007.金持ちの道楽係
ティルディ君と二人して移動した先の教室は意外と近場だった。
入口から反対方向には大きな窓があり、傾きかけた日差しが惜しみなく差し込んでいる。
その窓と水平に大きめのオーク材のテーブルが設置されていた。
生徒が10人程入ればいっぱいになってしまいそうな小さめの教室であるが、テーブルと垂直方向に設置されている黒板の反対側には、大小さまざまな引き出しのある棚が設置されており、何が入っているのかもわからない。要は何に使われている教室なのかはいまいち想像がつかない。
装花係は3名のはずなので、サイズ感的には手頃な教室なのだろう。
しばらくティルディ君と他愛のない話をしながら、もう一人のメンバーである生徒会選出の人物を待っていると、ゆったりとした動作で教室へ入ってきたのは見知った顔の先輩だった。
「フィーラ先輩…?」
きょとりとティルディ君の黒曜石のような瞳が丸くなる。
それをみたフィーラ先輩は眉尻を下げて困ったように笑顔を深めながら、目の前の席までやってきた。
そして私たちの顔に視線を走らせた後、椅子に腰を下ろす。
「僕が来たのがそんなに意外かな?」
「いえ…失礼しました。フィーラ先輩はてっきり統括か会長の補佐かと思っていたものでして…」
先ほどの表情はすっかり鳴りを潜め、無表情に近い顔で彼は答える。
フィーラ先輩がここにいることがそんなに不思議なことなのだろうか。
どうやら装花係だということにティルディ君はあまりしっくりきていないようだ。
先ほどの大抽選会では司会を務めていたような人だが、ついこの間の入学式では受付という組織の中でも下の方の役割を担う人間が務めるような役をしていたと記憶している。今回の装花係りという役回りがどのようなものかは未だに掴めていないが、名前の通り球技大会に花を添えるような役割で言葉の響きからは中心的な統括という役割からは遠く、受付と同じく下っ端の位置づけに近いようなものだと思っている。
私としてはフィーら先輩は初対面の入学式での受付の印象が強く、上から下まで色々な役回りをする人。というイメージが定着してしまっているので、特に違和感は感じていないが、よくよく考えてみるとフィーラ先輩がどんな立場かは知らないことに気が付いた。
昨日の生徒会サロンでの球技大会委員の顔合わせの時も司会をしていたような気がするので、球技大会というキーワードだけでくくってみると、それなりに高い立場なる。かつ"あの"カイ先輩とかなり親密そうな仲だ。
…あれ。それを考慮すると結構偉い人かもしれない。
ただ、フィーラ先輩と関わったのは今日を含めてまだ3回しかないので、推測するための材料がやや少ない状況ではある。
「君が言うとおり、元々はカイの補佐という名のお世話係が担当だったんだけど…うちの会長はわがままでね。別の子を補佐に入れたいからって、僕は追い出されたんだ」
「…そんなわがままが通るものなんですね」
「まぁ、そこはカイだからね。それに今日は元々役回りを決める日だし、抽選の結果のパワーバランスを見て調整するのも選択肢の一つではあると僕は思うよ」
これ以上聞くなと言わんばかりにフィーラ先輩はにっこりと笑う。
ティルディ君はまだ何か言いたそうにしていたが、先輩のその表情をみて言葉を飲み込んだ。
そういえばこの先輩の第一印象は怒らせてはいけないタイプの人だったか。
「…副会長も大変ですね。」
「フィーラ先輩、副会長だったんですね…。」
副会長。
先ほどの答えが思った以上に早く回収できた。フィーラ先輩は副会長様らしい
副会長なら確かに装花係という役回りは驚きだ。会長の補佐やもっと中心的な役割をやるべきでは…
生徒会はそこまで忙しくないのだろうか。
「おや。リアは知らなかったのかい?結構有名だと思ってたんだけど…
…あぁ、でもそうだ。ちょうどいいしこのまま自己紹介でも始めようか。」
私たちに圧力を与えていた笑顔は綺麗に隠して、フィーラ先輩は柔らかく笑みを漏らす。
「ご存じかも知れませんが、名前はフィーラ=クリムズンです。クラスは3-1だね。
生徒会の役職は副会長。球技大会においては統括責任者…と今さっき装花係が増えました。
正直、僕がいなくてカイが好き勝手していないかかなり心配です。
去年はこの係はやってないけど、一通りやることは見てたので二人のサポートは存分にやっていくつもりだから…よろしくね。」
どうやら統括と掛け持ちでやるらしいことが判明した。決して暇ではないらしい。
