「はっはっは!」
老人は豪快に笑った。
康大には何故笑われたのか全く理解出来ない。
「そんなに早く直るわけねえさ。そうさなあ。だいたい2,3ヶ月後ってところかな」
「全然早くないじゃないですか!」
康大は思わず叫んだ。
康大の常識はあくまで現代の、それも日本だけの常識で、崖とはいえこんな砂利道のような道路の復旧なら、すぐに終わるものだと思い込んでいた。彼は中央集権が進んでいない世界における工事の大変さを、まだ全く理解していなかった。
康大の過剰な態度に老人はさらに笑う。
康大もこれ以上は話したところで恥をかくことだけは理解し、頭を下げて圭阿たちの元に戻った。
すると、ちょうど2人は何か言い合いをしているところだった。
「何故お前が通ってこれたのに、道が塞がっているのだ! そもそも塞がっているなら事前にそう言っておけ!」
「す、すみません!」
改めて聞くまでもなく、今の会話だけで康大にも何を揉めているのか瞬時に理解できた。
康大も、ザルマがこのことを知らなかったのは圭阿同様不思議だった。
この場所がどのような位置関係にあるか分からないが、それでもゴーレムが現れたタイミングを考えると、ザルマは道が壊された後ここに来たはずだ。そうでなければ死と智の図書館前で、何日も待っていたことになる。
圭阿の当然の疑問……というか詰問にザルマはあたふたとしているだけだった。
それでも最終的に道を通れた理由が、
「道を抜けたのは随分前で、色々あって死と智の館に到着したのが会う直前だった」
ことが分かった。
その色々にいったい何があったのか分からない以上、康大にはそれを責める気はない。何より結果的には間に合ったのだ。
ただああいう姿を見ると、康大も圭阿がザルマを下に見る理由が分かる気がした。
とはいえ、急いでいるというのにいつまでもここで問答をさせるわけにもいかない。康大にはほぼ無関係とはいえ、人の命がかかっているのだから。
「圭阿、それにザルマさん。今ここで言い争いを続けていても、無駄に時間を消費するだけだ。急いでいるなら、それ以外のルートがないか考えるべきだろう。このルートはもう使えない」
「そ、そのぐらい言われなくても分かっている!」
(は?)
康大はいきなりザルマに怒鳴られる。
あまりの理不尽さに、腹が立つより呆気にとられた。
そんなザルマを例によって圭阿がどつく。
いや殴る。
「だから貴様はいちいち康大殿に反抗するな! 言われた通り無い知恵絞って仰られた事を考えろ! この痴れ者め!」
「も、申し訳ありません!」
「謝る相手が違うわ!」
さらに殴られるザルマ。
顔には青たんまで出来ていた。
ここまでされると、康大もどんなに不快な態度を取られても許してしまいそうになる。
「いたた……。あの、確かこの近くに港町があって、そこから海路で行けるかも……」
「だったらそれを早く言わんか!」
「申し訳ありません!」
言ったら言ったで結局殴られるザルマ。
康大はここまでされてなお圭阿に好意を持っているザルマが、真性のドMではないかと疑い始めた。
「それではすぐにその港町に行くぞ。貴様のせいで無駄に時間を使った。これ以上足を引っ張るなよ」
「は、は!」
ザルマは答えて馬に跨がる。
その姿は相変わらず様になっていた。
康大は痛む尻をさすりながら、今度はすぐに終わると良いなと思いながら、ザルマの後ろに掴まった……。
幸いにも港町までは1時間もかからず到着した。
そこで康大は、あの死と智の図書館が、そこそこ海に近い場所にあったことに気付かされる。尤も、二度も行くような場所とも思えなかったが。
港町は漁港と言うよりは海運で栄えている街らしく、漁師より商人の姿が目に付く。もうすでに早朝であったため、市場も開いているし、漁師も漁師で忙しく動き回っている。耳に届く喧噪は、馬車をもらった街よりも大きいような気がした。必然的に港に停泊している船も、魚を捕る小型の漁船ではなく、荷物運搬用の大型の船が目立った。
