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第六話 マリー・アントワネット、曰く

 姫様の朝は早い。

 彼女は朝日が昇るよりも早く、天蓋付きのベッドで目を覚ます。


「ふぁぁ……なの!」


 あくびと背伸びを一つ。

 それから、備え付けのベルを鳴らすことで、彼女の朝は始まる。


「し、失礼しますだ!」


 ベルの音を聞きつけると、専属の従者が飛んでくる。

 ノックとともに寝室へ入ってきたのは、瓶底メガネのメイド。

 蜘蛛の下半身と、人の上半身を持つ魔族、アラクネのアトラナートさんだ。


「おはようさまですだ、フィロ・ソフィア・フォン・ナイド=ネイド第三王女様」

「アトラ、前から言っているの。名前をすべて呼ぼうとするのは、年寄りの悪癖なの。姫だけでいいといってるの」

「そげなこと、わっちには恐れ多すぎて……!」

「いいから姫と呼ぶの! 面倒なの!」


 アトラさんはなまりの強い口調で恐縮し、姫様はやれやれと溜め息をつく。

 着替えととも繰り広げられる、毎朝の風物詩である。


「ささ、お着替えをですだ!」

「…………」


 アトラさんの豊満な胸と、自分のなだらかな胸を見比べ、ペタペタと触ったあと、大きくため息をつき、彼女は寝巻きを脱ぐ。

 お召し物を着替えた姫様は、仕上げに僕の入ったジャム瓶を、胸元の金具に接続した。

 これで準備は完了だ。


「さて、出発しんこー、なの」

「ああ、待ってくださいだ姫様! お顔を、お顔を拭かせてくだせぇ」

「むぐ! むむむ、なの」


 ばっちり身だしなみを整えた姫様は、朝のお祈りに向かう。

 ナイド王城に併設された礼拝堂。

 この世界の人類は〝神〟と、その全権代理者〝現人神(あらひとがみ)〟を崇めている。

 同じように魔族も〝まばゆいもの〟と呼ばれる世界の仕組み信じ、尊んでいる。


『あるいは、それは〝神〟と同じものかもしれないよ?』


 そうかもしれないが、些細なことだ。

 だからアテン、隙をついて僕から残機を奪おうとするんじゃない。


『ちぇっ。せっかく真理を教えてあげようと思ったのに……』


 スナック菓子感覚で僕の寿命を縮めるの、本当やめろ。

 と、僕らが脳内寸劇をやっている間に、姫様はお祈りを終えてしまった。


 次は朝食だ。

 清潔なテーブルクロスが眩しい食堂で、姫様はひとり、食事をとる。

 給仕係もアトラさんで、食事はしっかり毒味済みとのこと。


「今日のキラーアントのゆで卵は、格別というほかないの。口の中でトロっととろけて甘みがウマウマ。これはよいものです。マンドレイクのフルーツサラダもシャッキリポンで美味しいのです」

「姫様、魔族が魔族を食べるのって、共食いになったりしないのですか?」


 僕がそんなことを訊ねると、姫様だけでなくアトラさんまで、なに言っているんだこいつ? という顔をした。

 地味に傷つく。


「相変わらず、おかしなことを聞く万物全知(ホムンクルス)なの」


 すみませんね、残機は有限なんですよ。


「レヴィ、いのちとは巡り巡るものなの。植物が兎や鹿を育て、その兎や鹿を獅子が食べる。獅子の命が尽きれば、それは大地に帰ってまた植物を育むの。これは魔族でも同じことなの。これが私たちの信仰する〝まばゆいもの(リヒト)〟なの。だから、共食いは禁忌でもなんでもないのです。そんな些細なことで争うのは、人間ぐらいのモノなので」


