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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アジア ノ ココロ

Snow of Baikal

作者: 黄色のえご

 雪が、舞っていた。

いつもと変わらない、冬の光景。

違うとすれば、ここも入植者が増えたぐらいか。

 極寒の冬、町に納める毛皮を捕るために、私は雪の積もる森の中を歩いていた。

新雪に付けられた足跡を目印に、一歩一歩、慎重に私は進む。

 この大きさは、クロテンか。

しかもまだ、この近くにいる。

 耳を澄まし、辺りの物音に注意を払う。

 木立の間を、茶色の物体が忙しなく動いている。

 私は銃を構え、狙いを定めて、引き金を引いた。

 乾いた音が辺りに響き渡り、茶色の物体が雪の上に倒れていた。

「これで、三匹目か」

 私は、クロテンを大事に仕舞うと、さらに森の奥を目指した。


 狩りを終えた私は、家路についていた。

私の一族は、定住をしない。

季節ごと、狩場の状況によって、その居住地を変える。

 それでも、近ごろは定住する者達が増えてきている。

中央の都合とやらと、安定した生活を求める人が増えたからだ。

「今日は、クロテンが三匹と、リスが二匹か」

 思ったより少ない。

それも小型のものばかり。

 だが、クロテンは高値で売れる。

コイツの毛皮は珍重され、人気のものだからだ。

 本来、毛皮は我々の物だった。

 寒い地で生きる、我らが必要なため、それを狩っていた。

 だが、西から来た奴らは、貪欲で、もっと寄越せとばかりに、それらを狩りつくした。

そんな生活が何百年も続き、当然のように、森の動物は数を減らした。

 彼らは、自然への敬意を持ってはいなかった。

 我らのする、供犠を、野蛮の一言で蔑んだ。

旧き風習に囚われた、愚かな民族どもだと、そう言っていた。

 そうこう思いながら、ふと前を見ると、我が家が見えた。

 天幕の前で雪をはたき、扉を開けると、すぐに飛びついてくるものがあった。

「おとうさん、おかえりなさい」

「ただいま」

 私の足に、抱き着いた、小さな娘の顔を撫で、私は目いっぱいの笑顔を彼女に向けた。

「おかえりなさい、あなた」

「ああ、ただいま」

 かまどで、煮炊きをしている妻も、私に笑顔を見せる。

「おや、親父はどこに行った?」

「あのね、じいじ、森に行ってる」

「森?」

「うん、おとうさんの、狩りが、うまくいきますようにって、森にお願いしてる」

「でも、遅くないか?見てくるよ」

 私は獲物と、銃を天幕に置き、再び外へと出た。


 森の中、私はその場所へと向かった。

 私の親父は、シャマンと呼ばれる人だ。

古より続く、シャマンの系譜。私自身は、その系譜から外れてしまったが、

幸いにも、他の兄弟がシャマンの流れを受け継いでいる。

 そして、親父がいつも祈りを捧げる場所が、森の中にあった。

 親父が、聖なる場所と呼ぶ、その場所。

 シャマンの力を発現させた、兄弟が、シャマンの跡取りとして、儀式を行った場所。

力を持たない私でも、空気で分かる、シャマンだけの場所。

 私はそこへ辿り着き、愕然とした。

 親父が、雪の上に倒れていた。

「親父!」

 思わず、駆け寄った。

「親父、どうした、しっかりしろ」

 雪の上に、血が落ちている。

 また、やられたのか。

 私は、直感的に、そう思った。

 気絶している親父を、背負い、私は家へと急いだ。


 親父を背負った私を見て、妻と娘は驚いていた。

「じいじ、ケガしてる」

 娘は、わんわんと泣きだした。

「お義父さん、どうしたの、また、なの?」

 妻も心配そうに、親父を見つめている。

泣きじゃくる娘をなだめ、私は親父の手当をした。

 親父の顔と身体には、以前につけられたアザと、真新しいアザ。

そして、殴られたときに切ったらしき、切り傷がいくつも残っていた。

「くそ、こんなにしやがって」

 年老いた、親父を、こんな目に合わせた奴ら。

 許せない。

 私の心に、小さな炎が灯った。

「うええええん」

 私の感情を読み取ったのか、娘が、一際大声で泣きだした。

「おとうさん、こわい」

 その泣き声に、私は我に返った。

「おかあさん、おかあさあん」

 怯えた娘は、妻にしがみつき、大粒の涙を流していた。

 その様は、シャマンの力を持った、私の兄弟と同じだった。

 娘は、ふくろ子として、この世に産まれた。

胞衣に包まれ、産まれた子供は、長じてシャマンとなる。

人の感情を読み、獣と心を通わせ、自然の精霊と対話をする。

