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第二十話 災い転じて好機となす

 毒麦。

 正式名称は、麦角病(ばっかくびょう)


 実った麦の穂に、黒い爪のようなものが生じることがある。

 それが麦角病の証しだ。

 これを食べたものは手足が黒ずみ、その末端がちぎれ、高熱、幻覚にうなされ、やがて死に至る。

 中世ヨーロッパで実際に蔓延した、カビを原因とする恐ろしい病である。

 聖アンソニーの火とも呼ばれるが、それは全身が火に焼かれるような痛みを伴うところからきている。


 ……まさか。

 まさかこんな異世界にまで来て、この病の名を聞くとは思ってみなかった。

 その危険性を、僕は知っている。熟知している。

 だから、気が付かないわけがないのだ。

 初めから魔族の土地に麦角病があれば、必ず気が付くはずなのだ。

 そして、僕のそんな考えは正解だった。

 毒麦は、どうやら最近になって、魔族領に入り込んだものらしかった。


「入り込んだと言いますかー、持ち込まれたというほうが、正しいかも?」

「……? それは、どういう」

「はじめは奇妙な麦が実ったという報告だったかも。それが、日が進むごとに領地一帯で苦しむものが現れたのですかも。そうして今月になって、とうとう死者が出てしまったのかも。哀れかもー」


 第二王女は、そう言って笑う。

 まるで、その魔族の生き死にが楽しい遊戯であるかのように。


「わたくしの領地──いえ、ユンク侯爵とその他の貴族さまの領地にも、それなりに識者はおりますかもよ? だから、これが人間の世界でいう毒麦だということは、文献を当たればわかりましたの」

「ダウト」

「だうと……どこの国の言葉かも? ひょっとして、罵倒ですかも?」


 ……そうか、ダウトは英語だったな。

 だが、これは完全に詭弁だ。嘘ではなくとも、本当のことを言ってはいない。


 麦角病が流行っているのは本当だろう。

 蔓延し、死者が出たのも本当。

 この地は、水が豊かで低地帯。

 これまで東の火山と、ナイド王国後方に位置する霊峰から吹き降ろす強い風が、麦角菌の拡散を封じ込めていたにすぎない。

 だけれど、いずれこのことは、東ナイドも、姫様のナイドも、知ることになる。


「そうか」


 僕はひとり頷いた。

 アテンがいまさらかと笑う。

 ノーザンクロス伯が僕らに忠告した、人類領より来る災厄とはこれなのだ。

 おそらく、人類もまた麦角病に苦しみ、こちらに攻め入る余力がいまのところ(・・・・・・)ないのだ。

 そして、数的有利に立つ人類がそうであるのなら、西ナイドも必然的に、同じ状況であると考えられる。

 つまり、そんな見え透いたことを、わざわざ僕に話す理由。

 それは──


「なんでもー、わたくしがお父様に毒を盛ったとかいう、悪質なうわさが広がっているかもー?」


 優雅に、横柄に、口元を大きな扇でかくしながら、彼女はそうのたまう。

 そう、それだ。

 いま、彼女の地位を危うくするであろう事実は、たった一つ。

 彼女が前王妃とアルヴァ王、そして姫様に毒を盛ったという、それだけ。

 もし、それを否定する材料があるのなら、彼女は率先して利用するだろう。

 たとえ、それでどれほど領地が蝕まれ、どれほど死者が出ようとも。


「ホムンクルス、あなたを識者と、当代でも比類なき賢者と考えて、わたくし、一つ提案をしたいのですかも?」

「僕を話のわかる魔族だと思って?」

「話のわかる道具(ホムンクルス)だと思って、ですわ。嘘をつくことができない魔族相手に、こんな話はできませんですかもかも?」


 ありていに言えば、これから僕らが交わすやり取りは、打算にまみれた、ひどく醜悪なものだということだった。


「では、ホムンクルス」

「飲みましょう、その条件で」

「話が早くて助かるかもー」


 彼女の言葉を先回りして、僕は封じる。

 これでも生前、僕は歴史作家だったのだ。

 この西ナイド王国が、今後食糧不足に陥るのは目に見えているし。

 そして第二王女ギーアニアは、それを理解している。

 そんな国家が、敵国に対して求めてくるものがなんであるかは、歴史について知るものなら、たやすく結論付けられるだろう。


 だから僕は続きを聞きたくなかったし。

 だからこそ彼女は、こんなにも楽しそうに、悪徳にねじれた笑みを浮かべていられるのだ。

 なぜだって?


 僕らには──拒否権など、ないのだから。


「ですが、やはり明言化しておきませんと落ち着きませんかも? だってそうしませんと……あなたが裏切るやもしれませんもの!」


 そうして、彼女はこう言ったのだった。

 ひどく一方的な約束を、ナイド王国に取り付けたのだった。

 曰く、


「わたくしの国と、一時休戦いたしましょう。条件は、食料の提供と」


 悪女は、艶やかに微笑んだ。


「わたくしが、王位を正式に継ぐことを容認すること──で、かまいませんかもね?」


次回は1月7日0時ごろ!

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