12
室内の潜入には銀行の裏口を使った。
カードキーの認証が完了し、ドアロックが解除される。
ドアの先はコの字型の短い通路だった。
僕は言われた通りに、伴墨幾能見の後ろを歩いた。
「貴様はフリーの傭兵の類か何かだろう」
内部に潜入したというのに無防備にも話しかけてきた。
僕が奇妙に思うと、感情が顔に出ていたのだろう。彼は僕を見て鼻で笑った。
「そう警戒する必要はない。敵に俺達の声は聞こえないよ」
「……知っているのか」
「ああ、よく知っているよ。切波城一郎よりもな」
含んだ言い方だった。
「貴様の目的は何だ。金か」
「なんであんたに言わなきゃならない」
「反抗的だな。傭兵にとって伴墨家の俺と出会えたことはビジネスチャンスだとは思わないのか」
「馬鹿言え。あんたらは俗世間には興味はないはずだ。そもそも伴墨家が傭兵を雇うなんて話聞いたことが」
「これまではそうだった」
伴墨は立ち止まった。壁の掲示板に貼ってある紙を引きちぎる。
「しかし、切波家が事実上滅んだ今、状況は大きく変わった。今後、俺達は切波家に変わり、この国を守る盾となる」
「そのために、僕を雇うのか」
「貴様は血の匂いがする。だが、どうだ。俺は種村という貴様の存在を知らなかった。つまり……貴様は使える」
銀行の店内に続く扉の前に辿り着いた。扉越しに、複数の人の気配と、うめき声がする。
「いいか。俺がいいと言うまで手を出すな」
「……分かった」
僕が頷き、ゆっくりと扉が開いた。
店内の照明は消えていた。
「ふむ……奴に聞いた通りだな」
伴墨が頷く。
薄闇の中で、複数の人影が揺れていた。
全部で十二。
伴墨が持っていた紙に火を付ける。
周囲の人影が炎に照らされた。
「これは……呪術なのか」
「そうらしいが、詳しいことは俺も知らん」
近距離にいた一人が炎に反応してこちらを向いた。この銀行の女性従業員……いや、従業員だったと言うべきだろうか。木を削るようなうめき声。腕をだらんと下げ、唇からは涎が垂れている。
女は転倒するのを防ぐように足を前に出し、のろのろとこちらに近付いてきた。上着の中にある針の入ったケースに手を伸ばす。
しかし、止められた。
「必要ない」
伴墨は僕を庇うように女の前に立つと、右手を上げた。
数秒後、顎の骨の折れる音がした。
拳を思い切り女の頬に叩き付けた音だった。
小動物の鳴き声のような短い悲鳴。女は横にあったデスクの角に腰をぶつけ、そこにあった事務用品を巻き込みながら壁際まで吹き飛んだ。
「なるほど……アイツの言った通り、音に反応するのか」
伴墨は表情一つ変えなかった。殴る時も、今も。
「おい、あんたは中にいる人間を救えると言っていたけれど、あれは嘘なのか」
音に周囲の人影が反応し、僕たちを見ていた。
「フッ、嘘じゃない。ちゃんと救うさ……たぶんな」
曖昧な返答。伴墨が携帯を取り出しす。
「今から準備をする。その間、このゾンビどもを近づけるな」
「……何をする気だ」
「不死化の呪術だ。細胞レベルまで消滅させない限り、こいつらは死なんからな」
「そんなものが本当にあるのか」
「ああ……といってもあいつの言葉を信じるなら、だが」
彼が言ったあいつの存在が気になったが、それ以上質問をする機会は与えられなかった。
不死化した銀行員が僕に襲いかかろうとしていた。
本当に映画のゾンビみたいな動きだ。
僕は相手の無防備な腹部に右足の踵を捻じ込んだ。続いて、横からやってきた。別の男を両手で突き飛ばす。伴墨のように相手を傷つけるつもりはなかった。
その頃、すでに伴墨は携帯の中のメモを読み上げはじめていた。僕の知らない言語だった。それが呪文なのだろうか。
呪文はかなりの長文だった。
僕は襲い掛かる奴らを追い返し続けた。相手の攻撃はシンプルで、僕に噛みつこうとする以外の行動はとらない。弱い。動きも緩慢で、これなら一般人でも充分に倒せるのではないか。
「……僕がいなくても問題はなかったんじゃ」
僕の苦言に伴墨は視線で返した。
っそいて、手に持っていた携帯の光が消える。
ただ、周囲に闇は戻らない。
伴墨の全身が、眩い光に包まれていた。
「ご苦労」
彼がそう言った時、身に纏っていた光が分裂し、生き物のように宙を飛び交った。
光は人間の手の形をしていた。それらは何かを探すように室内を周回した後、不死化した人間を見つけると、その口の中に侵入した。間もなく、黒い球体をその手に掴んで再び体外へと飛び出す。
「呪いを取り出しているのか……」
「さあな」
伴墨が右手を上げると、光はそこに収束し、そして彼の手の平の中に消えていった。
光が失われ、周囲が再び暗闇に包まれる。
不死化した人たちは魂を奪われたようにばたばたと倒れていった。
「呆気ない任務だったな」
軽い皮肉を込めてそう言った後、倒れた一人の元に近付いた。生死を確認する。脈はある。表情もまるで眠っているようだった。
「文句を言うな。俺に出会えたことが何よりの収穫だろうが」
「かもしれないな……ん?」
それに気が付いたのは、僕が立ち上がって伴墨の顔を見た時だった。
伴墨の背後に、一つの魔法陣が浮かんでいた。
ただそれは普通の魔法陣ではなかった。墨で描かれたような禍々しい図形。見るだけで不安になるような、気味の悪い印象があった。
「……おい、それ」
「愚民が俺を指差すな」
「いや……その背中」
「背中……」
伴墨は後ろを向いた。しかし彼が見る前に魔法陣は消えてしまった。
「背中がどうした」
「そこに魔法陣が浮いていたんだ」
「魔法陣?」
「ああ、すぐに消えたが……嫌な感じがした」
伴墨は目を細めて僕を見た。疑いの目を向けられていると感じた。
「馬鹿な……嘘を付いて僕に何の得がある」
「それもそうだが……貴様のような暗殺者の考えていることは分からないからな」
「本気で言っているのか……」
「どちらにしても、帰って時科に聞けばすぐに判明する」
「時科? そいつがお前に解呪の方法を教えたのか」
「お前には関係のない話だ。それより最後の任務が残っている」
伴墨は倒れている女銀行員に近付いた。その首元を掴んで、前後に激しく揺する。
「……何のつもりだ」
「何のつもりだと……貴様が知らないはずはないだろう」
「まさか……やめろ」