閑話 選べない自由ならば2
ハートフルにしようとしてます。3つの小話ですねん。全部ハートフル。
「何てことしてくれやがった!!?」
夜も更け、隣の家屋よりも格段に風情のある…いやより直接的に言ったほうがいいだろう、ボロい家でジルベールが女の頬を殴りつける。
娘と違って魔物相手の戦闘訓練なんてしたこともない女が、猟で生計を立てレベルが高くさらに男であるジルベールの拳を受け流す技術も、受けきるだけのスキルが発現しているわけもなく。
女の身体はあえなく宙に浮いて脚の一本折れかけたテーブルに突っ込みそれを粉砕し、テーブルの上に2つ置かれたマグはぬるくなったお湯を撒き散らして床に転がる。
「何すんだい?!」
だが十数年もの付き合いであり彼のことを隅から隅まで、それこそ彼の妻よりも知っているかもしれない女は気丈にも言葉で返す。
「会合で言っていたはずだろうが!甘い言葉に誘われて子供を売らないように、って?!同じ目にあわせたいのかよ?!」
一度子供を売るということが出てくると、ギリギリで耐えていた家庭も収まりがつかなくなり、我も我もと決壊していくのは集団の弱いところである。ついでに貧しい家庭は隣り合うことが多いものだ。
奴隷を扱う非合法組織はそれをこそ狙い、一度奴隷を入荷したらその近辺にももう一度、”どこどこはお子さんをうっぱらっちゃいましたよ”などと言ってアプローチをかけるのだ。貧乏な家はそうそう貧乏から抜け出せないので一世代交代するころにももう一度。
ジルベールの実感のこもった口調は、つまりはそういうことであった。
そしてこの村で一等見るからにボロい家屋で母子家庭。狙われない方が不自然というものである。
「アンタたちにはわからないでしょうね、コブ付きがどれだけ苦しいかなんて!」
そもそも論的に村は互助組織として成立する。大変な農作業を協力してやっていこう、というギブアンドテイクの関係だ。コブ付き、それも父親がわからない、子供は幼いとなれば結婚相手として第一選択にはなりにくい。男手という労働力を供出できない家庭など、村八分を食らってもおかしくないのであった。
むしろ、そんな厳しい状況の中でも女性というものをフルに利用して男たちから協力を引き出し娘をなんとか育てて見せた執念が驚嘆に値すると言えるだろう。
減らず口をなおも叩く女にさらなる制裁を加えようと近づいた瞬間。
「アンタの娘なのに娘の心配はしないわけ?!」
あらん限りの力を込めて彼の手を引っ張り込み、彼の眼を真正面から見返して口走ったこの言葉こそが真実を示していた。
約16年前に犯した過ちという奴である。一晩の、とはつかず現在も時折こうして体を重ねることがあるあたり一時の迷いなどとは到底言えず両者の責任は一層重い。
ただ、状況をより複雑にしているのはここには娘を産み、そして売った加害者と娘を認知しないまま放置していた加害者しかいないことであった。
お互いが娘に対する加害者に他ならないことを自覚しているがゆえに舌鋒は鋭く、責任を押し付けようと足搔く。
世にも醜い争いだが、この思考回路の類似性は却って似たもの夫婦とでも呼べるものなのかもしれなかった。
だが、男がとうとう首に手を掛けようとしたところで両者にとって幸運なことにも扉のきしむ物音で我に返る。風は吹く季節じゃない。
誰かがこの会話を聞いていた。
閉鎖的なために話のタネに餓えている人間は数多い。
このことが言いふらされればすぐに広まり、待っているのは社会的な死だ。
思えば夜更けといえば周囲の音が静まる時間。行為程度は周りもしていることがあるため暗黙の了解といったところだが言い争いの声は誤魔化せない。しかしそれを悔やんだとて後の祭りであった。
幸いにして気配は扉の前から動いていない。
ジルベールが裸身を覆い隠すべくせめてと下半身に毛布を巻き付けると音もなく扉に接近、一気に扉を開ける。
果たして、扉の先にいたのはモーリスであった。
ーーーいったいどこから聞かれていた。誤魔化すにも限度がある。
堂々巡りの思考がジルベールの脳を支配せんとしたところでモーリスの
「本当なの?」
という言葉で我に返る。
何が、なんて言うまでもない。
観念したジルベールは何も言わず身を引きモーリスを家へと招き入れると訥々、話し始める。
本来なら時間と共に村の中で掻き消されるはずが、娘が消えたことで呪いへと大きく姿を変えてしまった16年前から続く恥部を。
モーリスは知る必要がある。
腹違いの妹について。
男には確信があった。
『俺はこのままパッとしないまま生涯を終える』という、悲劇めいて、それでいてやさしさに包まれるかのような安心感をもたらす確信が。
男には何もない。