(なんか現実の世界より潮の臭いが強い気がする)
仮面越しに鼻をひくつかせ、康大はつかの間の観光気分を味わった。
「康大殿」
「え、あ、悪ぃ」
不意に圭阿に名前を呼ばれ、康大は現実に戻る。
圭阿はザルマと共に、ちょうど交渉をしているところだった。相手はやはり商人らしき男で、おそらく乗せてもらえないかという話だろう。
別に縁故があるわけでもないのにいきなり頼んだのか、商人は困惑しているようだった。
さらにザルマの明らかに高圧的な態度がそれに拍車をかける。
「だからお前は偉大な栄誉のための貢献が出来るのだぞ! 何故船が貸せん!」
「いえ、ですから、それはですねえ……」
「言い訳など聞きたくない!」
(最悪だ……)
康大は端で聞いていて絶望的な気分になった。
これではまるで典型的な駄目上司、駄目教師ではないか。一方的で、上から自分の意見を通すこと以外何一つ考えていない。
康大もさすがにこれにはザルマを張り倒したくなった。
ただ本来ならそれは圭阿の役目である。
しかし、圭阿もそれで良いと思っているのか、ザルマのするに任せていた。
こうなると康大も無視してはいられない。
「とりあえずストップ!」
仕方なく、康大がザルマと商人の間に割って入る。
商人は鉄仮面をした康大の姿に最初は怯んだ。
しかし、「突然不躾なことを言って申し訳ありません」と丁寧に謝ると、話が出来そうな人間だと逆に安心する。
頭を下げている間、康大は圭阿に目配せしザルマを大人しくさせてもらう。
突然話に割り込まれ、さらに下手に出たことに不満なザルマはすぐに文句を言おうとしたが、その口は圭阿の当て身によって強制的に閉ざされた。
「ですがこちらも人の命がかかっているんです。それに船を借りるのではなく、途中まで乗せて頂ければそれで充分です。もちろん代金はお支払いします」
「う~ん、そこまで言われると困るが、でもできないものはできないんだ」
「差し支えなければその理由を教えてくれませんか? こちらは可能な限り譲歩しますが」
ザルマと違い、康大の交渉はとことん下手だ。
ある意味でこれも下手な交渉だが、少なくともザルマよりは話がはるかにスムーズに進む。
「海賊船が出たんだよ。まあ以前もこの海域には海賊がいたんだけど、そいつらは通行料さえ払えば素通りさせてくれたんだ。でもそいつらを追い払って新しく来た奴らは見境なし。船とみればとりあえず襲って根こそぎ荷物を奪った上、船員は皆殺しさ。そんなわけで俺達商人は、この港に釘付けになってる。いちおう領主様に軍隊を送ってもらうよう頼んではいるけど、いつになるやら……」
「海賊ですか……」
話を聞きながら、康大は蛮族とつくづく縁があるなと思った。
康大は商人に礼を言って別れると、圭阿と共にこれからどうするか相談する。
ザルマはいても邪魔になるだけなので、気絶させたままだ。
「まず俺達のとるべき方法は3つある。1つは、どこかで船を調達し、海賊の目をくぐり抜けて王都に向かう。2つ目は海賊を倒し、安全になった状況で正規の手順で王都に向かう。3つめは海路をばっさり諦めて、道が復旧するまで待つか別の道を捜す――」
「まず参番目は論外でござるな。地峡に作られた道故、あの道以外は嶮峻すぎる山で、他に道もありませぬ。弐番目はたとえ首尾良く海賊共を殲滅させられたとしても、それを商人達に信じさせ、出航させることが難儀でござる。馬車の時はさむ殿という顔役がいたればこそ、すぐに出発出来たのでござるから」
「じゃあ1番目の方法をとるとして、その問題もあげていこう。まず肝心の船をどこで手に入れるか。そして船員をどうするか。最後に航海ルートをどうするか、だ。圭阿には何か考えがないか?」
