Real 2
「はぁ?」
突拍子もない話に佐山は驚きを隠せない。しかし本村は気にせず続ける。
「昨日、たまたまリアルステーションの前を通りかかったとき、店頭のデモ画面で見たんだ。高校のときに死んだはずのミホが交差点を歩いていくのを」
リアルステーションは〈リアルワールド〉の直営施設で、契約手続きの他、データ作製も行う。
ビジターと呼ばれるビギナー向けデータ作製には、前面と背面の写真が二枚あればよい。あとは登録画面で身長と体型を選択するだけで、ユーザー本人というよりインターネットで使われるアバターの感覚に近い。
インターフェイスもゴーグルと触覚再生用のグラブだけという手軽で簡単なものだ。学校の授業などでもよく使われている。
もう一つのレジデントと呼ばれる一般ユーザー登録をするには、リアルステーションに出向く必要がある。
3D写真で全身像を撮影、解析し、そこからデータを起こしていく。もちろん多少の修正は効くようになっているのだが、あまり極端なものは感覚の再生を犠牲にするので、勧められてはいない。
個人別にできるだけリアルな感覚が再生できるように、ヘッドセットの調整も行われている。
「で?」
「そのままステーションに入って、契約してユーザー登録も済ませた」
疲れた顔の本村が満足げに答える。
「それはそれはご契約まことにありがとうございます」
佐山は思わず丁寧に頭を下げてしまった。
〈リアルワールド〉の備品はすべてレンタルになっていて、持ち帰れば契約したその日からプレイできるようになっている。
持ち帰ってから、寝ずにプレイしていたに違いない。
「でもお前、ゲームはほとんどやってなかったじゃないか。何のために〈リアルワールド〉なんかやってるんだ? なんかって社員の俺が言うセリフじゃないけどさ。その子に似た子を探すためか? どうせ他人の空似なんじゃないのか?」
コーヒーが冷めているのに気がついた佐山は、一口含んでその苦さに顔をしかめた。
「制服が、同じだったんだよ」
かすかに震える声で本村が続ける。
「高一の夏から彼女が死ぬまでの二年間、つき合ってたんだ。見間違えるはずがないじゃないか」
俯いているのは涙をこらえているからというのは考えすぎだろうか。
「自殺したんだ、彼女。死ぬ前に俺のところに電話をかけてきた。『私、生きていてもいいのかな』って。俺……なんて言ったらいいかわからなくて黙ってた。そしたら翌日死んだんだ。手首を切って。今でもあの声、憶えてるよ」
女子に比較的人気があったにも関わらず、大学時代、本村は誰ともつきあおうとはしなかった。グループでの行動は避ける気配がなかったから、女性嫌いというわけでもないと思っていたが、そんなことがあったとは。
重すぎる話に、佐山は冷めたコーヒーをまた口にするしかなかった。
「どう見ても彼女だったよ。ミホだった。あれは」
「……で、本村。お前、その子を〈リアルワールド〉の中で見つけてどうするんだ? 女性ユーザー、特に十八歳以下の子にしつこく迫るとアカウント即削除されるんだぞ」
「わかってるよ」
「それに〈リアルワールド〉は所詮バーチャルだ。これも社員の俺が言うことじゃないけど、現実じゃないんだよ」
「わかってるよ。ただ、どうしても彼女に会いたいだけなんだ。もう一度」
テーブルの上にうずくまるようにして嗚咽する友人を正視できず、佐山は窓の外に目をやった。
しばらくは毎日電話やメールで本村の様子を確認していた佐山だったが、十月に入り、部署が変わって忙しくなるとそれも週に一、二回に減っていった。
もともとゲームなんてまるでやってなかった男である。
普通のゲームのようにイベントの連続をこなしていくものならともかく、一種日常生活の延長のような〈リアルワールド〉にはすぐに飽きてしまうだろうという予測もあった。
しかし、アパートの隣家のキンモクセイが咲いた日、香りに起こされるように目覚めた佐山が目にしたのは本村からの最後のメールだった。
[見つけた。やっぱり彼女だ]
履歴は午前三時すぎ。
平日のことだから、役所の仕事には差障りがないはずがない。
「あのバカ。まだ諦めてなかったのか」
イライラしながら電話を入れる。まだ早朝だから家は出ていないはずなのに、応答はない。留守電にもならない。
不吉な予感がしないでもなかったが、まさかという気持ちが勝った。
セールスか何かだろうと無視するつもりだったが、今まで携帯にそんな電話はかかってきたことがない。妙に気になって、人のいない休憩室で伝言を再生してみる。
録音されていたのはまるで聞き覚えのない男の声で、本村が死んだということ、自分は警察官で亡くなった時の状況を知りたいので電話が欲しいということ。そして、連絡先の電話番号だった。
