第141話 たとえそれがどれほど無意味であっても
言語化して説明しきれないものってきっとあると思う。あるいは言語化で消え去るもの。
ということで共食いな話。チンパンジーも共食いしてるしヘーキヘーキ。人間も共食いの例は色々あったね……?
山中の木の空、住んでいた鳥を殺して奪った休憩地点で777は不調のため寝込んでいた。
眩暈に発熱、頭痛に始まり、振戦や皮下出血、その他ショック症状。
魔力欠乏からある程度回復しても治まらぬ不調は感染症によるものと、栄養失調によるもの。
むき出しになっていた脳や髄膜に感染を起こしたのだ。
脳は浮腫み、応急として身体が張ったタンパクの膜が頭蓋を超えて膨らんでいる。
本来であれば狭い頭蓋の中で高められた圧力が脳を傷めつけるのだが、頭蓋骨が閉じていないため圧が抜けているのだ。人智を超えた強敵のおかげだとも言えるのだが、感染の大元もそれで、圧力で押し付けられた脳に穴の棘が突き刺さって傷つけている分むしろマイナスなことは間違いない。
抗菌薬や、ましてや輸液の概念すらないにも関わらず、それだけの脳損傷を受けて生きながらえているのは人外ゆえの体力か。
しかしその命運も最後は運、栄養状態に全てが委ねられてしまった。
元はと言えば再生を繰り返してきたモノだ、多少の菌汚染を物ともしない強固な自然免疫が備わっている。それが失われたのは魔石などを主食に変えたことにより免疫系を維持するための材料がなくなってしまったためだ。
思考の中枢たる脳を細菌に侵されており唸ることすら出来ず、天使は喘ぎ口で頻回の呼吸を繰り返す。
そして口元に血で鳥の羽をこびりつかせたのをそのままに、呆然と眺める18。
実際には何も見えていないはずの天使の残った片目は18の方向、空に焦点があった。
18に777ほどの知性はない。それを理解できる程度の知能は幸か不幸か持ち合わせていた。
その知能が告げる、何か変だ、と。
吸血鬼というものは莫大な体力や身体能力を持つ。
それが、まるで人間がやるように呼吸すらも満足にできないなんておかしい。
それだけではない。彼女自身の言葉では説明できない何かがある。
18よりも賢い777ならばあるいは、曖昧なそれを言葉の枠に落とし込み説明してくれたかもしれないが、今はそれを望むべくもない。
うん、と誰もいないのに一人相槌を打ち、考えうる最善手を取ることにした。
即ち、御飯。
鳥を何羽か食べたため腹の虫は鳴かないが、それでも腹一杯には程遠い。
戦うと、腹が減るのだ。
「ぎぎゅあああ!??」
18の狩りの手法はごく単純、上から襲い掛かり両脚で獲物を搔っ攫う。
たまに獲物を弱らせるために空からあえて落とすこともするが最初に獲物を快適な空の旅へとご案内することは変わりない。
よって、単独で狩りをする彼女の成功率はまさしく自然動物並み。全翼長40mの体躯が地上からどれだけ見つけやすく見つかる前に隠れやすいかを考えると、狩りにすら至らないことも多い。
それでも巨体を維持しさらに狩りをしない時間的空白を作れるのは、体が大きく警戒心の比較的薄い捕食者を主に狙っているためである。
喰いでのあるいい獲物は18の強襲にも対抗し得るかもしれない鋭い牙を持つ。
変身状態でほぼ全身に生えた羽毛のおかげでそれらのダメージも多少軽減されるが、会心の一撃であれば繊細な体術を使えない彼女はダメージを喰らう。
先の悲鳴はそれを受けてのもの。
しかし、ダメージはそこまで大きくない。人外との戦いでの負傷と比べるとかすり傷にすらならない。
無知は恐怖を生む。彼女は基本的にビビりなのだ。
反撃の牙を遠ざけようと矢鱈に蹴り出した爪先が四足歩行の獣に横っ腹に刺さり、皮膚と筋肉を破って血を噴き出させる。
致命傷。遠からず感染で死ぬだろうソレは尚も木に着地、わずかに身を屈めて飛びかかる。
そして、えい、と硬い鱗に覆われた脚が無造作に頭蓋を蹴り砕いた。
びくり、びくりと司令塔たる脳を失い硬直痙攣したその頭を木の上で踏み潰し、もう一方で胴を掴んで引き抜く。
狩った獣の頭は落とした方がいい、そういつだったか13は言っていた。
「いただきま」
待ちきれず『ま』の時点で大きく開けた嘴。
残った胴体を頭を屈めて口に運び、頭を上に向けて嚥下した。
申し訳程度に「す」、と漏らす。
毛を毟ることなく口に入れたため、水分が大量に毛に吸われ胃に運ばれ代わりにじゃりじゃりとした毛足の短いそれが口の中に残る。
パサついた口腔に張り付く毛を分泌される唾液の助けを借りて剥がし、奥歯ですり潰す感触を楽しみながら次なる獲物を考える。
777、いつもは何を食べていたかしら?
