第二話 こじらせ乙女と思春期魔王
前回までのあらすじ!
どうしようもない二人が出逢ってしまったぞ!
てゆーか、すごいな魔族のエロ本事情。
淫夢だの淫魔召喚だのって、未来に生きてんなー。
「……あんた、そんなことしてるから女房に逃げられるのよ……」
魔王レギンドルゲインの目が激しく左右に泳ぐ。
「ばっ、ばっか! お、お、俺のことじゃねーし!」
「そんなことはどっちでもいい」
「だ、だから、俺は持ってないって言ってるだろっ!」
必死だ、この魔王。
「あんたの話じゃない。私の机にいかがわしい本があろうがなかろうが、どっちでもいいのよ。どうせあんたと違って私には家族はいないんだから。だから余生なんてのもどうでもいい。もう終わったんだよ、私は」
「ふ、誘導尋問に引っかかったな。やはり貴様も持っていたか」
得意げな表情で魔王が半笑いを浮かべた。
どこまでエロ本にこだわるの。まあ、持ってるけど。二重本棚で。
もちろんそんなことを正直に言ってしまえるほどには、私はすれていない。
齢二十六歳、未だ無垢なる乙女――。
だからこそ、自身の死後は手製のゴーレムに処理させるよう、魔法術式を組んでいる。そこにぬかりはない。
私は平気で嘘をついた。
「持ってないから。てゆーか今あんた、貴様“も”って言ったわよ? も!」
「~~っ!? ち、違えしっ! そんなこと言ってねえし! お、俺はほんとに持ってないからなっ!?」
この必死な顔。思春期か。
今にも殺されそうだけど、なんかこいつの顔面、笑えるわ。
でも、そうね。
人生を懸けてまで研究に力を入れてきた神獣シヴァーケンは、終ぞ発見することはかなわなかった。それに連なるもの以外のすべてを捨ててまで費やしてきた研究の結果は、多くの学術師が声高に語る通り、存在の否定だったのだ。
神獣・幻獣に近づくためと平行させてきた魔術研究やゴーレム学も、人類の限界には到達したけれど、結局は魔族である魔王にはかなわなかった。
おまけに肉体は時間切れときたもんだ。
私の人生は、何一つとして思い通りにはならなかった。
私はもう、生きることに疲れていた。
指を止めた。
最後に右手の中指を微かに動かせば、魔法陣は完成する。
視線をあげた。
なぜだろうか、この期に及んでもう少しこの魔王と話してみたくなったのだ。
「話を戻そう。仲間を宿に置いてきた理由だったわね」
「う、うむ」
「あいつらは若いけど、みんないいやつだった。そりゃあ、十代中盤から後半までの少年少女ばかりだし? 剣士と武闘家が夜練と称して乳繰り合ってたのを見たときはもう、うらやま――あ……、い、嫌になったこともあったよ……」
二人の大胆にて破廉恥なる行為を思い出し、私は赤くなった顔を隠すように視線をそらす。
魔王が突然、くわっと赤い瞳を見開いて食いついてきた。
「そこんとこ、もう少し詳しく。行為のところ。夜な夜な、どのような訓練をしていたのだ? ん? おまえの口から事細かに聞きたい」
「ネットリしたセクハラはやめろ! 私に興味ないんだろっ!? どうせ行き遅れだし!」
いかん、最後の一言はいらなかった。自滅だ。
「うむ。興味はない。だがレジー、貴様はそこそこきれいな方だと思うぞ。病のせいか、少し痩せすぎだとは思うが、ああ、きれいだとも」
まあっ!
……えっと……やだ……。……今から魔王軍に転職しようかしら……。
「とはいえ、俺の嫁の足の爪の垢の中の善玉菌を構成する魔素分子にも敵わんがな」
こ、こ、こ、この野郎……!
「とにかくッ! 私だけ他の勇者たちより年齢が、ほんの少し高かったのよ!」
「ほんの? 少し?」
眉根を寄せて首をかしげた魔王を、私は目を血走らせて睨みあげた。
「黙れ。時間ねえんだろ。おぉん!?」
「う、うむ。すまぬ。ちょいちょい怖い顔するのはやめないか? 美人が台無しだぞ?」
「……っ」
なんでちょっと喜んでんの、私……。我ながらチョロいわ……。
「と、とにかくよ。仲間というよりはお母さん的な扱いされてたし。まだ男性と手をつないだこともないのに。で、でも、迫られたらそれはそれで困るんだけど。……どうせもうすぐ死んじゃう身なんだから」
「話がずれてきているぞ、レジー」
あ、ほんとだ。おまえのせいだけどね。
私は話の流れを修正する。
「でもね、あいつらはそろいもそろってお人好しの正義漢なのよ。だからこそ、あいつらがいては使えない魔法がある。いい? 使えないの、この場に守りたい対象がいる限りは。未来のない私だから、未来を生きる彼らのためにできることがある」
魔法陣の完成間際。
私の肉体から、抑えようもないほどの強大な魔力がチロチロとあふれ出し始めた。
「私は子を残せなかった。この出来損ないのカラダで、祖母や母のように子を持つ勇気は湧かなかった。でもね、だからこそ種族全体の未来を残してあげることができるって気づいたのよ」
モーションは背中に隠し、魔法陣は体内に隠していたのだ。理由の一つは、魔王レギンドルゲインに、魔法陣の形成を邪魔されないように。
「この究極魔法は、そういう魔法」
もう一つの理由は、この肉体から生み出される魔力の一片まで、余すとこなく使い切るために。それすらも凌駕して、残る生命をも魔力へと変換するために。
私は魔王に殺されるのではない。病気に殺されるわけでもない。
何も持たない私は、若者らの未来を守るために命を自ら捨てるのだ。
そのためだけに、この肉体の裡側に隠していた。
――究極の自爆魔法をッ!!
