3(Hyde)
数時間前(卓也が喫茶店を出てしばらく後)
『ラグーナポリス』繁華街 娯楽施設『易占奇術』
人間と魔族の共存、科学と魔術の融合を目指して創設された地域、『魔族特区』。
そこは、人類のさらなる可能性を模索する場であると同時に、底なしの利益を秘めた市場でもあった。
魔族を新たな顧客、魔術を新たな商品開発の技術と捉えた各業界は、積極的に『特区』へ進出。
特区の一つ、近畿地方の『ラグーナポリス』もその例に漏れず、20世紀末に開催されたリゾート博覧会跡地から、4倍の広さに拡張した人工島の繁華街には、国内外の有名ブランドが、見本市の如く軒を連ねている。
そんな大御所たちが立ち並んでいる大通りの一角、テニスコート2面分の敷地に構えられているのが、『易占奇術』だ。
地上5階建てのビルの内、地下を含めた3階層分にゲームセンターとスポーツジム、カラオケボックスを詰め込んだ、複合娯楽施設で、その知名度はラグーナポリスの観光ガイドに載る程度。その為、春休みという束の間の自由を謳歌する若人たちで、店内は賑わっている。
しかし今回、目を向けるべきはそんな青春の1ページではなく、その最奥部。サービスカウンターの脇から伸びる、L字の通路の先。普通の客なら気づかない場所にあるエレベーターでのみ訪れることができる場所。
表向きは、従業員の控室や景品その他の倉庫という事になっている3階フロアの一角に、古い行燈が目印としておかれた部屋がある。
かつては闇に生きた怪異たちが公の存在になった現在でも、なお起こる奇怪な事件、それを解決してくれる相談所、『占い処 暁-アカツキ-』である。
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3F 『占い処 暁-アカツキ-』
襖を模したスライド式のドアから中に入ると、そこはおよそ8畳の応接間。左右の壁際には本棚と茶箪笥が並び、部屋の中央には、カラオケ屋の備品を流用したL字ソファとテーブルが1セットおかれている。そのさらに奥には、大通りを見渡せる窓を背に執務机が一式置かれ、脇には天井をブチ抜いて梯子を掛けただけの、大雑把な上階への連絡口が設けられている。
その『占い処』の主人である異邦人2人は現在、とある夫婦を来客として、中央のテーブルで迎えていた。
「どうか、お願いします。娘の、シズクの無念をどうか・・・」
夫と揃いで喪服に身を包んだ夫人は、テーブルの上に茶色く分厚い封筒を置き、ハンカチで顔を隠しながら、頭を深々と下げた。
やや大げさに見えるその仕草が向けられた相手は、彼女らとは祖父母と孫ほども歳が離れていそうな、白いワンピース姿の少女。アジア系の顔立ちだが、目元が隠れる長さの髪は濃い茶色で、その隙間からは灰色の瞳が覗いている。
彼女は夫婦が差し出した、『福沢諭吉』が束となって顔をのぞかせている封筒を、困った様子でしばらく見つめると、助けを乞うように、隣に座る女性を見上げる。
少女より10歳ほど年上と思われる、長い金髪に蒼い瞳の赤いドレスの女性は、その意を汲み取ると頷き返し、卓上の封筒を丁重に押し返す。
「お気持ちはお察ししますが、これはお戻しください、ご両人。こういったご依頼は、我々ではなく警察へされた方がよろしい」
「そんな!?『魔物』の被害者なら必ず助けてくれる、そう聞いてわざわざ足を運んできたのにっ!」
ハンカチを握りつぶし、夫人は青筋が浮いた顔を見せつける。その目元に、涙の跡は見られない。
やはり芝居だったか、と内心で呆れながらも、赤いドレスの女性、新井ララは冷徹な表情のまま、間違いを訂正する。
「我々が助力できるのは、あくまでも『民事』で解決できる案件です。今回のような、警察が捜査をしている『刑事』の事件は、お引き受けできまs・・・」
「もう良いわ!あなた達に頼もうとした私が馬鹿だった!」
夫人はヒステリックに叫ぶと、狼狽えている夫を放って、独りで部屋を出ていく。
「同じ『魔物』の分際で、人間のマネなんかしてんじゃないわよ!!」
