第12話
途中で勝手に復活し勝手についてきたザルマと合流し、康大達は甲板に上がる。
ソルダ達はそれぞれが客室に入っているのか、廊下ですれ違うことはなかった。
康大は甲板で最も高いところ、船尾付近の見張り台のような所にテーブルを置いて、優雅に紅茶を飲んでいたアビゲイルを見つけた。
康大は勇気を振り絞って、アビゲイルの目を正面から見据える。
さすがの康大も、事ここに至ってはおっぱいを凝視したりはしない。
【これは康大さん、ごきげんよう】
「ごきげんようアビーさん。実はアビーさんに頼みがあります」
【残念ですが、片方の陣営に有利になるようなことは出来ませんの……】
「そんなに無茶なことではありません、ただホシノさんを呼んで欲しいんです。彼に話したいことがあるんです」
【ホシノと? まあその程度なら構わないでしょう。ホシノ】
【ここに】
アビゲイルが一言言っただけで、突然発生した霧の中からホシノが現れる。
その間に康大は圭阿に耳打ちした。
圭阿は康大の指示通り、ホシノにある質問をした。
言っている圭阿自身は、何故そんなことを言うよう指示されたのか全く理解出来ないまま。
「ホシノ殿、拙者の名前はなんというでござるか?」
【名前……ですか。はい、それは――】
ホシノは特に気負いもせずその決定的な一言を口にした。
【康大様でございますね】
『なーー!?』
康大とアビゲイル以外の全員が絶句する。
この展開を予想していた康大とアビゲイルは、お互いにやりとした。
そして康大は言った。
「みんな、俺は今から賭をする。それはかなり分の良い賭だと思っている。だが、その前に言っておきたい。俺に命を預けられるか?」
「愚問でござる」
圭阿は即答した。
「婚約者が余計な気を使うな」
ハイアサースも迷いなく答える。
唯一ザルマは、
「……まあここ事に至っては仕方あるまい」
不承不承という態度で受け入れた。
ただ。
「ところで1つ聞きたいことが――」
「ありがとう、じゃあ最後はせっかくだからキザに決めたようと思う」
最後のザルマの発言は無視し、康大は鉄仮面を取った。
そしてアビゲイルに跪き、その手を取ってキスをする。
しばらくしてから唇を離し、康大は再びアビゲイルの目を見つめながら言った。
「最後の人間はあなただ、アビー!」
「ちょ、ちょっとどういうことだ!?」
ハイアサースが跪いたままの康大に詰め寄る。
圭阿もそうしたかったが、その役はハイアサースに任せた。
ザルマは驚きのあまり、動くことさえ出来ない。
そんな彼らを見て、アビゲイルは口に手を当て、優雅かつ華やかに笑う。
【ホシノ、ゲーム終了の合図をします。そして海賊の皆様をここに】
【御意】
ホシノの姿が消え、その数分後にソルダ達が甲板に現れる。
「この馬鹿げたゲームもようやくカタがついたらしいな……」
ソルダが重い口調で言った。
その場にいる誰もが全ての終わりを理解する。
アビゲイルはゆっくり頷き、
【はい、たった今】
厳かに言った。
【康大様が私に触られました。私もこの船の人間なので、ペナルティの対象に含まれます】
「はっ、つまりこいつらは勝手に自滅したのか!」
ソルダを含めた海賊達が勝ちを確信し笑う。
それとは対照的にザルマの顔が絶望に歪んだ。返事を聞かなくても、やっぱり任せるんじゃなかったと後悔していることは明らかだ。
一方のハイアサースと圭阿の顔に変化はない。彼女たちはもうあの時点で、康大に命を預けると決めていた。
預けた物をどう使おうが康大の自由だ。
後悔などあるはずがない。
「・・・・・・」
最後の一人――再び鉄仮面をかぶった康大の表情だけは、本人以外の誰にも分からなかった。
浮かれる海賊達にアビゲイルは言葉を続ける。
【ただしそれは私が幽霊であった場合、です】
「なんだそりゃ? どこからどう見てもテメエは幽霊だろう!」
ソルダが馬鹿にしたように言う。
ただその顔には、明らかな焦燥が浮かんでいた。
即ペナルティで終了ならこんな質問をしないことを、ソルダも理解していた。
【では確かめてみてください】
アビゲイルはソルダの手を取り、自分の頰に当てた。
その瞬間、ソルダの焦燥は絶望へと変わる。
「あ、暖かい……」
「ふふふ、私のような冷血漢……ではなく冷血女になると、自らの体温を変えるなど造作もありませんわ」
その微笑は魔女を通り越し、悪魔のそれだ。
そしてアビゲイルははっきりとした口調で、ソルダに言った。
「それではここに勝敗を宣言します! 勝者は康大様! 敗者のソルダ様には約束通りここで死んでいただきますわ!」
「巫山戯るなあ!!!!!!」
ソルダを筆頭に海賊達がアビゲイルに襲いかかる。
いや、襲いかかろうとした。