 シャマンの資格を持たない私、その娘が、シャマンとして、神々に選ばれたのだ。

狩人として生きる、私が、次代のシャマンを育てる役目を担っている。

 これは、とても名誉なこと。

 シャマンはこの厳しい地で生きるためには、必要不可欠な存在だからだ。

 親父の手当を終え、私は娘をあやしていた。

「いい子だ、いい子、もう怖くない」

「おとうさん」

 しゃっくりを上げる娘の背中を、優しく撫で、私はそう言った。

「おとうさん、じいじ、たたいたの、こわいひとたち」

 娘の言葉に、私は驚いた。

 私は、妻に、娘は森に行ったのかと問うた。

妻は、ずっと家にいたと答えた。

 娘はさらに言葉を続けた。

「こわいひと、じいじをたたくの、シャマンをやめろって、ずっとたたくの」

 まるで、目の前でそれを見たかのように、娘は語った。

「シャマンは、いんちきだって、うそつきだって、そう言うの」

 いんちきなどではない、シャマンの力は本物だ。

私は親父が目の前で、人々を救うのを見てきた。

 それを、西から来た奴らは否定した。

 我々から土地を取り上げ、動物を隠し、そしてシャマンまでも。

 奴らの野蛮な行為を、幼い娘は、シャマンの眼で見てしまったのか。

「こわい、あのひとたち」

 娘の眼は、常人とは少し違う。

人を見透かし、その背後のものを見る。

この娘も、シャマンとなった時、西の奴らに迫害されるのだろうか。

 その存在を、否定されるのだろうか。

 私は娘を抱きしめた。


 深夜。寝静まった天幕内に、家族の寝息だけが響いていた。

「おい」

 眠る私の肩を、誰かが叩いた。

 親父だった。

 暗闇の中、親父の、シャマンの眼が光っている。

私は、親父を支えて、表へと連れだしていた。

 雪原の中、私と親父は夜空を見上げていた。

満天の星空。分厚い雪雲はその姿を見せない。

 冬にしては、珍しい天気だった。

「息子よ、儂は、もう、長くない」

 親父が、突如、そう言った。

「太鼓を、奴らに奪われた」

 知っていた。

だが、知らない振りをした。

 親父の太鼓、シャマンの太鼓。

各地のシャマンが姿を消すとき、その太鼓は、研究資料だと言われて、西の奴らに奪われた。

 太鼓を失くしたシャマンは、自分の半身を失ったも同然。

力を失くしたシャマンは、シャマンの樹をも失い、やがては、死ぬ。

 私は、認めたくなかった。

「太鼓は、奴らの元にある、儂は、奴らを呪うことにした」

 親父の声。

「孫の顔が、見られなくなるのは、残念だが、あの子には、強い祖霊が付いている」

 娘の才能を、親父は見抜いていた。

「これを、あの子に渡してくれ」

 そう言って、親父は、懐から、水色の物を取りだした。

「もうすぐ、あの子の産まれた日だ、爺からの贈り物だ」

 水色の石。雪を固めたような、不思議な色合いをしている。

 冷たいのに、温かい。

 私は、それを、しっかりと受け取った。

「分かった」

 涙が、頬を伝った。

「泣くな、息子よ、お前は強い子だ」

 皺だらけの親父の顔。

 偉大なる、老シャマンの笑顔。

 私は、久しぶりに、泣いた。


 数日後。私は、親父のために獲物を仕留めるべく、狩りに出かけた。

「野ウサギでも、いればいいが……」

 だが、獲物は一匹も見つからない。

 私は、さらに山の方へと進んだ。

この先には、奴らの鉱山がある。

 警備兵がウヨウヨいるそこを、慎重に探すも、獲物はいなかった。

「戻るか」

 山より流れ出ずる川沿いに、私は、山を下った。

 雪の上、獣の足跡はまったくない。

そうこうしているうちに、川の幅が広がりだしていた。

「このまま進むと、森を外れるな」

 そう思った時、川べりに何か落ちているのに気が付いた。

近づいてみると、それは、人の死体。

もう何日か経っているらしく、大分腐敗が進んでいる。

「可哀想に、山から逃げてきたんだな」

 死体の身に着けている服は、鉱夫特有の、防寒も何もない、粗末な服。

私は彼を丁重に弔ってやると、少しだけ、祈った。

 そして、顔を上げた時、私の目に、見慣れないものが見えた。

 金色の石。

拾い上げると、ずっしりと重く、何やら刻印があるようだった。

 葬った彼のものだったのだろうか。

「売れば、いくらかの金にはなりそうだな」

 私はそれをしまうと、立ち上がった。

 そして家路へとついた。

 その道中、奇跡的に獲物を仕留め、私はなんとか親父のはなむけを手に入れることができた。


 翌日、森へと旅立つ、親父を、私と妻は見送った。

言葉は交わさないが、これが、最期の見送りになる、というのを、妻は感づいていたのか。

涙を流す妻を、そっと抱き、私は森を見つめていた。