ティルディ君の方を向くと彼も同じようにこちらを向いて、目を丸くしている。
ん?何か引っかかる単語あったっけ。
「つまり…先輩はあくまでサポート…ということですか。」
「そうだね。主体で…というかほぼ動くのは君たちだね。」
ティルディ君の言葉にハッとする。確かにサポートと言っていた。
僕は道筋を示すだけ。と長い人差し指で流れるようにつーっと空中に線を引きながらフィーラ先輩はどこか蠱惑的に笑みを深める。
困っている私たちを見て遊んでいるかのようで少し楽しそうだ。
つまり一年生の二人でなんとかしろ。ということか。
しかしフィーラ先輩はさっきからずっと笑顔だ。笑顔のバリエーションが豊富なので、表情が読みづらいというわけではないが、その裏にある腹の奥が読み辛い。やはり怒らせてはいけないタイプな気がする
「さぁ次は君たちの番だよ。」
フィーラ先輩に続きを促されて、私とティルディ君は顔を見合わせる。
一瞬、目線の先で譲り合いが発生したものの、ティルディ君が小さくもらした「では、俺が」という言葉に甘えさせてもらった。
「ティルディ=ロアンです。クラスは1-2です。若輩者ですが、先輩のご迷惑にならないよう精いっぱい励む所存です。よろしくお願いします。」
「・・・。
ん?あれ・・・?それだけ?」
「はい」
座ったまま小さく会釈をしたティルディ君にフィーラ先輩は小首を傾げて問いかける。
言外にもっと自分に関することを話せよ。と言われているような気がするが、ティルディ君は視線をまっすぐそらさず、静かに頷いた。
「ふぅん」
フィーラ先輩は背もたれに体重を預けて腕を組み、ゆったりとほほ笑む。
その途端、先輩からにじみ出る雰囲気が大人な色気のあるものに変わった。
どことなく楽しそうだ。17,8歳とはにわかに信じがたい。
「面白いね。それも含めてキャラクター性の自己紹介として受け取っておくよ」
どうやら気分を害したわけではないらしい。それどころか声の調子からは気に入られたのだろうと思う。
「じゃぁ、次はリアね。」とフィーラ先輩の促しの声に、慌てて話すことを頭の中で組み立てる。
ティルディ君があんな感じだったし、そこまで難しいことは言わなくていいだろう。
「リア=バゼラードです。クラスは1-3でティルディ君の隣ですね。ちなみに双子の弟が1-8にいます。
球技大会委員には担任の先生にむりやり押し付けられた感がありますが、
やるからには精いっぱい努めたいと思いますので、よろしくお願いします。
…っと、後は部活は吹奏楽部に入ろうかなと思ってます。」
先ほどのティルディ君とのやり取りから、もう少しパーソナルな情報を追加した方がいいだろうと思い、ここ数日悩んでいた事柄を付け足してみると、フィーラ先輩はうんうんと頷く仕草を見せた。
「音楽はいいよね…僕も好きだよ。見学にはもう行ったかい?」
「実はまだ行けてなくて…。球技大会委員が無い日にでも行こうと思ってます。」
「あぁ…是非そうするといいよ。
1-3という事は…ワタル先生だね。彼なら確かに指名の方法をとりそうだね。」
「え?球技大会委員って担任からの指名制じゃないんですか?」
私がそうであったようにクラス担任からの指名により、委員になるルートがあるのみと思っていたが、フィーラ先輩の言い回しからすると少し違うらしい。
戸惑っている私を楽しそうに見やり、先輩は長い人差し指を顎に添えて小首をかしげてほほ笑んだ。
「まぁ争いが起こりやすい係りだからね…任命の方法は担任に一任されているんだ。
立候補、推薦、指名…まぁ、お好きなようにというところだね。
そういえばティルディはどうやって選出されたんだい?」
「俺のクラスは推薦ですよ。」
「へぇ。すごいじゃないか。ということはティルディは人望が厚いんだね。」
「いえ。そうなるように根回ししました。」
ぱちぱちと小さく拍手をしていたフィーラ先輩がおや。と小首をかしげる。
その表情にティルディ君は目元を柔らかくする。
「当然でしょう?この委員にはそれだけの価値がある。
重要性を認識していなかったクラスメイトには申し訳ないですが、先手を打たせていただきました。」
「ふぅん。目的は?」
「ただの人脈形成ですよ。フィーラ先輩とこうして同じ係りになった。
それだけでもこの委員になった価値がありますね。」
「・・・君は本当に面白いね。」
委員は取り合いになるとは聞いていたが、そこまで重要なものとは思っていなかった私はすっかり蚊帳の外だ。フィーラ先輩とティルディ君は流れるように話を進めていく。