「漁船程度の小型船なら、闇夜に乗じて失敬することもそう難しくはござらん。然れども、そんな船で我ら3人……まあ2人でも充分でござるが、王都まで行くのは難しいでござろう。康大殿に船員としての技術があれば話は別ですが……」
「・・・・・・」
康大は無言で首を横に振った。
「さらば最も効率が良いのは、船員ごと船を掻っ攫う、という方法でござる」
「うーん……」
康大は顎に手を当てる。
そんな海賊じみたことを、たった3人で出来るとは、到底思えなかった。
色々考えて出した結論、
「とりあえずここでしばらく情報収集をしよう。急がば回れだ」
決定保留、という第四の最も無難なものだった。
「御意」
圭阿はあまり納得しているようではなかったが、それでも反対はしなかった。
その後圭阿の提案で、2人は、くれ者が集まりそうな酒場に行くことになった。
康大は失神したままのザルマを残しておくことに一抹の不安を覚えたが、圭阿の、
「死にはしないでござる」
という言葉を信じ、あまり考えないようにした……。
港町の中心部にあった酒場は、街の酒場より開放的で、客もさらに陽気な気がした。少なくとも康大達が入ってきた瞬間、全員の視線が集まる……と言ったことはなかった。
おそらく出入りの激しい所なので、いちいち新参者かどうかなど気にしないのだろう。
「いらっしゃい」
明らかにあの時のバーテンダーより客商売を理解している若いバーテンダーが、2人を笑顔で迎える。ちなみに後で圭阿に聞いた話によると、あの男だけは最後まで無愛想だったらしい。
康大と圭阿は空いていたカウンターに座り、圭阿が適当に飲み物を頼んだ。さすがに何も頼まずに話を聞くことは出来ない。
すると木のカップに入ったよく分からない赤い飲み物が出され、それをバーテンダーは康大達の目の前で、魔法を使って急激に冷やす。このあたりのサービスは、現代日本でもなかなか出来ない芸当だ。
康大が恐る恐る飲んでみると、かなりの酸味があり、また明らかにアルコールが含まれていた。おそらくリキュールか何かなのだろう。
(まあでも、この程度ならギリギリいけるか)
チューハイ程度のアルコール分を持つそれを、康大はちびちびと飲みながら、バーテンダーに話を聞く。
「新しく来た海賊についてと、このあたりに船員ごと船を貸してくれる人がいるかどうか、知りたいんですけど……」
「お客さん達もここで立ち往生を喰らった組かい。まず後ろの質問から答えるけど、そんな奴はこの街にはいないさ。で、最初の質問は、俺よりあいつらに聞いた方が早いんじゃないかな」
バーテンダーは酒場の隅の一画を視線で示す。
康大がその視線を追うと、そこではガラの悪そうな男達が、他の客の迷惑を顧みず大騒ぎをしていた。
誰も彼も脛に傷のありそうな、典型的な海賊だ。
とりわけ人一倍身体の大きなモヒカン男は、自分の年齢の10倍以上は人間を殺し、そこにいるだけで世紀末感を高めているような……。
「ダイランド!?」
その集団にいた見知った顔に、康大は思わず声を上げた。
モヒカン男――ダイランドもその声に気付き、「どうもっス」と言いながら自ら近づいてくる。
ダイランドが来たことで、バーテンダーはそそくさと康大達から離れていった。どう考えても彼らのようなならず者と関係を持つ人間は、良い客ではない。
「こんな所で会うなんて奇遇だな。膿は大丈夫?」
「それはまあ何とか……。師匠に解除してもらってここまで来たっス」
「あれ、もうフォックスバードさん戻ってたの? でも距離的にそれ変じゃ……」
死と智の図書館からフォックスバード邸までは、村から街までより遙かに遠い。しかし死と智の図書館から漁港までは、途切れた道を経由しても同じぐらいかむしろ後者の方が長い。
調べ物をした上に戻ってダイランドをよこすことなど、到底不可能に思えた。
「ああ、それは師匠の伝書鳩で連絡が来て、ついでに解除魔法もやってもらったんス」