 天幕へと戻ると、娘が起きていた。

「おとうさん、じいじは?」

 無邪気な声で、娘はそう言う。

「じいじはな、遠いところに旅に出たんだよ」

「すぐ、帰ってくるの?」

「ちょっと、遅くなる、でも、そのうち帰ってくるからな」

 娘を抱きしめ、私はそう言い聞かせた。

「そうだ、じいじから、お前への贈り物だ」

 私は懐をまさぐると、数日前に親父から渡されたそれを、娘に見せた。

「わあ、きれい」

「じいじがな、お前の誕生日にって、くれたんだぞ」

「ありがとう、おとうさん」

「ああ、いい子だ」

 娘の笑顔に、私は救われた気が、した。

屈託のない、子供らしい笑顔。

親父が見たかった、笑顔だ。

 私は微笑んだ。

 その後、娘の石は、落とすといけないから、と、妻が首から下げられるようにしてくれた。


 それから日が経ち、私は町へと繰り出した。

いつもの毛皮商に、毛皮を卸し、得た金で、妻と娘への土産を買う。

 だが、今回は思ったより安く叩かれてしまった。

これでは、娘の誕生日に何もやることができない。

 思いつめた私は、懐のそれに手をつけることにした。

 古物商にそれを見せ、いくらになる、と問い詰めた。

奴は、これは買い取れない、とそれを突き返してきた。

「何故だ」

 と、私は言った。

「あんた、こんなのを持っていると知られたら、死ぬよ」

 奴は、理由を言わなかった。

 私は買い取ってくれる店を探して、方々を訪ね歩く。

だが、どこもそれは拒否された。

 一軒だけ、買い取ってもいいという店があった。

その代わり、見つけた場所を教えろと迫られた。

 場所と言われても、元は他人の持ち物だったもの。

私は知らないと言い、その話は破断となった。

 せっかくの、娘の誕生日。

私は何も手に入れられなかった。

 町の側、広大な湖に日が傾いている。

せめて、妻に新しい針と糸でも買って行こうか。

 そう思った、時だった。

「動くな」

 背後に、ただならぬ気配。

「お前の持つ、黄金を寄越せ」

 硝煙の臭い。

銃口がこちらを向いている。

「買い取ってくれるのか」

「そんな訳あるか、命が惜しけりゃ、置いて行け」

 振り向いた、その先には、警官ども。

相手はハンドガン、私はライフル。

この距離では、私が圧倒的に不利だ。

「従わなければ、撃つ」

 足元に、煙が立った。

「これは警告だ」

 照準が、私に合わさった。

おそらく、次は。

 閃光が走る。

撃たれた反動で、私の身体はよろめいた。

 熱い血が、流れ出る。

 その時、目の前に、白いものが現れた。

「うわ、な、なんだっ」

 白い、大きな白鳥が、奴らに襲い掛かっていた。

白鳥は瞬く間に、その数を増やし、次々と噛みつき、体当たりをする。

 私は、咄嗟に物陰に隠れると、弾丸を装填し、銃を構えた。

「親父の恨み、晴らさせてもらうぞ」

 その時、何故、私がそう思ったのかは、分からない。

ただ、コイツが親父を傷つけた奴らだ。

そう、確信していた。

 心臓は、限りなく落ち着き、呼吸も、平常通り。手足の震えはない。

狩人は、獲物を捕らえるべく、引き金に指をかけた。

 鈍い銃声が、身体に伝わる。

 一撃。

 奴らの額に、穴が開き、そのままゆっくりと身体が倒れる。

 追撃しようとする、残った警官どもを、白鳥が邪魔をする。

白いその身を、赤く染め、白鳥は、私を助けるように、奴らを阻む。

「ありがとう」

 私は、そう、白鳥に言うと、痛む身体をかばうように、町を後にした。


 家へと辿り着いた私は、天幕の扉を開けた途端、倒れこんだ。

妻の悲鳴が聞こえる。

 横たわる私に、娘が近づいた。

「おとうさん」

 娘の眼が、光った。

「ありがとう」

 娘の声に重なるように、年老いた男の声がした。

「親父」

 シャマンの眼に見つめられ、私は満足気に答えた。

「仇は、とったぞ」

 娘は、うんうんと、うなずいた。

小さな手が、私の頭に触れる。

 娘の小さな手。だが、触れられた感触は、大きな、皺だらけの。


 かつて、親父が、言っていた。

『我らの祖先は、白鳥だ』

 そう言って、私の頭を撫でてくれたのを思いだす。

今日の白鳥は、我らの祖先か、それとも、未来のまだ見ぬ子孫か。

 私には、それは分からない。

だが、娘には、分かるのだろう。

 白鳥と、親父と同じ眼を持つ、娘には。

 目覚めたばかりの、シャマンの娘。

私はこの子を、守り、育てよう。

 それが、私の役目なのだから。



1972年。

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