入口のところで振り返り、そう捨て台詞を吐いて出て行った夫人に、店主2人はポカンとした顔で、互いに顔を見合わせる。
「・・・妻が、申し訳ない事を。私の仕事の都合で、娘と3人でこの街に越してきたのですが・・・」
「お気持ち、お察しします」
少女が同情の声をかけると、夫はそそくさと『占い処』を去った。
ちゃっかり、札束入りの封筒を懐に入れて・・・。
「「はぁ・・・」」
来客が去り、戸が閉まったのを見届けた2人は、やれやれと体の力を抜いた。荒事を想定し、こっそりと『助っ人』を呼んでおいたのだが、その必要が無かったことを、内心で喜ぶ。
すると、それから数秒もせぬ間に、再び入口の戸が開けられる。入ってきたのは、その『助っ人』だった。・・・何かあったのか、すでに左頬を腫らしている。
「えっと、今すれ違った2人組が、メールにあった『依頼人』か?やけに足早だったけど」
喫茶店に居た時とは、がらりと雰囲気が変わっている彼、卓也は、保冷剤をキッチンペーパーで巻いた即席の氷嚢を頬に当てながら、部屋に居た2人に尋ねる。
それに答えたのは、白の少女、新井ミカだ。
「ううん、刑事案件だったから断った。『魔物』呼ばわりされちゃったけどね」
『魔物』、その単語を聞いた卓也は、びくりと肩を震わせ、踵を返そうとする。
だが、即座に赤の女性、新井ララがソレを制する。
「まてまてまて!怒るのは判るが反射で動くな!!ミカは堪えたんだぞ!」
「・・・・」
その言葉で、卓也は『非常口のポーズ』で数秒固まった後、渋々ながら来客用ソファに腰を落ち着かせた。
「まだそういう連中が残ってんのか?人間ってくっだらねぇ事を、いつまでも引きずるよなぁ」
他人ごとのように言う卓也を、ララは諫める。
「お前だって元人間・・・ああ、そうだった。お前は最初からこっち側だったか」
「珍しいわね、あなたが昼間から出てくるなんて。その左頬の所為?『ハイド』ちゃん」
ミカが患部を指さしながら問うと、卓也は忌々しげな顔で、ソファの上でゴロンと寝ころんだ。
「どこぞの叔母上様が、『ジキル』を休日出勤させやがった所為でもあるけどな。こっちに上がろうとしたら、一階の隅の方・・・ほら、新しくプリクラの台を置いた辺りで、カツアゲをやらかしている連中を見つけちまったんだよ。で、『お客様対応係』なんて肩書の『ジキル』は、それを止めに入り、カツアゲ犯の一人のヘッタクソなアッパーを食らい、俺様ちゃんが『起こされ』ちまったって訳だ」
話の節々で留める仕草や殴られる仕草を交えながら、ハイドは語った。
「この店でそんな事をするとは、島外からの旅行客か?・・・で、その哀れな不良たちは今?」
「地下一階のフィットネスクラブだろうよ。俺様ちゃんが伸した後、テイカーの旦那がまとめて担いでいったからな」
それを聞いた2人は、連れていかれた不良たちのその後を想像し、そっと祈りをささげる。
「かわいそうに、この店で暴れたばかりに・・・」
「あ、あとでアルムさんに電話しておくわね。『お店に警察が来ない程度』に加減しておいてって」
「放ってても大丈夫な気がするけどなぁ。・・・って、俺様ちゃんの事は、もうどうでも良いから」
再び体を起こしたハイドは、氷嚢をポイッとくず籠へ投げ入れる。その頬は、最初から腫れてなどいなかったように、完治していた。
「さっさと本題に入ろうぜ。呼び戻した理由は、カツアゲじゃなくあの夫婦だろ?喪服だったって事は、最近、街の方でオイタしてる殺人鬼に絡んで、か?」
「ああ、喫茶店で新聞に目を通したか?昨晩、夫妻の一人娘であるシズク嬢が、4番目の被害者となったんだ。高校進学時に、父親の転勤に付き添う形で島に来た少女。17歳、4月で高校3年になる予定だった」
「17歳の女子高生、ね。最初が不良グループの頭目、次が泥酔したサラリーマン、風俗嬢と続いて、か。手当たり次第だな」
ドブの中の汚泥を見ているような目つきで、ハイドは呟く。
