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これはテストだ。目的は殺し合いではない、こちらの実力を相手に知らしめること。切波にとっても、僕にとっても。
だから戦いに邪魔が入らないよう、彼女が風属性の魔術結界を張る準備を始めても僕は止めなかった。もちろん、結界が建物を破壊するのを防止するためだけではないことは分かっている。自分の得意とする属性で結界を張れば、ここは彼女のホームグラウンドと化す。風属性の魔術の効果が倍増し、反属性である土は半減。仮に僕が土属性を得意とする術士ならば、この戦いで勝利することは絶望的だろう。
彼女が聖水で描いた魔法陣の前にかがみ、呪文を唱える間、僕は手すりに凭れて、せわしなく活動を始めた平日の街の風景を眺めていた。切り替わる信号と、歩き出す人々。彼らも僕と同じように生まれ変わった生命なのだろうか。それともゲームのNPCのように、僕の視界から消えたと同時に存在も消えてしまうのだろうか。
(まさかな)
指で煙草を弾くと、灰が横向きに流れていく。自分が特別な人間だと思うほど、僕は自分が好きではない。自尊心を持って生きていくには、過去世が不幸過ぎた。
なぜ、僕は同年代の集団的悪意から逃げずに、耐え続ける道を選んだのだろう。不思議だった。そうまでして学校に行く価値はなかったはずだ。さっさと退学届けを提出して、自由気ままなフリーターになっていれば、いくらかはマシな人生を送れていただろう。まあそれでも、あの日死ぬことには変わりなかっただろうけれど。
「準備はできたわ」
切波に呼ばれて、僕は振り向いた。表面的には自信ありげに振る舞っていたが、表情が固い。
「切波城一郎以外と手合わせするのは、これが初めてのようだな」
「……充分よ。父より強い人なんてそうそういないもの」
「それもそうだな……じゃあ始めようか」
僕は手すりから手を放し、二本目の煙草を取り出す。それを見た切波は一瞬、呆気にとられた表情をした。言い換えれば、油断した。
「気を抜くな」
「あっ……くっ」
隙を指摘された彼女ははっとして、僕から距離を取った。警戒するように身構える。仲順だが、感情的になって突っ込んでこない分、昨晩の炎使いよりマシか。
「行くわよ……」
彼女が呪文を唱え始めると、ワンピースの裾が激しくはためいた。屋上の落ち葉が切波を目として円を描く。
「セイレーン・ティアッ!」
彼女が叫んだ瞬間、その魔術に関する知識が自然と蘇ってきた。それは上級者向けの魔術で、合計十六の緑色の刃が四方八方に飛び、ブーメランのように旋回する。刃は操作可能で、いつ攻撃してくるかは分からない。
「悪いけど、本気で行かせてもらうわよ!」
切波は優秀な魔術師だ。回避行動をとりながら、僕はそう確信した。同時に複数の刃を操るのは並みの術士ができることじゃない。しかも避けた方向を予測して、次の刃を向かわせている。
ただ、それでも彼女は自分の力を使いこなしているという訳はなかった。同時に動いている刃は最大でも三本。あの時のように十六本を同時に操っている訳ではない。
(あの時? ということは、僕はこの魔術を使う相手と戦ったことが……)
思考に気を取られたために、避けるタイミングが遅れてしまう。右腕を刃がかすめ、上腕の肉が数センチ喰われる。切り傷特有の鋭い痛み。
「やった!」
「……かすり傷だ」
すぐに態勢を整えた僕は地属性の術を使った。土のシールド。待機中の塵が集合し、半透明の球体となる。
「……そんな弱い守りじゃ、私の攻撃は防げないわよ」
「……ああ、分かっている」
彼女の言葉は正しい。僕が使用したのは教科書で言えば、低級の基本術だ。しかし、僕にはそれが精いっぱい。上級どころか中級の魔術すら僕は使えない、というより鍛えていない。
一分も持たず、切波の刃で僕の守りは簡単に砕け散る。すかさず、再度同じ魔術で守りを張る。
しばらくはその繰り返しだった。破壊される度にシールドを張って、回避行動を続ける。そうやって徐々に切波の刃のスピードと威力とを削いでいく。
「……持久戦ってわけ? でもあなたの体力がもつかしら」
「体力には自信があるんだ」
「へえ……なら、これならどうかしら」
切波は次の魔術詠唱に入る。その表情からは先ほどの固さは消えていた。今の彼女は平常心を取り戻しているから、自分の実力を最大限発揮できるはずだ。
「セイレーン・ティア」