「……ッ」
魔王の表情が豹変する。
困惑から、焦燥へと。
「レジー、貴様――ッ」
魔王が右腕を持ち上げて掌を広げ、魔導障壁を展開する。
「時間稼ぎをしていたなッ!?」
「アハッ! もう遅いよ!」
私は笑った。笑ったのだ。死の間際になって。
あまりに純粋だった魔王の驚きように。
「悪いね、レギンドルゲイン。十枚? 百枚? 魔導障壁なんて好きなだけ展開したらいい。でも無駄。数千枚重ねようとも、これは防げない」
人の生命には、爆発とともに暗き星空を生み出してしまうほどの可能性が秘められているという。異界魔導書の一節だ。私は今、それを解き放つ。
どうせ朽ちかけた生命だ。
星を破壊し、暗き空を生み出すことなどできはすまい。けれども、この付近一帯くらいは消し飛ばせるだろう。
「よせ、やめろ!」
神獣は見つからなかった。神獣に近づくためにと、大部分の時間を割いた魔術の研究も実らなかった。竜王の呪縛による死病のせいで、家族も作れなかった。
何もない! 私には!
ならば人類のため、三名の勇者の未来のため、消えかけた生命を使うのも悪くはない。彼らがこの場にいては巻き込むし、それ以前に止められてしまうだろう。
残り少ない時間だからこそ、無駄にしないで、と。
だが、違う。だからこそなのだ。
新しき生命のために、旧き生命は浪費されるべきなのだ。人間はそうやって命を紡いでいく種なのだから。
死を間際になって、私はようやくそれを悟った。
「残念だったね。魔法はすでに完成している。私の裡側で」
「待ってくれ……俺の話を……!」
「聞かない。さよなら」
私は右手中指をはじいた。
体内で形成した魔法陣が回転し始め、魔法が発動する。
ずぐり、臓腑の底で何かがうごめいた。心臓がこれまでに体験したこともないほど、激しく跳ね回っている。生命を燃やし尽くし、すべて魔力へと変換するためだ。
病床で壊れかけていた肉体の細胞が、一時的に活性化する。
焦った魔王が大地を蹴って接近し、私へと魔導障壁に包まれた巨大な拳を振り下ろした。
「ぬおおぉぉぉっ!!」
私はとっさに対魔法で包んだ両腕を交差して、本来なら受け止められるはずもない魔王の拳を受け止めた。
全身の骨が軋み、瓦解した魔王城の石床に両足が沈む――!
けれど、顔色を変えたのは私じゃない。魔王。キラキラと虹彩色の輝きを残し、粉砕された魔導障壁の欠片の中で。
「く……、バカな……っ」
「あははっ、これはすごいわ」
女の細腕に、必殺の豪腕が受け止められたのだから。
私は右足をしならせ、魔王の脇腹へと中段蹴りを入れる。どぱん、と肉の弾ける音がして、魔王の巨体が折れ曲がりながら玉座近くにまで吹っ飛んだ。
「がぐああぁぁっ!?」
湧き上がる。無限に。力と魔力が。これが人間の生命が持つ可能性。魔族の王にだって匹敵する潜在能力。
けれど、体術は今だけ。
まもなく、炎でも氷でもない純然たる魔力の奔流が、私の肉体を裡側から突き破り、すべての属性を以て魔王を、魔王城そのものを、近隣一帯ごと蹂躙するだろう。
あとには何も残らない。私自身もだ。
「じゃあね、魔王レギンドルゲイン。――煉獄で待ってるわ」
最初に破裂したのは右肩だった。さらに手足肉体を問わず、暴れ狂う魔力は骨を砕き、肉を裂き、血管を破裂させながら魔力が一気に膨張してゆく。
痛みはない。死病を発症した際に、痛覚を魔法で永続的に殺したから。
だから、あるのは達成感だけ。
私は笑った。呆然とした表情の魔王を、嘲笑してやった。
唐突にシリアス!
いつまで続くやら。