まったくだ、とララは彼に同意しながら、独自に調べていた内容がまとまったファイルを、戸棚から取り出す。
「犯行は夜遅くである事。全員が身体を貫かれて殺されている事。現場に残った血液の量がやけに少ない事。この3つが共通点だ」
「夜に活動して、人間の体を貫通できる力があって、血を食らう者。・・・やっぱ吸血鬼しか思い浮かばん」
「それも成り立てで、かつ単独で行動している、ね。『親』が一緒に行動してるなら、血の接種方法をきちんと教えて、連続殺人なんて起こるはずないもの」
「独りでやってるなら、犯人は自分の痕跡を完全に消せないはずだろ。警察はどこまで追い詰めているんだ?」
「既に身元の特定はできているようだな。情報屋によれば、私服の刑事たちが、この男の行方を聞いて回っている」
ララは一枚の写真を、卓上に置いた。
そこに写っているのは、髪を緑と赤で染めピアスを顔にむやみやたらと付けた、チンピラの見本のような男だ。
背景がなく真正面を向いていることから、何かの証明写真として撮られたものらしい。
「名前は――――、25歳。島外で喧嘩や軽犯罪で複数の前科あり。大阪のミナミ界隈で、不良グループを率いていたが、最近そこを抜けて、特区に渡ってきたみたいだな。資料ではまだ人間という扱いだから、移り住んでから『転化』したのだろう。最初の被害者と、島のグループの主導権について争っていた事、犯行現場がすべてこいつの活動範囲内という事から、警察は確保に奔走している」
「だが捕まっちゃいねぇ。警察にだって対魔族チームがあるだろ?ジンノの旦那は何してんだか」
「向こうは人間だった頃からの札付きだからな。警察の動きをうまく察知してかわしているのだろう。だが、遺族にはそんなことは関係ない。しびれを切らして、我々『法の外に居る者』を頼ってきた」
「でも、私たちはやっぱり刑事事件には関われない。下手を打てば私たちが捕まるし、ジンさんにも迷惑掛かっちゃうから」
懇意にしている警察官の顔を思い浮かべながら、ミカは残念そうにかぶりを振った。
闇に生きる者たちに人間の法が適用される。それは魔族の悪行を罰する機会を増やしたが、同時に懲戒する側にも、厳しい制限を課す結果となったのである。
漫画やアニメのように、怪物を切り刻み、あるいはハチの巣にする行為も、今や犯罪として扱われる時代なのだ。
「・・・だったら、正当防衛、って事ならどうだ?」
ふと思いついた様子で、ハイドがある提案を持ち掛ける。
「正当防衛?・・・囮を使うつもりか」
意図を察したララにハイドは頷くと、ミカの方を向いて説明する。
「お母様の能力で、奴の居場所を絞り込む。で、その近くに叔母上様を潜ませた状態で、ジキルをうろつかせ、襲わせる。そして『起きた』俺様ちゃんと叔母上様でこいつをボコって、ジンノの旦那に引き渡す」
「・・・ジキルに、そんな痛い役目をさせたくはないのだけれど」
目の前の卓也ではない、別の卓也の身を案じるミカ。ララはそんな彼女の前に跪くと、下から見上げる姿勢で、励ましの声をかける。
「私がついている。安心してくれ、姉さん。それに、この甥っ子は既に一度、体に穴をあけている。2度目だからすぐに復活するさ」
「ちっ、昔の事を掘り返すなよ。というか、風穴開けやがった張本人はあんただろうが、叔母上様よぉ!」
若干イラついた声で、ララを睨むハイド。その両眼は日本人とは・・いや人間からも程遠い、真紅の光を宿していた。
「うん?今から予行練習でもしたいのか?相手は所詮素人だからなぁ、私と違って、無駄に痛いかもしれないぞ?」
売られた喧嘩を買うように、手刀を作りながら威圧的に立ち上がるララ。サファイアのようだったその双眸も、彼と同じく紅に染まっていた。
「もう、2人とも!喧嘩は外でやりなさい!」
そして、テーブルに飛び乗り、2人へパンチを一発ずつ見舞いながら、間に割って入ったミカも。
「この部屋の家具、高かったんだから!壊したらお仕置きよ!」
妹と息子を交互に牽制するその幼い瞳は、2人よりもはるかに強く、紅に輝いていた。