それはさながら裁判で。②
「ちょっと待ってください――――っ!」
突如。大きな音と共に学園長室のドアが勢いよく開かれる。
その音は、びりびりと緊迫した室内の雰囲気を崩壊させるのに、大きな役割を果たていた。唐突に訪れた来訪者に、そこにいた全員の視線が瞬時に集まる。
全力で走ってきたのだろう、精一杯肩で呼吸をする一人の少女。膝に手をつき、額には汗を浮かべながらも、フェイ達に向けられる瞳には確かな強い意志が表れていた。
その少女をみて、フェイははっとする。夕刻に彼が手を差し伸べた女の子。大切な髪飾りを無くし、目尻に涙を浮かべていた彼女が、そこにいたのである。
「あなたは……」
驚きの表情、心境を持ってフェイが言葉を発するのとほぼ同時に。
「シトリーっ!」
驚愕と緊張の解放、そしてひとかけらの安堵が入り混じった声が、彼の正面から上がる。
一直線に息を切らす少女に駆け寄り、抱きしめる黒髪の少女。その存在を感じるかのように抱擁する彼女の姿は、どれ程大切に思っているかが一目で感じられた。
確かな温もりを感じたのか、ダイヤは少ししてシトリーから体を離す。よほど心配していたのだろう、その手はまだ、しっかりとシトリーの肩にあった。
「大丈夫だった? 変なことされなかった?」
これでもかと少女の安否を確かめるダイヤ。現状を鑑みるに仕方ないとはいえ、フェイはとても複雑な心境になる。何もしていないのに……、と思わざるを得ない。
「大丈夫、大丈夫だよ、お姉ちゃん」
わぁわぁと言っているダイヤを宥める様に、少しの嬉しさと呆れを含みながら優しく語り掛けるシトリー。
その発言に、ダイヤの豹変ぶりについてフェイははたと理解した。なるほど、自分の妹が悪漢に襲われているのではないかと思ったわけだ。そうなれば、怒りもするし心配もするだろう。
「あの、フェイさん……でしたよね?」
確かめる様に彼に視線を投げるシトリー。
「はい。あの、これ。渡すのが遅くなってしまって申し訳ありません」
シトリーが走ってここまで来た意味、彼女の瞳に込められた真意を推測し、フェイはすっと黄金色の光沢を放つ髪飾りを差し出す。
彼女との距離を詰めようとするフェイに警戒し、またオーラを放つダイヤを、お姉ちゃん、と一言制し、自分からも歩み寄るシトリー。差し出された探し物をしっかりと受け取り、ひと房の髪にそれをつけた。
その所作一つ一つが優雅で可憐。洗練された美しさを感じる。流石はダイヤの妹、といったところだ。ただ髪飾りをつけるだけの動作が、まるで美しい工芸品を見るかのように感じてしまう。
「みなさん! たしかに、私はフェイさんに髪飾りを探していただきました。結果的に、その……、あのようなことになってしまったのは、事故だと思うんです! 私は、フェイさんは故意にそのようなことをする人ではないと思います!」
一人の少女の、懸命な主張が部屋に響く。ハープを思わせる澄んだ声が、壁に染み込むのを待つように、しばらくの沈黙が続いた。
これが決め手だろう。と言うかのように、アシュタルテがひとつ、吐息を零す。
「――――では。とりあえず、彼の身の潔白は証明された、と思って大丈夫かな?」
再度の静寂。彼女はそれを肯定の意と受け取り、これを以て事件解決として、解散の一言を発する。
「それでは、以上だ。夜も遅くなってきた。皆、気を付けて帰宅するように――――」
「お待ちください!」
一声。解散を制する意を、ダイヤが発する。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「学園長。彼が故意にしたことではない“可能性が高い”事、また、困っている妹に手を差し伸べてくれたという事実があることも理解はしました。――――ですが、我らリリー・カルテット」
一度、そこで言葉を切り、ダイヤはフェイの瞳をしっかりと見る。
「“乙女の柔肌を殿方に見られて、タダで帰す道理も無いのもまた、然り”」
確かに素敵な光景でしたけれども、と。忘れかけていた光景が一気にフィードバックし、頭部に血液が昇るのを感じながら、フェイは、半ば裏返った声で返す。
「いやっ! さっき覗きに関して思うところはないって――――」
「それは、私個人の話よ。それと、“女学園生の総意とはまた別問題でしょう”?」
「な――――っ!!」
……つまるところ。
フェイ自身の身の潔白は大方信頼できるまでは証明された。が。
『結果的に男性が女性の裸体を見たという事実に関して、女学園生を納得させるため、人柱になれ』という要求が、ここにきて発生したのである。
学園という、ある種の閉鎖的空間において、重要視されるもの。規律や規則など様々にある中での一つ、『風紀』。今回の事件において、少なくとも彼に過失がある以上、そこは責任を取れ、と。
「理解したみたいね。とはいえ、こちらにも責任があることは重々承知しているわ。――ねぇ、“学園長”?」
うぐっ、っと言葉に詰まるアシュタルテ。今日何度目になるかわからないひやりとした感触が、再びフェイの背中を伝う。
言外に伝わる、あなたにも(割合大きめな)責任がありますよ、との意。あろうことかこの学園トップ、組織の長たるアシュタルテ相手にマウントを取りに来たのである。
それだけではない。
取り乱した後から、ほんの一瞬で。
学園最強集団の面子を保つ方法。学園生徒全体にとって取るべき利。その実行のために相手から絶つべき退路。対面者の思考能力を汲み取った上で、目的達成の最短ルートの割り出し。より効率よく話を通すための所作選択。
その全て、莫大な情報量、選択しの中から、最適解を選び抜いたのだ。
(これはなかなか……えげつないですね……!)
なるほどこれが、何千人ともいえる超マンモス校のトップを占める、才能……。
その圧倒的な力に言葉すら発することが出来ない。
「我々法術師のみならず、悪魔の魔法行使においても、“契約”は最も重要視されるわ。それはお互いが了承するからこそ、絶対的な強制力をもつ。」
空中に指を滑らせるダイヤ。その指先を追うように、恐ろしく緻密で正確かつ複雑な法術陣が幾重にも展開されていく。次々と紡がれるそれは、瞬く間に部屋いっぱいを埋め尽くした。
そして一つ。他のどれとも違う法術陣が、フェイの前に現れる。
「それでは、フェイ・オブシディア。“提案”です」
たしかにそれは、『提案』といえるのだろう。フェイに選択権も、一応は存在する。
彼女からの案を呑むか、あるいは―――――。
それを拒否し、3千人を敵に回して後ろ指を指されながら学園を去るか――――。
否応なく、選ばされる。選ばざるを得ない状況にされた。もう、退路は……、ない。
ダイヤの美しく濡れた唇がゆらりと開く。嫌に艶めかしく、妖艶な動きに思えた。
そして。ほろりと零すように。新たな言葉が紡がれる。
「私たちの下僕になりなさい」
――――――――しかして。
ここに、契約は成された。