閑話 ひとり崩れ行く
とある視点から書いたものです。
閑話です
ついでに述べるのですが、「的を射る」と「的を得る」は最近意味によっては同じと捉えられているそうですね(三省堂国語辞典調べ)
ひときわ大きな危険信号を察知して危険信号に耐えるためについていたまどろみから、目を覚まさせられる。
その危険信号の発信元を胡乱な目つきで見やり、何も言わず警告表示を解除した。
発信元のことを見つめていると、変に情が生まれてしまって、大変よろしくないことは経験済みだ。
今回の場合、特に『わたし』が呼びこんだこともあって特殊な感情を抱いていることも自覚していた。
ハッタリしかないあの挑発で本当に焚きつけられたのか。本当に彼は『わたし』を殺しに来てくれるのか。
神ならざるこの身では推測しかできようはずもなく、不確定要素ばかりの状況には不安しかない。
手間をかけて自分が呼びこんだ危険の元を排除するつもりはないし、警告はむしろ、こちらが待ち望んでいたものだ。
かといってこうも次々と警告表示が現れるとなるとちょっと鬱陶しい・・・
そこまで考えて思い直す。
危険信号はもちろん危険を知らせるためにあるのだから、危険信号を切るのは外敵に対して無防備になることと同義といっても過言ではない。
それに、危険信号以外にアレの達成度合いを把握するものがない。
不可能ではないが・・・
一体だれが好き好んで地上・地下を問わずしらみつぶしに彼(今は彼女、と呼ぶ方が適切かもしれないが)を探し出すというのか。
そして、今ではかつての権能の殆どは失われており、今現在も失われ続けているためそれを行えるだけの地力があるかどうかすら怪しい。
最盛期にはそんな簡単なモニタリングは片手間にも行えていたのだが。
元々は全知にも全能にも程遠い「私」から権能を広げ、
『わたし』が始まって幾星霜。
脳裏にずっと根を張り続ける警告信号を無視し意識を張れば、ボロボロになった肉体が知覚できた。
世界の法則を捻じ曲げ続けているため生じる歪みが、こちらに修復不能なダメージを与え続けているのだ。
自らの力で世界をゆがめた結果、無限であったはずの寿命が大きく減じている、というのは皮肉なものだ。
パラパラ、と時間経過ごとに崩れ消えていくわたしの『カケラ』は、下界へと降り注ぐのだろう。
上位存在である『わたし』の欠片は魔素と同様、下界において生物の根源となるが、少々魔素とは異なる性質がある。
【奇跡】を齎すのだ。
『わたし』によって無毒化された魔素とは異なり、上位存在の断片という性質が現れる『カケラ』はその存在だけで物質界には本来ありえない【奇跡】を齎す。
『カケラ』は生物の体に入ると共に、その性質を弱体化させ、生物に特段の害を与えることはないがそれにだって限度がある。
存在自体が【奇跡】を齎す——それが好ましい奇跡であるかどうかに関係なく——【奇跡の子】が生まれる。
不運にもほどがあるだろう。
外れ値を選んでしまった生き物は、社会から排斥されるのが道理。
だから、自分がまいた種、偽善であろうとも。
せめて、そうして生まれてしまった我が子に祝福のあらんことを。
神ではなくなった『わたし』には祈ることしかできない。
その祈りの代償のように、溶けていくカケラたち。
喪失感とともに世界に『わたし』が満ちていく。
『わたし』を食らい、成長していく彼女は、もういくばくもなく孵化するだろう、と量子演算が告げる。
その時期は奇しくも、地上世界全体を巻き込む大戦の時期と被った。
トリガーはすでに用意されている。
時期もすべてお膳立てされた、確定した未来。
あとは、その土台、世界が崩れないよう維持するのが私の仕事。
全てが終わるまで、あと少し。
きっと、彼女は恨むだろう、憎むだろう、悲しむだろう。
「私」もそうだった。
ロクに引き継ぎのための用意を作らず消えた前任者を呪い、この歪んだ形態を憎んだ。
だから、消えてしまう『わたし』にどれだけ死体蹴りを食らわせても、構わない。
ただ思うのは、『わたし』が無力であったことに対する申し訳のなさ。
それだけだ。




