Real 1
本作品はフィクションです。実在する団体・人物とは一切関係ありません。
ログインしたユーザーの、閉じられているはずの瞳に最初に映るのは、〈リアルワールドへようこそ〉という青い文字。
他になにもない一面の白い世界の中、水面のように静かに揺れて空中に浮かぶその文字に触れると、ふいに街の雑踏が聞こえてきくる。瞼を開けたユーザーは、電話ボックスを模したログイン・ポイントの中にいることに気づく。
ガラスの向こうの街並みと雑踏は、限りなく現実に近い夢――限りなく夢に近い現実。
それが、電脳空間〈リアルワールド〉だった。
佐山浩司は大学を卒業し、〈リアルワールド〉の運営会社に入社した。
〈リアルワールド〉は十年前の設立以来、順調に業績を伸ばしていた。近年の伸び率は特に著しい。
しかし、そこには一つの不吉な噂があった。
「ねえ、佐山くん、〈リアルワールド〉に幽霊がでるってホントなの?」
焼き鳥を片手にした牛島の発言に、佐山は怪訝な顔をした。
大学を卒業して初めての飲み会には、同じゼミでも特に仲のよかった六人が集まった。
新人研修後、やっと現場に出してもらるようになり、少し落ち着いた夏のことだった。久々に見るメンバーは皆、以前より少しだけ引き締まった顔をしている。
「俺は見たことないし、そんな話聞いたこともないよ。大体、うちの会社、二年前にできたばっかの新社屋だよ? 伝説できるには早すぎるって」
佐山は笑い飛ばしてジョッキをあおる。
「だーれが会社っつったよ。中だよ中。ゲームの中」
佐山の後頭部を軽く叩いて、左の席に着いたのは園田だった。OA機器の営業部に配属されたというだけあって、どんなときでも威勢がいい。
「ああ、でも俺も聞いたことあるよ、その噂」
右隣の、特に仲のよかった本村が冷酒を口に運びながら言った。
住所が近いこともあって、今でもたまに食事をしたりするものの、そんな話をしたことはない。研修で疲れきっている佐山にはわざとその話をしなかったのであろう。気遣いが今更ながら身に染みた。
「そんなに有名なんだ。でも〈リアルワールド〉はバーチャルリアリティなんだよ? そんな大きなバグは考えられないし、意図的にプログラミングしたのでなければ幽霊なんてありえないね」
0と1で完全にコントロールされた世界に、そんな不確定なものが存在する余裕はない。
「幽霊じゃないけど、うちの学校でも噂が出てるわ。〈リアルワールド〉で死んだはずの人間を見たって」
木之下は高校の教師になった。一緒に赴任した同じ新任の指導力のなさを、さっきまで嘆いていた。
「一昨年、自殺した女の子がいたらしいんだけど、その子の姿を去年美術の授業中に〈リアルワールド〉の中で見たって生徒がいて、登校拒否になってるのよ」
〈リアルワールド〉の中では、データ化された歴史建造物を自由に歩くことができ、美術品や工芸品にも気兼ねなく触れることもできる。そのため、美術や歴史、地理の授業に使われる機会も増えてきていた。
「そんな噂が広がると困るよ。せっかく教育向けのオブジェクトも揃ってきたっていうのに」
「根拠がないのがはっきりしたらこっちもそのつもりで対応できるから、何かあったら教えてよ。でも、私は国語科だからあんまり関係ないけどね」
木之下は舌を出した。まじめかと思えば案外お気楽なところは、社会人になったくらいでは変わらないようだ。
「俺も会社で聞いてみるよ。なんかわかったら、連絡するから」
そんなやりとりを思い出したのは、飲み会から数日経ったある日のことだった。
佐山の仕事場は、カスタマーサービス部。いわゆるサポセンである。
研修を終えて以来、三か月はまずメール、次の三か月は電話での対応に追われる毎日だ。
気がつくと、電話で謝りながら実際に頭も下げるようになっていた。客には見えるはずもないのにと、苦笑いすることもある。
ストレスは溜まったが、この経験がやがて実際の〈リアルワールド〉の中でのサポート業務へと繋がると思うと、それなりのやりがいも感じられるものであった。
その日も佐山はエアコンのきいた室内で、冷や汗という名の汗を多量にかきながら客との対応に追われていた。
「はい。〈リアルワールド〉カスタマーサポート担当のの佐山でございます。ご用件を承ります」
