それは不幸な始まりで。
――あぁ。天国から蓮の池を覗く死人って、多分こんな気持ちなんだろうなぁ……。
混乱していく思考の片隅でほつりと。
フェイ・オブシディアは、この先に自分を待ち受けるであろう災難を予測し、純粋な感想を零した。
一度、現状を確認しよう。
天井には、ぽかりと空いた大きな穴。そして、そこから落下してきた、ずぶ濡れの少年。
ライオンのようなオブジェが口からはじょぼじょぼとお湯を零れ、広い湯舟からは湯気が立ち上っていた。
加えて。
一糸纏わぬ姿の少女が、4人。
彼女達だけの癒しの空間に突如乱入した者に、それぞれが驚きの表情を向けていた。
「…………」
今の状況を素早く呑み込んだのか。
先頭の少女は腕を組みながら、背骨の奥まで凍り付くかのような冷たい視線を投げた。水気を帯びて艶めかしく光る漆黒の御髪が、ふいっと揺れる。
膝の裏まで伸びる髪の先端からは、それなりの頻度で雫が落ちていた。さっきまで湯舟に座っていたのだろう。
ーーとりあえず、いろいろと丸見えだから隠してほしい、と、フェイは思った。
その後ろでは、栗色の髪をした少女が、「まぁ」と言わんばかりの穏やかな驚き顔をしている。
見ちゃいけないと思いつつも、男の悲しいサガか。そのふくよかな胸部についつい目が向いてしまう。ふわふわとウェーブを描く髪型からか、柔らかそうな性格に感じた。
そして、その後ろに隠れるように立つ2人。ひとりは無表情、もうひとりはあわあわと真っ赤な顔でこちらを見ている。
無表情の女の子は異国出身なのだろうか。スレンダーな褐色の体躯で、艶やかな肌が水滴を弾いていた。それに、雪のように白い綺麗な髪もとても印象的だ。年齢的にはフェイと同じくらいだろう。
対して、もう片方は年下だろうか。耳まで紅潮した小さな顔と、桜色のボブカットヘアー。そして、小さな体躯。小動物のような印象を受ける。
――と、彼が判断するまで、わずか3秒弱。
しかしその時間は、彼女らにも状況を把握するのに十分な時間で。
「……変質者」
そう、黒髪の少女が零すのを皮切りに、他の少女からギラリと刃物のような敵意が向けられた。
「ち、ちがいます誤解です! 少し話を聞いていただければわかりますから……!」
必死で弁明をする。じろじろと観察した後で今更と思ったが、しっかりと彼女達から視線を外す。
……とはいえ。時すでに遅し。
「きゃ――――っ!!」
悲鳴を上げながら、桜色ボブカットヘアーの女の子は指先をフェイに向ける。
恥ずかしさのあまりか、目はぎゅっと瞑り、顔を逸らしながら。
彼女の仕草、そしてその意味を、フェイは直感で把握する。
「待ってください!! ここで『爆破法術』なんて――――」
「吹き飛ばしなさいっ! “ウィング・バレット”!!」
刹那。
指先に風が収束し、卵ほどの大きさまで圧縮。詠唱終了と同時にすさまじい速さでフェイに向かって飛び出した。そしてそれは彼の頬をかすめて通り過ぎ、壁に激突する。風の弾丸がぶつかった瞬間、圧縮された空気が方向性をもって破裂。壁の一部を吹き飛ばした。
彼女がよそ見をしていなければ直撃していたかと思うと、ぞっとする。
「あらあら。これは修繕費がかさみますわね……」
困りましたわ、と呆れ顔のふわふわヘアー少女。言いながら、泣き出しそうな(というか若干泣いてしまっている)ボブカットの女の子を抱きしめ、よしよしと頭をなでる。
「空、みえるぅ……。露天風呂に、なった、ね」
褐色の少女は、天井の穴をまじまじと見つめる。風通しの良くなったそれを見て、おー、と感嘆の声を上げた。
羞恥心は皆無なのだろうか。全く隠そうともしない。開放的すぎる。
「“リリー・カルテット”に覗きを仕掛けるなんて。なかなか見上げた根性ね、あなた」
ゆったりと、優雅に。
まるでダンスに誘うかのように。黒髪の少女は、その手のひらをフェイへと向ける。
「冥土の土産に、刻んでいきなさい? 私が許可するわ」
刻むって。それは光景? それとも傷?
そのセリフは、彼女の迫力を前に呑み込まれた。びりびりと肌で感じるほど、莫大な法力が編まれていくのが分かる。
「“炸裂の調べをここに”」
「守れ! “ウィング・シールド”ッ!」
しゃれにならない程の身の危険を感じ、反射的に防御法術を編む。
が、彼の貧弱な法力では、圧倒的な法力に到底敵うわけもなく。
瞬時に形勢される、水の大蛇。大きな口を広げ、フェイ目掛けて襲い掛かる。そしてそれが、フェイの編んだ術式とぶつかった瞬間、彼の防壁は割れる様に四散する。
「うわっ……!」
呑み込まれた後の、一瞬の浮遊感。その後猛烈に彼の体を襲う衝撃と、そのまま壁に叩きつけられた痛み。
それらの要因は、彼の意識を刈り取るのに十分な役割を果たし。
フェイは、自分の体が落下する感覚を感じながら。
その意識は、泥の中に吸い込まれるように落ちていった。