しかし意識は向いているものの、身体は一歩も動かない。まるで精神だけ引き抜かれたかのようだった。
「申し訳ありませんが、勝敗が決定した時点で、勝手に魂を回収させていただきました。身体は……そうですね、気に入った方のモノは残しておきますが、貴方たちのモノは見るに耐えません。ホシノ、船から落として魚の餌にでもしてしまいなさい」
【御意】
ホシノは念動力のようなもので海賊達の身体を移動し、それを船から落とす。その様子を魂だけとなった海賊達が、絶望的な表情で見ていた。
尤も康大達にはただ海賊達が呆けたような顔で、みずから海に落ちたようにしか見えなかったが。
「……とにかくこれで終わったんだな」
康大はほっと胸をなで下ろす。
実のところ、鉄仮面下は緊張でかなり強ばった顔していた。鉄仮面がなければ、頼りなく情けない顔をさらしていたところだ。
彼の人生の中で、これほどスリリングで恐怖を覚えた鬼ごっこはない。それは他の人間達も同じで、皆その場にへたり込んだ。
だが鬼ごっこは終わっても、まだゲームは終わっていなかった。
「それでは次のゲームに移ります」
「なんだよそれ!?」
康大が心から叫ぶ。
「これで終わりじゃないのかよ!」
「ほぼ、終わりですわね。ただ最後に1つだけゲームをしていただきます。もともと貴方方も死ぬ運命で、それを変えて差し上げたのですから、そのぐらいは受け入れてもらわねば困りますわ。そもそも私が手をさしのべなければ、ここにいる人間は全員死んでいましたのよ。過去に実際に生きて帰った人もいますし、ゲームはあくまでチャンスですわ」
「ぐぬぬ……」
康大は歯ぎしりをする。
どんなデスゲームも、ゲームマスターには逆らえない。反撃に出るのは相手の弱点を見抜いてから。
それが分かっていた康大には、ただ悔しがることしか出来なかった。
もちろんそれを知らない人間達は違う。
「卑怯だぞ! 恥を知れ!」
「巨乳年増の言う通りだ! 今圭阿卿が――」
「お前も恥を知れ!」
「げぼっ!」
ハイアサースがザルマを思い切り殴る。
殴り慣れていないため急所に当たり、圭阿よりダメージが大きかった。
「本当にどうしようもないな貴様は」
呆れる圭阿。
そんな3人をよそに、アビゲイルは話を続ける。
「とはいっても、このゲームはそんなに面倒なものではありません。それに犠牲は最大でも最低でも1人ですわ」
「1人……」
嫌な予感がした。
それならむしろ最低0で最大4人の方が遙かにマシだった。4人なら協力前提でゲームが進められるのだから。
それが多かろうが少なかろうがたった1人といことはつまり。
「俺達に犠牲を差し出せって意味じゃないか!」
「有り体に言えばそうなりますわ。最後のゲームは単純明快。代表者の方に、誰をこの船に残すか選んでいただきます」
『――!』
4人全員絶句する。
それはゲームとは呼べない、ただの死刑宣告であった。
「それではまず代表者を決めていただきます」
『・・・・・・』
3人の視線が康大に集まる。
ここまで来たら、代表者が康大になることは火を見るより明らかだった。
だが、康大の選択は違った。
彼は自らに与えられた選択権で、別の代表者を指名する。
「代表者はザルマだ」
康大は断言し、残りの3人は唖然とした。
婚約者のハイアサースでも、有能な忍者の圭阿でもなく、最も役立たずのザルマにお鉢が回ってくるなど、誰にも、本人でさえ予想が出来なかった。
「理由を聞いても?」
「俺と圭阿とハイアサースが代表になったら、絶対に選ばれるのはザルマだ」
「・・・・・・」
ザルマは沈黙する。
本人でさえ理解していたので、反論さえしなかった。
「それじゃあゲームにならないだろ? だから俺はゲームになりそうな奴を選んだ。それだけだ」
「おもしろいですわ!」
アビゲイルは手を叩いて喜ぶ。
「さすが私が見込んだ殿方ですわ! ええ、これはあくまでゲーム。そしてゲームである以上、新たにルールを採用させてもらいます!」
そう言ってアビゲイルが指を叩くと、康大の身体が突然固まり、口どころか、指1本動かせなくなる。
それはハイアサースや圭阿も同じで、そのままの体勢で固まった。
唯一代表者である、ザルマだけが動けた。
「皆様のアドバイスは完全に禁止とさせていただきます。さあザルマ様、この3人から、いえ自分を対象にしても構いません。思うままに選んでください」
「・・・・・・」
康大は無言でザルマを見る。
少なくともザルマが圭阿を選ぶことはあり得ない。自分自身を選ぶ度胸もない。対象はおそらく康大かハイアサースになるだろう。
そしてこれまでの経緯から、ハイアサースの方が選ばれる可能性が高い。
(くそっ!)