農家の3男として産まれ上の兄と明確な差をつけられて育ってきた男には、自分で街で稼いでいく能力も稼いだ金を数える知能も。そして根拠のない自信も、異性から愛されたという経験も。
傭兵として戦場でむざむざと命を落とすことを天秤にかけないだけの尖り切った無謀さも。
たまたま会っただけの人間により親しくして人から支えてもらおうという裏のある親切さですらも。
何もない。
それでも自殺をしないのは幼い頃から繰り返し刷り込まれた教会の教え。自殺をすれば、死体は四方辻に埋められ死後も延々迷う羽目になるのだから、それくらいならばいっそ人に戯れに殺されるかぽっくり流行り病で死んだ方がマシだ、という消極的な選択の結果だ。
『求めなければ与えられることもない』と教会で教えられる。
けれどどうだ、求めたところで何も与えてもらえはしないではないか。
何も与えられることがないのに望むのはただの無駄。ならば諦めていた方が幸せだ。絶望がないのだから。
ならば。物思いにふける時間を少しでもゴミ拾いに当てて、得た金で多少酒を飲んでも現実から離れる方がよっぽどいい。
それに同業者がたくさんいる業界なのでいつ男が蹴落とされ明日の食にも困るかは誰にもわからないのだった。
ただ夜明け前から行動しゴミ拾いで生計を立て、時々咳と共に血を吐きながらゴミに埋れて死ぬ。
男がそれに出会ったのは、失明し、水すら飲みに行くことができずに野垂れ死に仕掛けていた時のことだ。
格安の蒸留酒に遭遇し、つい深酒した翌日のことだった。
二日酔いの影響もあって這いつくばって文字通り手探りで乾いた喉を潤すための水を求めているところに人影が差し掛かった。
「目が見えないんだな?よし治してやろう、付いてくるといい」
行く当てもない男は自棄も手伝い手を取られおっかなびっくり男についていくことにした。
腕に痛みが走ると何か冷たいものが注入されていく感覚。
「お前の眼が治るのは少し絶望的と言っていい。だが----」
突然生じた強い酩酊感。気持ち悪さがこみ上げてくるがそれよりも強い眠気に誘われ、言葉の先を聞き届けることなく眠りに落ちた。
そう、これこそが最悪の始まりだったと言えるだろう。しかし男は失明による動揺の最中。当てをみつけつい縋った、縋ってしまったその判断を誰にも責めることはできないだろう。
数日後。治療も一通り済み、辛うじてわずかに回復した左目で、目の前の20を過ぎたばかりなのだろう若者と談笑する。
服にこびりついた酒と煙草の臭いはおおよそすべての人間を遠ざけ、同業者以外と仕事以外で話をするのも久しぶりという状況。
男に巷で話されている話題を理解しようと努める気もなかったため自然男は目の前の若者の話をあまり理解しないまま相槌を打つだけになった。
「近頃劣悪な精製がされた酒が出回っているらしくてね、安酒を買って飲んだ人たちを助けて回ってたら見つけた。そういう寸法さ」
「なるほどな、兄ちゃん、すげえじゃねえか」
男はほとんどなにもわからないまま目の前の黒髪をした恩人をほめる。
お兄さん、ともいえる年齢にはもはや遠く、要領が悪いせいで被った苦労は白髪として現れ。
10や20年齢を間違われることもざらにある男でもおべっかでもなんでも利用して効率を上げる処世術は経験的に獲得していた。
宵越しの金は持たない主義の男は高額な入院費を支払えるわけがなく、ツケにするにしても片目では仕事の勝手が違って日々の糧を得られるかもわからない。
端的に言って詰んでいることを自覚する男はいっそ死んでしまえばよかったのになどと八つ当たりじみた後悔を胸の奥に隠す。
助かってしまえばそれはそれで命が惜しくなったのだ。
たとえ、どんなに苦しみが襲おうと、強い人々の踏み台になろうとも、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、死ね。死のうと生きようと、男の価値は等しく塵芥なのだから。せめて価値を残せと。
元々の教会の教えは違えど、喜捨の金もなくしばらく教会にも行かなくなった男の脳内ではそのように屈折して解釈されていた。
何も意味を考えないまますごいすごいと心から相槌を打っていると、突然の話題変換を投げつけられる。
「ところで、少しもらいたいものがあるんだけど、完全に失明した右眼をもらってもいいかな?」
「は?!!」
「私らの技術ではその眼をこれ以上良くすることはできな―――「待て待て、どういう了見だ?!!!聞いたことないぞそんなこと!!」
……説明するから落ち着いて。エルフの魔法薬でもよほどの豪運で手に入れられない限りその右目は治ることはないだろう。だから、こちらの研究のためにその右目をくれないかな」
なるほど研究のため、なら差し出そうか、ということにはならないのが人の世。狭い知見ではあるが聞いたこともないのに自らの身体を一部差し出すなんて考えられない。