ほとんど表情が変わらないティルディ君に比べ、フィーラ先輩は楽しそうにくすくすと笑みを深めているのが対照的で少し面白い。
「思う存分、人脈を深めるといいよ。
君が言ったように、この委員会は絶好の機会だからね。」
「えぇ。そうさせていただきます。」
フィーラ先輩にそう答えた後、ティルディ君はこちらに視線を向けてわずかに口角を上げる。
人脈の中に私も含まれている…そういう意味だろうか。
あまり嬉しくないが私はあの生徒会長様のお気に入りという立場らしい。
フィーラ先輩と違って何の役職もつかない私は、あの人に取り入りたい人にとって絶好の標的で、良い鴨である。今後は少し自衛についても考えたいところだ。
「リアにひかれない程度にほどほどにね…。
さて自己紹介も終わったし、お仕事に取り掛かろうか。」
フィーラ先輩が場を切り替えるかのようにぱちりと手を合わせてほほ笑んだので、私たち二人も背筋を伸ばして頷いた。
「まずは装花係が何をするか…っていうことだけど、まぁ名前の通り花を飾る係りです。」
「フィーラ先輩、一ついいですか」
遠慮がちに手を挙げてみると、フィーラ先輩はゆったりと笑みを浮かべながら頷き、続きを促した。
「球技大会に花を飾る必要があるんですか?」
「いい質問だね。」
フィーラ先輩は教室内の横長の引き出しから丸められた模造紙を取り出し、それを机の上広げる。
机の1/4ほどを覆ってしまう大きさのそれは校内の見取り図らしきものだった。
改めてみるとこの学園はかなり広いし、色々な建物がある。
「この球技大会はね、新入生歓迎イベントの一種なんだ。
そうはいっても新入生も委員に参加してもらってるから完全にお客さんというわけではないんだけど・・・。」
まぁそこは上級生との交流の意味もあるからフィーラ先輩は苦笑を漏らす。
「歓迎会はパーティと言い換えてしまってもいい。
ということは会場をきらびやかにデコレーションする必要があると思わないかい?
つまり僕たちの役目は雰囲気作りということだよ。」
悪くいってしまえば金持ちの道楽だけどね。とフィーラ先輩は人差し指を立てて楽しそうにほほ笑むと、その指をそのまま先ほど広げた見取り図の上に滑らせる。
そしてトントントンと指で弾いて、いくつかの場所を示した。
「人の目につきやすい場所、例えばエントランスだね。そういった所をメインにそれなりに大きな花のアートを置いていく。仕入れは僕らでやるけど、これらの設置は華道部に任せることになるね。
あとは各会場の審査場所や得点電子掲示板の近く…この辺りはそこまで大きなものは設置しないから、これは仕入れ先の花屋に任せていいところかな。
ただ色調については各会場に合わせて考える必要がある。」
「全部でざっと30ヶ所ですか…。この華道部で飾る場所の打ち合わせはできるのでしょうか。」
見取り図をなぞる指を目で追いながら、ティルディ君はポツリと尋ねる。
その質問にフィーラ先輩は嬉しそうに笑みを深めた。
「あぁ。その通りだよ。明日、華道部の担当者および仕入れ先の花屋と打ち合わせの場をセッティングしてるから、そこでイメージは固めていこう。
そしてあともう一つ。」
「?」
「球技大会はクラス対抗戦でね。当然優勝チームが出てくるんだ」
「へぇ…それは楽しそうですね」
クラス対抗となれば、勝ち残るためにクラス内の結束も高まるし、交流も深まるだろう。
入学早々、イベントがいきなりすぎないかと思っていたが、それなりに考えた結果らしい。
「この高等部は変な種目もあるし、毎年盛り上がるからきっと楽しいと思うよ。
でね。ここからが本題。その優勝チームには、生徒会長様から真っ赤なバラが100本送られるんだ。」
「「は?」」
ティルディ君といぶかしげな声が重なる。
100本の赤いバラって確かかなりロマンチックな意味を持っていなかったか。
球技大会でそんなものを優勝の商品にするとか、なかなか意味が分からない。
ティルディ君なんて意味が分からな過ぎてか、眉間に深い皺ができてしまっている。
せっかくの綺麗な顔が台無しだ。
「ね。馬鹿みたいだろ。でも好評なんだよね。
これも当然、僕たちのお仕事です。しかもウェイトが結構高いやつね。」
明日から忙しくなるよ。
少しげんなりとしている所にフィーラ先輩のそんな言葉が降りかかる。
その日は今後のスケジュールについて、簡単に認識を合わせて装花係の打ち合わせは無事終了した。