 なるほど。

 魔族というのは、そういう思想の上に成り立っているのか。

 確かにそれは、多種族の共存を図るうえで極めて有益な考え方だ。

 逆に言えば、魔族が弱肉強食の縦社会であるという、証左でもあるわけだが……


「それよりもですだよ、姫様。このライ麦パンは焼きたてですだ! 柔らかいうちに、いかがだか?」

「アトラ。人間が好んで食べるものなど、私はいらないの」

「そんなだと、お姉さま方に笑われてしまいますだよ?」

「うぐぐ……それでもなの!」


 駄々っ子のように反発する姫様に、アトラさんは困ってしまったように、前脚をまぜまぜする。

 ふむ。


『マスターはあれかな、メガネっ子メイドが好きなのかい?』


 違う、そんな不純な動機ではない。

 いいか、アテンダント。

 メイドとは、貴族の令嬢しかなれない高貴な職業であり、実務のプロフェッショナルだ。

 僕も生前は雇いたいと思っていたものだが、しかしその関係性で苦慮が──


『あー、わかった。わかったから、ほら、フォローするつもりなんでしょ? はやくしてあげなよ』


 アテンの呆れた口調に、我に返る。

 僕はゴホンと咳払いして、姫様に話しかけた。


「姫様」

「む? このゆで卵はあげないのです。レヴィは瓶から出れないので」

「そうではなく。好き嫌いはよくありません」

「私は王女なの。好き嫌いで、物事を選ぶ権利があるの」


 そんなこともわからないのかと、姫様は僕を見下す。

 確かにそのとおりだろう。

 彼女は一国の王女だ。

 その権利が及ぶ範囲なら、どんなわがままだって許される。

 だけれど──


「姫様、いまは戦時下です」

「休戦中なの」

「休戦とは、戦争が終わった──という意味ではありません」

「……どういうことなの?」


 そのままの意味だ。

 休戦協定とは、国力が疲弊し、戦線を維持できなくなった両国が、次の争いのために力を蓄える、その時間を稼ぐ方便に過ぎない。

 そして、多くの場合この方便は、どちらか一方によって理不尽に破られるのだ。


「ですから、いつ物資が足りなくなるとも限らないのです、姫様」

「だったら……パンがなければお菓子を食べればいいのです。これは、レヴィが教えてくれた話なの」

「あなたはそれを、民にも同じように強いるのですか?」

「どういう意味……なの?」


 これは、はっきりいえば僕の落ち度だ。

 前世の人物、マリー・アントワネット。

 彼女の有名な逸話を、僕は面白おかしく彼女に語って聞かせたが──マリー王妃は(・・・・・・)そんな愚にもつかない(・・・・・・・・・・)言葉を口にしたことは・・・・・・・・・・・ない(・・)

 彼女の思想は、むしろ真逆のモノだったのだ。


「パンがなければお菓子を食べればいい──では姫様、庶民が食べるお菓子がどんなものか、知っていますか?」

「お菓子はお菓子なの。きっと素敵なものなの。あまあまなの」

「小麦とすりつぶしたジャガイモを等分に混ぜ、揚げただけの堅くて味もそっけもない代物です」

「え?」

「それが庶民にとってのお菓子であり、いまの糧食(りょうしょく)なのです。それが彼らの、母の味なのです」


 僕は静かに告げる。

 前世において、かつて勃発した世界大戦。

 それによって、僕は小さなころひどい飢餓を味わった。

 だから、彼女に伝えなくてはいけない。

 その鉄仮面のような表情が、寂しげにゆがんだとしても。

 

「民は──」


 彼女の可憐な口唇が揺れ、戸惑いを含んだ問いかけが吐き出される。


「民は、戦争になれば、どのくらい飢えるの?」


 僕は答える。


「きっと、お菓子すら食べられないぐらいに」

「…………」


 彼女は思慮深く、口を閉ざした。

 この魔族の少女は、年相応に傲慢だが、同時に聡明でもある。

 きっと、マリー王妃と同じ結論に至れるはずだ。

 そんな期待とともに見守っていると、


「午後は城下町に出かけるの。レヴィ、供をするの!」


 やがて、彼女はそう言った。

 正直に言おう。

 まさかこのあと──


 彼女が暴漢に襲われるなんて、僕は思ってもみなかったのだ……

次回は23日0時ごろ更新!

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