「嘘だ……悪い冗談だろう?」
本村の携帯に電話を入れて聞こえたきたのは、「この電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあります」というおなじみのアナウンスだった。
信じられなくてまたかけてみる。「この電話は」で反射的に電話を切った。
電話をしなければと、伝言を何度聞いても電話番号をメモできない。佐山はそれで自分がどうしようもなく動揺していることに気がついた。
やっとのことで書きとめた番号に電話を入れてみると、やはり警察だった。
まず、解剖の結果、本村の死因が衰弱死だったことが告げられた。
「亡くなったのは今朝の四時くらいのようですね」
「どうして……」
ひょっとしてあのメールが届いてすぐに気が付いていたら、本村を助けられたのではないかと一瞬思った。激しい後悔だった。
本村も恋人を亡くしたとき、きっと同じような思いがあったに違いない。その冥い遺産を引き継いでしまったような気がした。
言葉に詰まった佐山に、武中と名乗った刑事は気の毒そうに続けた。
「〈リアルワールド〉ってご存知ですか? 飯も食わんとゲームをやっとったんですなあ。勤務先の役所のほうはここ一週間ばかし無断欠勤しとったそうです」
「そんなまさか。あいつは無断欠勤なんてするようなやつじゃないです。それに〈リアルワールド〉には六時間の時間制限がついてるんですよ。その後は二時間のインターバルを置かなければ再ログインできないはずです」
「それがですねえ。ヤミソフトというんですかねえ、リミットブレーカーちゅうのを使ってまして、うちのそういうのに詳しいのが履歴を確認したら、九十時間くらいずっとぶっ続けでゲームやっとったらしいです」
「リミットブレーカー、ですか」
「ほら昔、中国の若者がゲームのやりすぎで死んだことがあったでしょう。あれがやっぱり九十時間近かったそうで、何事もやりすぎはいかんということでしょうなあ。で、本村さんの最後のメールの内容ですが。『見つけた。やっぱり彼女だ』って何のことかおわかりになりますか?」
「高校のときにつき合ってた彼女だそうです。自殺した」
「はあ」
刑事は訳がわからないと言いたげに気の抜けた声を出した。
「その女の子に似た子を〈リアルワールド〉の中で見たからって、探してたみたいなんです。もう〈リアルワールド〉なんか止めて、元気で普通に仕事してるとばっかり、思ってたのに……」
何も知らなかった悔しさがつぶやきになった。
「事件性は……やはりないようですねえ」
ご愁傷様ですという言葉を残して、刑事の電話は切れた。
まるで合わせてくれたようにその日は休日だったので、佐山は通夜ではなく本葬に出席することにした。
本村の実家は車で三時間ほど離れた田舎町の二階家で、斎場ではなく自宅で執り行われた葬儀には佐山の他に、園田と木之下も申し合わせて参列した。
一人息子の不条理で突然の死に、佐山の親よりも若いはずの本村の両親は憔悴しきって老けて見えた。その横で気丈そうに頭を下げる女性に、佐山はそっと声をかけた。
「本村君のお姉さんですね?」
肯いた女性を棺を安置してある座敷から連れ出し、この度はと頭を下げる。
「お姉さん、本村君が亡くなった理由を警察からお聞きになりましたか?」
「ゲームをやりすぎたとか、信じられないです。あの子、ゲームなんか興味なかったのに」
納得いかないと言うように頭を横に振る本村の姉に、佐山は自分の知っていることを話した。
「ミホちゃんを? 幻でも見たんでしょうか」
「それを確かめるために、僕もそのミホさん……に似た人物を探してみたいんです。写真があったら見せていただけないでしょうか? 厚かましいお願いで恐縮なのですが」
さすがに自分が〈リアルワールド〉の社員であることは言えなかった。
「それならあったはずです」
ちょっと待っててと、本村の姉は二階に上がっていった。すぐに戻ってきたのは、佐山が遊びにいったことのある本村の部屋と同じで、彼が使っていた部屋は整理が行き届いていてアルバムも探しやすかったからだろう。
「これです。うちにあっても、もう見る人もいない写真です。お持ちください」
「ありがとうございます」
差し出された写真には、セーラー服の少女がピースサインで写っていた。肩までの髪に泣きぼくろ。撮ったのは恐らく本村だったのだろう。実にいい笑顔だった。
佐山は写真を喪服の内ポケットに丁寧に仕舞った。
本村も彼女の後を追ったようなものだ。何年も遅れてしまったけれど。
読経の中、泣きたいのになぜか涙は出なかった。