第三十一話 剣聖出現
「姫様……! 早馬が!」
「かまわないの、ここまで通すの、すぐに!」
この世界では、魔術というものが普及している。
詠唱によって魔力を誘導し、奇跡を可能とする技術だ。
しかし、それはいまだ過渡期であり、前世のフィクションでよくあったような、遠くへと映像や声を飛ばす魔術──つまり無線や電話の代用品は、存在しない。
中世に似たこの世界では、例外として狼煙や音声の拡大魔術、手旗信号があるぐらいで、いまだに自らの脚だけが、物事を伝達する手段なのである。
「失礼いたします……ッ」
春のある日、数人の兵士たちに支えられ、息も絶え絶えに軍議の間に担ぎ込まれてきたのは、ひとりのコボルトだった。
十字の紋章が刻まれた旗を握りしめ放さない彼は、ひとめでノーザンクロス伯の配下であることがわかる。
人類が第三次征伐軍を組織したと聞き、すでに辺境伯は最前線へと戻っていた。
問題は、それ以降彼からの連絡が一切なく。
そして伝令のコボルトは、瀕死だったということだ。
コボルト兵士の表情は恐怖に染まっており、しかしか細い忠義の心だけが、その体を突き動かしていた。
その場にいた諸侯、その総意を得て、姫様が頷く。
「よい、許すの。なにがあったか、語ってみせるの」
「はっ……! 姫様、我々は……あれを見ました。彼方より飛来する災禍を」
「それはなんなの?」
「人間種族の中で、もっとも恐ろしく……もっとも剣技に優れた……我ら以上の力を持ち、我らを狩る狩人……あれこそは……!」
彼は血反吐とともに、その名を告げる。
「剣聖アルザス・カシュナー……! 彼奴めがたったひとりで、10000の大軍を屠るのを、自分は、見たのです……ッ」
§§
コボルトの兵士は、その直後息絶えた。
しかし、彼のもたらした情報は、なによりもナイドに貢献したと言えるだろう。
「前線と連絡が途絶えて、今日で何日目だったの」
「なぅー、確か10日目だったかな」
「ふむ、なの」
姫様が円卓の上に地図を広げる。
魔族領の南端、人類断絶戦線リヒハジャに、ノーザンクロス伯をかたどった駒が置かれる。
その前方に置く駒を、彼女は図りかねていた。
人類軍の、総数は……?
「はっはっは! 妄言ですな!」
コボルトの命を賭した言葉を、一笑にふっする貴族がいた。
かつてナーヤ第一王女の下で働いていたスケルトン、エイダ卿である。
彼はカタカタと歯を鳴らしながら、笑う。
「妄言! これを妄言と言わずしてなんと呼びますか! 強壮にして堅牢なる我ら魔族の軍が、たかが人間たった一人ぽっちに圧倒されるなど、ありえますまい!」
嘲笑と侮蔑をまき散らす彼を、姫様がじっと見つめる。
その意図をくんでか、ハイドリヒ伯が肩をすくめてみせた。
「なぅー、エイダ卿は戦争処女だったものな。20年前の大戦を経験してねーもんな。そりゃあ、剣聖と聞いてもぴーんと来ねーか。まあ、卿はまだ若けーんだ。その侮りを、無知と嗤うことはできねぇよ」
彼の言葉に、エイダ卿は骨をむき出しにして憤慨する。
「ハイドリヒ伯! たとえあなたが宮中伯だとしても、オレに対する侮辱は許されませんぞ! 確かにオレはあなたの五分の一も生きていないが。なるほど、そこまで言うのなら、その剣聖とはどんなものかご教示願おうか!」
椅子を蹴立てて立ち上がったエイダ卿に、ハイドリヒ伯はニマニマとした笑みを向ける。
姫様はため息をつくと、軽く額を押さえ、命令を下した。
「コレトー、あまりエイダ卿をいじめてはだめなの。特別に許可するの、コレトー・フォン・ハイドリヒ、剣聖について、あの人でありながら魔性である化け物について、存分に語って見せるの」
「なぅー……魔王さまがそういうのなら、語るとするかねぇ。いいか? これはナイド王国最大の危機とも呼べる物語だぜ──」
そして、彼は語り始めた。
その恐ろしき、英雄の物語を。
次回は19日0時ごろ!