綺麗さっぱり忘れている。18の記憶力で、わざわざ時間をかけて教えられなければそうなる。
そうしてまあいっかの一言で全て水に流された。18と同じ食事でいいだろう、と。
飛び立った先に、いた。丁度鶏のような、人ひとりが食べるのに丁度いい大きさの鳥。
バサリと翼をはためかせると生じた乱気流に呑まれ飛び方が途端に怪しくなる。
速度を大きく落とした獲物を口を大きく開け丸呑みにしようとするが、掃除機のように吸い込まんとするところで我に帰る。
あぶないあぶない、まるごとたべちゃうとこだった。
と、心の中で呟き自戒。閉じた嘴で突っつき錐揉みして落ちたところを脚で掴もうとするが、目算がずれ木々の間へと入っていった。
8mの巨体は木々に引っかかるため変身を解除、身体を縮めた結果小さくなった胃を内容物が圧迫して息が詰まるのを無視し、目の前を通り過ぎようとする影を追い地上へ。丸々と肥った胴体から伸びる細い首を掴み握ればそれだけで粉砕骨折をきたして絶命した。
18はそれでも一応、と折れた首でぶんぶんと振り回し生死を確認するが、その過程で無傷だった胴体が木にぶつかり傷ついてしまう。
知ってか知らずかひとしきり無遠慮に振り回したのち木を蹴って上から脱出しようとするが、ズルリと滑る表面が阻む。
小さな小鳥程度ならそれでも飛んでいけるだろうが8mの巨体、さらに40mの翼が使えるスペースはないのだ。
他の手段など思いつかないというある種さっぱりした諦めの良さで頭を切り替え、大きく張り出し下の視界を遮る腹を持ちながらもえっちらおっちらと細く、短くなった脚で草を分け歩みを進めると、道に迷う。もとより土地勘のないのだから順当な帰結だ。
それでも、朽ちた木によって薙ぎ倒され森にぽっかりと空いたデッドスペース。
運良く見つけたそこでさらに兎に出会う。
未だ満腹には遠いと告げる視床下部が、彼女に捕食を命令した。
「いただきまあ」
身体を小さいままにしておくべき道理もなく、変身と同時に口を大きく開け顎の延長に延びる嘴で兎を摘まみ取ろうと首を延ばすが間一髪、兎が気付き跳ねることで避けられる。
伸び切った首の射程圏外だ、諦めきれずあぐあぐ顎を開閉させるが届くことはなく、うさぎは草藪の中へと消えていってしまった。
薮の向こうを兎が戻ってくることを期待してじっと見つめていたが、数秒もした頃だろうか諦めて数秒前の失敗をまるで忘れ空へと飛び立つ。
視覚的には丸呑みにしたところとほとんど変わらない風景。
特徴的な鳥の囀りが消える周辺を探り、仮拠点へと帰還する。
胃が横隔膜やその他臓器を圧迫することを嫌って変身を解除しないまま頭だけ木の空に突っ込むと、奥に777が誰にも襲われず生存しているのを確認する。
涎やらをだらだら垂らした鳥の頭を千切って呑み込み、本来最も美味しい部位である胴を777に向かって転がすも、777に反応はない。嘴の先で小突いても反応がないあたり死んでいるのではないかとも思ってしまうが、荒い息を繰り返し呼吸が途切れる様子もないため死んではいないだろう。
「ぴぃ」
弱った18は情けない声を上げて時間にして一秒、考え込む。
自力で食べられないのなら、食べさせてやるのがいいだろうか。当然ながら丸呑みをする18に調理技術はない。必要ないので。かと言って首を失った肉はしばらくすれば腐る。
そして18の導き出した最適解。
他の生物に777の消化機能を肩代わりしてもらうこと。即ち今のこの場合において18のみがそれに当たる。
その方法について18は心当たりがあった。丸呑みする都合上、どうしても消化できない突起物などは腸に送るわけにもいかず上の方から体外に排出する必要がある。