何故あの時それが分からなかったのか。
康大はこんな選択をした、享楽的な自分を殺してやりたくなった。
あの時はそれが最善だと、現実世界では決して働かなかった脳の一部の訴えに従ってしまった。
悔しくて叫びたいのに吐息すら満足に出ない。
ザルマは3人を見てわずかに考えた。
「――――」
そして、恐ろしいほど早く結論を出す。
その答えに3人だけでなく、アビゲイルさえも絶句した。
「あなたはその答えで本当によろしいのですか?」
あまりの予想外の答えに、アビゲイルは表情を変えて聞き返す。
「ああ、間違いない。後悔もない、自信がある」
それにザルマは臆さずに答えた。
「しかしその方は貴方の……」
「くどい。私は結論を下した」
そしてザルマは指し、その人間の名前を口に出した。
「私が指名するのはこの圭阿卿だ」
「・・・・・・」
アビゲイルの頰がわずかに引きつる。
わずかであるが、初めて見せた動揺だった。
そしてそれは、この船に来てからただの1人もつくる事が出来なかった、彼女の敗北の表情でもあった。
それをまさか最も愚かと思える人間が達成するとは――。
アビゲイルはなんとか表情を戻し、続けて聞いた。
「……理由を聞いても?」
「それは他ならぬ貴様自身が知っているだろう」
「……了解致しました」
アビゲイルが指を鳴らす。
それと同時に、康大とハイアサースは動けるようになり、圭阿は霧のように消えた。
その数秒後――。
「御無事でござるか!?」
もう一人の圭阿が甲板に現れる。
「え、これって……」
「まさか……」
「ああ、2人とも気付いていなかったのか、あのときいた圭阿卿は偽物だ」
こともなげに言った。
「え、え、え、どういうこと!?」
今度は康大が無様に取り乱す番だった。
「だ、だって全然いつも通りだったじゃん!」
「どこがいつも通りだ。歩幅も匂いも空気も、なにより醸し出される美しさが違う。今までそのことをずっと言おうとしていたが、貴様らは無視するし……」
「うん、そのことについては正直悪かったと思う。ただ、やっぱりキモいわお前」
「な、なにを!」
「いや、キモいぞ普通に」
ハイアサースも同調する。
「むしろそれがキモいと思わぬお前が大問題だ!」
最後は圭阿がザルマの後頭部を叩く。
ただその力はいつもと比べものにならないぐらい弱かった。
圭阿も大体の事情は、その場に来た瞬間察していた。
「皆様お疲れ様でした……。私の完敗でございます……」
アビゲイルはガックリと肩を落とし、心の底から敗北を認める。
その姿に今までの女王然とした威厳はなく、まるで育児に疲れた主婦のようであった。
彼女にとって、ゲームの敗北とはそれほど衝撃的なものだったのだろう。
康大はとりあえずしゃがんだ拍子に見えた胸の谷間を凝視する。
これぐらいは勝者の権利として許されるだろうと思いながら。
そんな康大の鉄仮面を、不意にアビゲイルは取った。
「とはいえこのまま帰すのはあまりに業腹。せめてこの仮面を記念品に頂いておきます……あら、随分鼻の下がお下がりで」
「く……!」
胸を凝視していたことが、本人に光の速さでバレる。
女性陣は「もう諦めた」と言う表情で、完全に無視していた。もはや怒る気にもなれない。
惨めな気持ちになる康大に、アビゲイルは笑いかける。
とんでもない死神のような女性だが、彼女が魅力的な女性である事実は今なお変わらなかった。
「康大様の顔で多少は溜飲も落ちましたわ。これはそのお礼――」
アビゲイルは何か呪文らしきものを唱える。
すると、腐りかけだった康大の顔が、もとの肌色の顔に戻った。
本人はそれに気付かなかったが、ハイアサースの「お前元に戻ったぞ!」という言葉でその事実に気付かされる。
「アビーさんは俺のゾンビ化を治せるんですか!?」
「いえ。私に出来ることはただ幻術を使って、お顔を正常に見せることだけ。根本的には何も解決しておりませんわ。尤も、私は腐りかけの顔も好きですけれど」
そう言って、再び康大の頰にキスをする。