「薄々気付いてたけど、この世界の伝書鳩超高性能だな……。でもフォックスバードさんの家からここまでって、結構距離があるんじゃないか?」
康大の頭の中では、ここまでのルートを直線の一本道だった。
しかし実際は違う。
「ああ、ここって師匠の家からだと、海を挟んでかなり近いところにあるんっスよ。買い物の用がある時は、俺も村の近くから出てる渡しに乗ってよく行くんス」
「そうだったんだ……」
康大は感心しながら言った。
実は康大が最初に行った村もかなり海の近くだったのだが、木々で水平線が隠れていたため、康大はそれに全く気付かなかった。さらに死と智の館は海側とは反対方向にあり、王都は逆側にあるので村の方が直前距離でも王都にははるかに近かった。
「ところでだいらんど殿はこんな所で何を?」
予期せぬ再会に驚いている康大の代わりに、圭阿が話を進める。
「それが伝書鳩での師匠の指示っスよ。ここにコウタさん達が来るから、待って指示を仰ぐように言われてたんっス。呪いの解除は何かついでみたいだったっス。それでただ待っているのも暇だったんで、昔なじみのあいつらと酒を呑んでたんっス」
「やっぱり見た目通りの交友関係なんだな」
康大は呆れた。
――と同時にフォックスバードの千里眼に寒気も覚えた。
「皆殺しの、こいつらはなんなんスか?」
不意に一緒に酒を飲んでいた海賊らしき1人が近づき、ダイランドに話しかける。「皆殺しの」というのは、大方ダイランドの昔の通り名なのだろう。その外見に相応しい、物騒な呼称だ。
「馬鹿野郎! この方達にもっと敬意を見せねえか!」
ダイランドはそう言った男の顔面を殴り飛ばす。
初めて聞いた外見通りの怒声に、康大は吃驚した。
殴り飛ばされた男は、豪快に店の隅まで吹っ飛び、そのまま気を失う。
実はこれでもかなり手加減して殴ったのだが、本人以外は誰もそうとは思わなかった。
「すみませんっス。こいつら礼儀知らずで。後できつく――」
――とダイランドが言いかけた時、殴られた男とは別の礼儀知らず酒場に入ってくる。
「圭阿卿、捜しましたぞ! おのれ下郎! 私に黙って勝手に圭阿卿を連れ回すなど!」
復活したザルマはずかずかと酒場に入ってくると、周囲が全く見えていない様子で康大につかみかかる。
「貴様が良からぬ事を考えていることぐらい、この私が見抜けないと――」
「お前は黙っていろ」
圭阿がため息を吐きながら、ザルマを投げ飛ばす。
ザルマはちょうど最初に投げられた男とほぼ同じ場所まで飛ばされ、ほぼ同じ状態で倒れた。
「あの人は誰っスか?」
「ゴミでござる」
圭阿は即答する。
康大も能力は別にして、人間としてはあまり好きになれない相手のため否定はしなかった。
この時、ダイランドの頭の中で3人の序列関係が構築されていく。
「……ということは、俺と同じレベルか最底辺と考えて問題ないっスね」
「それで構わないでござる」
再び圭阿は即答した。
「いたた……くそっ!」
無駄に丈夫なザルマはすぐに復活し、懲りずに康大につかみかかろうとする。
どうやら最後まで言わないと気が済まないらしい。
今度はそんなザルマの腕をダイランドがつかんだ。
その瞬間、ザルマの顔が真っ青になり、「な、な、な……」と言葉に詰まる。
「おう小僧、俺はダイランドだ。よろしくな。だがお前もちょっと分は弁えろや!」
ダイランドはそう言って、ザルマの頭を軽く小突いた。
するとザルマは情けなく「ひゃい……」と歯をがくがく鳴らしながら答え、まるで借りてきた猫のようになる。
この時になって康大も、何故圭阿があそこまでザルマをこき下ろすのか、ようやく理解出来た。
「ねえ、ひょっとしてザルマって……」
「ご推察の通りでござる」
圭阿は三度即答する。
「能力があるだけのとんでもないへたれでござる」
この瞬間、康大の中でザルマに対する敬称が永遠に消えた。