それを繰り返すうち、食道なども慣れて異物を任意のタイミングで排泄することができるようになった。
吐き戻しと言われる行動。哺乳類や鳥類にも見られるものだ。
18も他の鳥類や食肉目の哺乳類のように育児経験があるわけでも、鸚哥の様な求愛行動をとったこともない。というか、そもそもメスだし。
だが、未経験からくる見通しの悪さを全く気にも留めず、ある意味勇敢にもげんげろげろと顔面目掛けて胃と強酸によりグズグズに溶けたブツを投下する。
強酸は大量のタンパクで薄められ、皮膚を侵すことはない。
しかし意識のない肺呼吸生物に食物を送り込めばどうなるかは、その死因がヒトの何割もを直接的に殺していることが示している。
窒息。
泥酔したヒトが吐物でなるのとほとんど同じ原理でまさに溺れた。
無意識に窒息させるモノを排除しようと藻掻くが液体とドロドロの固体のようなものだ、まるで見えない手に首を絞められているかのように、手はむなしく空を切る。
ピクピクと痙攣するのみになるが、決して777は死に瀕しているわけではない。魔石を主食とし新陳代謝の著しい低下を起こした777には、代謝機能としての呼吸は不可欠な機能ではもはやないからだ。
肉体のターンオーバーが抑えられた、言わば、肉体としては緩やかな死を迎えている状態。霞を食べて生きていると言われた仙人に在り様が近づいていると言えるのかもしれない。
機能が低下しているとは言ってもポテンシャル的に人間程度の消化能力を持ち合わせた777は反射的に喉頭蓋を閉め食道を蠕動させることで飲み下す。
文字通りの鳥頭のため表情筋がほとんど働かないのでわかりにくいが、よしよしと、意図した通りになったことに目を細めた。強制的にも程がある給餌をほどほどに、胃酸で粘つく毛や獲物の消化管に詰まっていた未消化物をズルズルと啜り上げ、胃に戻す。
顔面を汚したお詫びとばかりに意識のない777の顔を舌で一周すると、心なしか満足げに18は鼻から息をふんすと吐き出した。
一方その頃、777の体内では胃から吸収される糖質に対しインスリンが急遽産生を開始され、かなり崩れていた血中の電解質異常がさらに乱れようとしていた。まだ胃液で溶かされているだけマシだが、消化液分泌機能は衰えて久しく吸収機能がどこまで働くかは怪しいところ。
また胃腸としてはずっと絶食状態だったのだ。糖を代謝するために必要なビタミンB1や細胞増殖に不可欠なビタミンB12、鉄分などが不足している。
生から離れていた罰とばかりに、身体が牙を剥く。
私、善意。地獄までの道を舗装してるの!最近一方通行にしたお陰で2倍以上道が太くなったよ!褒めて褒めて!
結核だったか、忘れましたが病気の女性に恋する人は少なからずいるという話を見かけました。
長い入院生活の中で色白、痩せて、熱のため両頬は熱を帯びて瞳は潤んでいる。さらに唇は血の巡りが良く鮮やかになる。ハイ綺麗。なお予後。サナトリウムラブとでもいうべきかしら。
サナトリウムが老いも若いもよく使われていた戦前、ある程度の年月をそこで過ごした妙齢の女性ということは、親から見捨てられずにそこに入る金を用意してもらえるということである程度いい家の生まれであること、またその年月の中で世間に擦れていないことが考えられます。綺麗な妙齢の女性でいいとこの生まれ、世間ズレしていないとかヒロインやんけ。
さらに遠くない将来死ぬからこそ綺麗な思い出になって恋するとこあるし、そんな死に近いサナトリウムでの恋愛なんて唯一無二の経験したら一生忘れんでしょ。リアルはおもひでには勝てんのです。