さすがに今回はハイアサースも黙っているわけにはいかず、「でれでれするな!」と康大の後頭部を叩いた。
「さて、これ以上粉をかけると、恋人の方に殺されそうですわね。それでは皆様、あの縄ばしごからどうぞご帰宅を。外には我が魔力で誘導した貴方方の船が待っておりますわ」
「分かりました」
「とりあえず私達は先に鎧を取ってくる。さすがに置いていく気はないぞ」
「・・・・・・」
ハイアサースは先祖伝来の鎧だけあってしっかり覚えていたが、ザルマは明らかに「今思い出した」という顔をしていた。
甲板には康大と圭阿とアビゲイルの3人が残る。
「あの……」
やおら、アビゲイルに向かって圭阿が手を上げて尋ねた。
「なんでしょうか?」
「その、けーきはまだ残っているでござるか?」
「お前……」
実は圭阿もかなり食い意地が張っているのかもしれない。これまでのこと合わせ、康大の圭阿に対する見方がこの数時間でかなり変わった。
「それはホシノに聞かないと分かりませんわ。ホシノ」
【とりあえず材料が残っているか、見て参ります】
「拙者も付き合うでござる!」
そして2人は階下へと消えていった。
結局残ったのは康大とアビゲイルの2人だけとなった。
(うーん……)
ハイアサースという婚約者がおり、さらに散々ひどい目に遭ったのに、康大はどうしてもこの美女が嫌いになれなかった。むしろ異性として、まだかなりの魅力を感じている。
(おっぱいの力は偉大だ)
そう思わずにはいられなかった。
「また私の胸を見ていらっしゃいますわね」
「え、あ……」
そんな康大の下心は、すぐに本人に見抜かれる。鉄仮面をしても見抜かれるのだから、筒抜けもいいところだ。
「ふふ、自分に正直な方……。それにしてもすぐに私のことをアビーと呼んでくださり、嬉しかったですわ。今までの方はどうも恐れるか憎むかで、親しくしてくれる方がいませんでしたから……」
「まああそこまでされれば普通そうでしょう。俺が特別なんですよ」
「そう――確かに特別ですわね」
アビゲイルの赤い瞳が怪しく光る。
康大はその目にぞくっとしただけでなく、異様な性的魅力も覚えた。
ただ次のアビゲイルの一言で、それは一気に消し飛んだ。
「さすがフォックスバード様が見込んだだけはありますわ」
「あの人と知り合いだったのかよ!」
アビゲイルに抱いていたわずかに甘い感情が、この一言で完全に吹き飛んだ。あの曲者の知り合いというだけで、脳内アラームが鳴り響き、心の中ですぐに厳戒態勢が敷かれる。
「フォックスバード様は唯一、この船に呼ばれもしないのに訪れた方です。いちおうゲームは持ちかけましたが、あの方相手だとそもそもどんなルールでもゲームとして成立しませんの。それから色々あって、今でも伝書鳩でのやり取りを続けているのですわ」
「はあ……」
フォックスバードの関係者との恋愛関係は、あまりに危険が多すぎる。康大は次回アビゲイルに会ったとしても、おっぱいを見るだけ済まそうと心に誓った。
やがてハイアサースとザルマが鎧を纏い戻ってくる。
圭阿は大分時間がかかるだろうと思ったが、そのすぐ後に戻って来た。
その葬式と仏滅が一緒に来たような表情を見れば、食べられたかどうかは一目瞭然だ。隣でしきりに謝るホシノ共々哀れに見える。
「それじゃ出発だな」
「・・・・・・」
まず圭阿が死んだ魚ような目で縄ばしごを下りていく。
それに、行きとは逆にハイアサース、ザルマ、最後に康大と続いた。
康大が下を向くと、右往左往している旧海賊達が。
この船の側に来たのは、予期せぬ自体だったのだろう。
ただ、彼らがこの船に乗らなかったことを今考えると、康大達よりもさらに強い生存能力があるのかもしれない。
少なくともあの調子の良さがあれば、のらりくらりと上手い具合に生きていけるだろう。
海賊達が康大達の姿を見て安堵し、下で大きく手を振る。
(うん、戻って来たな)
康大は彼らに大きく手を振り返し、それを実感するのだった。




