2(Hyde)
3月某日 深夜
ラグーナポリス とある児童公園
「だぁれが殺人鬼だ?誰が?」
ぐったりとした卓也から、彼の血で真っ赤に染まった腕を引き抜いた男は、その場に崩れ落ちた躯を踏みつけながら、不満そうにつぶやく。
「2つ訂正しとくぞ、餌ぁ。俺は偉大なご主人様に洗礼を受けた夜の貴族、『吸血鬼』だ。そして、お前らはオレ達の『餌』。だからこれは『食事』であって『殺人』ではなぁい。・・・って、聞こえてねぇか」
ぼうっと開かれた卓也の眼を確認した男は、つまらなそうに立ち上がると、自分の掌を汚すドロッとした赤黒い液体を、ためらいなくしゃぶる。
それを口の中で咀嚼し味わうが、すぐに顔をしかめ、汚らしい声と共に吐き出した。
「ぼげぇぇ・・・まっずぅぅ!?お前の血どうなってんだ?これまでで最っ低の味だ!・・・おえぇ」
傍若無人に卓也の血を吐き捨てると、吸血鬼は仕返しとばかりに、彼のわき腹を、何度も蹴りつける。
「ったく、昨日の、女子高生が、最っ高だった分、落差でっ、気分、最悪だっ!!。・・・・はあ、はあ、口直しにもう一狩りいかねぇと。でも繁華街はもう、裏路地ですら人通り減っちまったしなぁ」
最強の防犯装置が西に消え、自分への警戒から人気の絶えた公園内を見渡しながら、殺人鬼は、ため息をつく。
すると、背後から第三者に声を掛けられた。
「・・・それなら、私の血はいかがかな?」
振り返ると、一人の女が公園の入り口から、こちらへと歩み寄ってくる。
赤いドレスに身を包み、それとは不釣り合いなクーラーボックスを肩から下げた、20代に見える女。
その金色の長い髪は幽かな夜風にたなびき、蒼い両眼はまっすぐに男を見据えている。この場の惨状を、気に留めていない様子だ。
星明りも頼りないほどの、人間の眼では何も見えないはずの暗がりを進む彼女だが、吸血鬼の眼はその全容をはっきりと捉えていた。
男は喉の渇きが込み上げてくるのを抑えつつ、女に向かって問いかける。
「お嬢さん、自殺志願者か?俺が言うのもなんだが、まともな人間はこんな状況で、平然としていられねぇはずだが?」
「半分正解で、半分間違いだ、夜の貴族殿。私は自殺志願者ではないが、マトモとも程遠い。『連合』の代理人、と言って解るかな?」
代理人と名乗った女だったが、身分証の類を見せるそぶりはない。
吸血鬼も初耳らしく、首を傾けいぶかしむ。
「ああ?・・・ねくさす?聞いたことねぇな」
すると女性は、それを予想していたように、かぶりを振った。
「やれやれ、どうやら君のご主人はむせきに・・・もとい自主学習を推奨する御仁らしいな。我々『連合』は、簡単に言えば魔族の互助会だ。吸血鬼の場合は、合法的な血液の提供を行っている」
男勝りな口調で語られた代理人の言葉に、吸血鬼はにやりと笑う。
「へぇ、血をくれるのか。じゃあ今すぐ貰おうかな、代理人さんよぉ」
そう言って吸血鬼は、下品な笑みを浮かべて近づいていく。
代理人の女はその場を動かず、クーラーボックスをそっと地面に置くだけ。
そして、2人の距離が1m程にまで縮まったその時、突如、吸血鬼の動きが止まる。
「・・・おい、ねぇちゃん。なんの冗談だ?それは」
苛立った声で威圧しながら、吸血鬼は代理人の女がこちらに掲げたソレを指さす。
彼女が差し出した手には、赤い液体の入った、ポリ塩化ビニル製の袋が握られていた。
いわゆる、輸血パックと呼ばれる代物だった。地面に置かれたクーラーボックスから取り出されたものだ。
「言っただろう?合法的に血を提供する、と。善意の献血で集められ、公的機関が管理・供給している吸血鬼専用の『輸血パック』だ。直接飲むのもいいが、私としては本来の用法である血管からの輸血をおすすめ・・・」
「ふっざけんなぁ!!」
スパン ビチャッ!
激昂した吸血鬼が手刀を一閃させると、血液パックは切断され赤黒い中身がレンガ張りの地面を汚す。
「だぁれがそんな病人みてぇなマネするっつったよ?俺は夜の貴族様だぞ!血ぃ寄越すんなら、てめぇのを寄越せヤァ」
振り払った腕を今度は目の前の女へと突き出す。
常人の視力では、書き消えたように見える速さで繰り出されたそれは、男の遠く後方で倒れ伏す卓也と同じように、女の腹を突き抜ける。はずだった。
しかし彼女は、ため息と共にそれを難なく避ける。
「アラァらったった!?」
空振った吸血鬼はバランスを崩し、軸足一本でケンケン飛びをしながら、どうにか堪えようとする。
が、今さっき自分で破いたパックの破片を踏んづけ、盛大に転んだ。
「はぁ、まったく。ドコのアホウだ?こんな無能に『血を分けた』のは・・・」
そして女は、クーラーボックスのベルトを拾いあげると、吸血鬼に背を向けて立ち去ろうとする。
「おい待て!どこに行く!?夜の貴族である俺様をコケにしといて、生きて帰れると思ってんのか!?」
前のめりに倒れ込み、顔面を強打した吸血鬼は、体を起こし鼻血をふき取りながら叫ぶ。
すると女は面倒臭げに振り返り、心の底から不快なのだという視線を、吸血鬼にぶつける。
その瞬間、時間が止まったように吸血鬼が硬直する。再び突き出そうと構えていた手刀はブルブルと震え、背中には冷や汗がにじんだ。
「貴様が夜の貴族?笑わせるな、下賤。目の前にいるのが同胞・・・いやこの言葉は不適切か。・・・『どんな存在』かも察せられないアホウの分際で、調子に乗るな!」
「そ、その目は・・・!?」
こちらを射抜くその眼の変化に、吸血鬼は慄く。
サファイアのようだった彼女の瞳は、己と同じ真紅に染まっていた。
さらに・・・
「痛っつぅ。出来たてで背伸びしてる素人、と楽に観てたが、下手くそに抉られるってのも、きついもんだなぁ」
背後から届いた、もう聞こえるはずがないと思っていた声に、吸血鬼の瞳が、限界まで見開かされる。
「ま、まさか・・・なんで」
「はっ、ばっちり聞こえてたぜ、てめぇの自信満々な弁論」
無理やり首を動かし振り返ると、外灯の明かりと暗がりの境目で、ゆらりと人影が起き上がるところだった。
そしてソレから、吸血鬼の口調を真似た声が漏れる。
「だが2つ訂正しとくぞ、殺人鬼ぃ。昔はともかく、今は『何とか協定』って決まりがあって、勝手な吸血は禁止されてる。当然、ソレで死なせたら殺人になるんだよ。だからてめぇは、やっぱり『殺人鬼』だ。んでもって、俺様ちゃんは、そんなを悪人ども狩る、てめぇらの『天敵』だ」
紅い瞳で吸血鬼を睨みながら、倒れた自分に吐かれたセリフをやり返した卓也。
その口元からは鋭く伸びた犬歯が覗き、その双眸は、代理人の女と同じく、真紅に染まっていた。