最初の頃は舌を噛みそうだった部署と自分の氏名も、今では家の電話をとるときもうっかり名乗ってしまいそうなくらい馴染んでしまった。
「……あのう」
若い女の子の声だった。若いというより幼いくらいの。それっきり黙ってしまった。
電話からは雑音が聞こえないので、家の電話なのだろう。中学生か高校生か。
「はい。どのようなご用件でしょうか?」
明るく、しかし急かさないように、少しゆっくりと応対する。
「ええと……」
言いにくそうにしている。
「あのう……プレイヤーが死んだ後も〈リアルワールド〉では生きていけるって、ほんとですか?」
「は?」
思わず佐山は返答に詰まった。そんな突拍子もない質問に当たったのは初めてだった。
とりあえず検索をかけようとして、キーワードをなんとしたものか悩んでしまう。そして思い出したのが先日の飲み会のときの話だった。
『幽霊』とPCに入力してエンターキーを押す。候補に上がったのは二十一件の過去の問い合わせ。その概要を見ると似たような質問も入っていて、全て「処理:秋山課長」となっている。
「少々お待ち下さい」
保留にして、タイミングよくレポート作成中だった隣のブースの山部に小声で聞いてみる。
「山部さん、『プレイヤーが死んだ後、〈リアルワールド〉では生きていけるのか?』っていう問い合わせ入ってるんですけど、これは課長送りでいいんですよね?」
ベテラン契約社員の山部は三十代の女性で、このフロアでは一番古く、応対もしっかりしている。その山部が肯いたので課長の秋山を呼び出す。同時に聞き取った質問内容のデータも送る。
「他の詳しい者に代わりますので、もう少々お待ちください」
断わりを入れて再保留にするとほぼ同時に、秋山が引き継いだことをPC画面で確認した。ほっと安堵の息をつく。
すると隣の山部がキーボードを叩きながらぼそぼそ語りかけてくるのが聞こえた。
「最近、変な質問多くなってるみたいなのよね。そろそろ警戒対象に入ると思う、その手の質問」
「ありがとうございます」
小声で礼を言ってPCに目をやると、さっき検索をかけたデータがそのまま表示されている。
これまでの報告書を見ても、どの対応も一言でいうなら「そのような事実はありません」だった。実際の言い方はもっと違うのだろうが、秋山のような上の人間が出てくるのなら面倒な何かがあるのだろう。それが何かは気にはなったが、調べてもこれ以上の何かわかるわけでもない。
木之下には「やっぱり事実無根だった」と家に帰ってからメールすることにして、佐山は業務に戻ることにした。
九月になり、やっと残暑も抜けてきた土曜日のこと。
佐山が八時までの遅番を終えて、携帯をチェックするとメールが四件届いていた。
メールをチェックしてみる。
[久しぶり。元気か?]
[今日、仕事?]
[食事でもしないか?]
[連絡をくれ]
差出人はすべて本村。市役所に勤務する本村は土曜日は休みのはずだ。サポセンに配置になってからは変則勤務になって休みが合わないため、近況報告の軽いメールだけでしばらく会っていなかった。
「なんか急用でもあったかな?」
少し考えて、メールではなく電話を掛けてみることにした。呼び出し音の後、留守番電話に変わる。
「あ、俺だけど、なんか用だった? 今、仕事終わって明日は休みなんで、いつでも連絡ください」
メッセージを残して切ったが、本村からの返事が来たのは結局翌日の午後になってからだった。
待ち合わせの近場のファミレスに行くと、彼は窓際の席で眠り込んでいた。起こそうか起こすまいか迷いながら、向かいの席に座ると同時に彼は目を覚ました。
「どうした?」
「先月、園田なんかと飲んだときに、変な話があったじゃないか、〈リアルワールド〉のことで。あれ、どうなった?」
妙なことを聞くと思いながらも、木之下に事実無根だったというメールを送った顛末を語った。本村は神妙な顔で聞いていたが、目の下の隈が、普段から規則正しい生活を送っていたはずの彼らしくない。
「それで? 〈リアルワールド〉がどうかしたのか?」
注文したコーヒーが来ても、なかなか話だそうとしない本村を佐山は促す。
「あれ、本当だった」
「あれって?」
「〈リアルワールド〉では死んだ人間が生きているっていう話」