「右目はもう戻らないんだな?」
「こちらではこれ以上の処置は施せないね」
「こっちは?」
閉じた目をさする。
室内が白いのでわかりにくいが、自分の皮膚の色がモノトーンに近い。
左目も色彩感覚が相当失われていた。グレーの区別ももはや怪しい。
「そちらもある程度は・・・」
「分かった」
半ば遮るようにして意思を伝える。
「代わりに割のいい就職先を斡旋してもらえないか?どうもこの目で以前よりも稼げない」
雑談に興じて忘れていたが、これほどの医療、無料になるとは思えない。
フフフと自らを嘲るような喋りを展開しつつ相手の示した条件にプラスアルファを与える。
薬物中毒でお釈迦になった目玉をわざわざ集めようとしているあたり、相手の方から持ち掛けてきたものなのだから相手の利益になりうる範囲で条件を付けくわえても要求は飲まれるだろうという打算。
そうそう。
「俺の右目、ちゃんと役に立ててくれよな?」
「それはもとより」
白い病棟で穏やかに悪手をかわした。
勇者様のもといた世界の科学知識を私たちの魔法技術、ステータスと掛け合わせることを目標とした魔導科学は歴史が浅く、しかし多大なる成果を挙げている。
例えば勇者様の世界の銃を参考にした魔銃、魔砲や家電を参考にしたという家事をサポートする魔道具の数々がマギクラフト社から売られている。
だが、それは戦争の道具として。もっと言うならば汎用的でどんな国にでも使えるよう、簡単に扱えるように作られており、魔銃は弓などよりも習熟が早いとされる。
さらに魔銃は魔王討伐の際にも量産され現在も型を変えつつ売られているため数多くの国が魔銃を使う軍隊を持ち始めている状態だ。
大国に小国では国力で到底かなわない。軍隊や、果ては資源に至るまで、大国が有利なのは考えるまでもない。
では、今のところは何もないが戦争まで秒読み状態とも言える時に、山岳地帯の隅で土地もない、人も少ない小さな都市国家がどうすれば生き残れるか?
蹂躙されることを拒んだこの国が選んだのは勇者様のおかげで単独勝ち組コースを歩んでいるかの隣国に尻尾を振ることだった。
勇者本人と彼が魔王討伐の道中集めた仲間だけでなく、魔王討伐を先導した国として諸国から集められた龍に最新式の魔銃などの数多の戦力を借りずとも。
勇者様との直接的なコネを介してかの国では非人道的といわれる実権を優先的にさせてもらう見返りに数多の資金援助を受け、属人的な魔導科学技術の先駆者としての立ち位置を完成させる。
忸怩たる思いがないわけがない。
勇者様、勇者サマ、ユウシャサマ・・・
あの方が魔王討伐をしてくれなければこの世界は滅んでいた。
文字通りに世界を救った勇者様に感謝がないわけではもちろんない。
勇者様のおかげでここらの国では戦争はめっきり起こらなくなった。
生活様式の変化または、食糧生産の革命や奴隷制度の廃止など、枚挙に暇がない。
だがしかし、それは必ずしも美点のみを齎さない。勇者様のおかげで溜まった鬱憤は彼の死後噴出することは想像に難くなく、奴隷制度廃止や食糧生産増加の裏側では辺境での戦争・紛争の増加がある。
果たして彼のなしたことは有意義たりえるのか?
今を生きる私にはわからないが、それでも分かっていることがある。
勇者という歴史上の特異点には揺り戻しがあることを予想して、備えを怠らないこと。
属人的、つまり人の個性に合わせた魔導科学の研究がその性質上多くの人を実験材料にせざるを得なくても。
男の、失明になったことで効力を失った魔眼も、薬や拷問に依らず痛みに耐性をつけさせる実験サンプルも。
可能な限り”人道的に”誠実に、無駄な苦痛を取り除くべく配慮して、より良い結果を得て、より少ない数で済ませられるように。
男は生殺与奪を握るアドバンテージがあって元々信心深いほうだったから別として。
精神衛生上、出産と言う人の一生における一大イベントに対して説明があるのとないのとでは、悪影響が段違いなのはいうまでもないことだ。たとえ理解出来なかろうと。
ただ、レベルを多少上げただけの小娘だ、意図的に説明を省いたところはいくつもある。
それは実験結果が芳しくない場合、機密情報の保持を考慮してのことだが徴兵された村の子である彼女にその情報が与える精神的悪影響を鑑みた結果でもある。
呪いの技術を持つ人間は事前に弾いてはいるものの、いつ誰に呪われるともしれぬ身。
こればっかりはいるかもわからない神様を恨む。
アルコール摂取で失明。何の中毒でしょう?
ハートフルなストーリーのはずがどうしてこうなった。ピュアな親子愛を書こうとしていたのに。
いや、ピュア(きもったまかあちゃん)でハートフル(hurtful)で説明がつく。間違いない。