002.新しい場所
いつまでもバスの入口に立っているのも迷惑なため、空いている席を見つけ、腰を下ろす。
前から3列目の一人掛け席。
通勤時間まっただ中といえ、このバスが向かう先は私が所属する学園しかなく、
駅も反対方向であるため乗客は学園関係者がほとんどとなる。
そのため利用客は少なく席の埋まり具合としても、8割程度だ。
最もバス通学者がそもそも少ないという別の理由もあるのだけども一旦それは置いておく。
不規則なバスの揺れに身を任せて、20分ほどした所で
背の高い煉瓦作りの塀が見えてきた。
こげ茶色のその塀に沿って、緩やかな坂道をバスは上っていく。
しばらくして塀が途切れたところでバスが一度停止し、空気の抜ける音とともに扉が開いた。
降りなければと腰を上げるが、思い直して座りなおす。
ここは中等部が使うバス停。
つまり昨年度まで私が乗り降りしていた、なじみの場所だ。
学園に関するバス停は複数あるが、去年まで私が使っていたこのバス停は幼稚舎、初等部、中等部が集まる「永劫学園 校門前」。
外部入学者が増える高等部はその分敷地も広く、「永劫学園 高等部校門前」というバス停が別に設けられている。
今日から降りるのはそっちのバス停だ。
更に5分ほどバスに揺られると、お目当てのバス停についた。
バスの運転手さんにお礼を言いながら、ICカード読み取り機に定期券をかざしてバスの外に降り立つ。
近くの中等部に通っていたとはいえ、こちら側に来るのは始めてだ。
中等部までと同じ煉瓦造りの塀に囲まれた学園。
校門は細く黒い鉄で湾曲する蔦の形を細かく表現している柵のようなデザインのものだ。
高い所で3mはあると思われるそれは左右1枚ずつの計2枚で、今は学園内に向けて開かれている。
濃紺の制服を身にまとい、引き締まった表情で校門横に立つ守衛さんの前を通り過ぎ、私は門の内側へ足を踏み入れた。
途端に、目へと飛び込んできたのは、通路の左右両側で咲き誇る満開の桜だった。
風が吹いて花びらがひらひらと舞い落ちるそれはまるで桜の雨のようだ。
その雨を見上げながら、校舎の方へと足を進める。
自分の周りにも同じように真新しい制服に身を包んだ生徒たちが
新たな生活への期待でキラキラと表情を輝かせ、保護者と共に歩いていた。
一見ありふれた光景だが、この学園では普通の学園とは少しだけ異なった光景が見られる。
新入生と保護者の3歩後ろぐらいに黒や灰色の皺一つない正当派のスーツを着込んだ男性や女性が付き従っていることがよくある。ということだ。
彼らは使用人や侍女と呼ばれる立場の人達だ。
この学園ではそう言った人達を雇う事が当たり前となっている階級の人たちが多く通っている。
もちろん使用人など存在しない一般家庭出身の生徒もいる。
割合としては半々ぐらいで、バス通学をしている私なんかは当然ながら後者に該当する。
そんな新入生たちの流れを追っていけば、入学式の会場である大講堂へとたどり着けるはずだ。
全体の流れを目で追ってみると、その大講堂とやらは校門からみて左側の大きな建物が該当するようだ。
そこらへんのスタジアムがまるまる一つ入るのではないと疑うほどかなりの大きさの建物ではあるが、
全校生徒および新入生の保護者が全員入れるのだから当然かと納得する。
1学年あたりのクラスはそれなりに多かったように記憶してる。
大講堂の近くまで進んでいくと長机をいくつか並べ、その上に
白い大きなクロスをかぶせた状態の受付とおぼしき場所があった。
周りを見てみると、皆その受付らしき場所で
式次第のような物を受け取ってから大講堂の中に入っている。
周りにならって、私もその列に並ぶ。
「ご入学おめでとうございます。お名前は?」
自分の順番がやってくると、背中半分ほどの長さの深い闇のよう色の長髪と
血のような深い赤色の瞳をもつ男子生徒がにこやかな笑みを浮かべて訪ねてきた。
腕に「生徒会」という腕章をつけており、ネクタイの色が赤色のことからどうやら3年生だと判明する。
「リア=バゼラードです。」
「はい。ちょっと待ってね。」
随分と大人びた、やわらかい雰囲気を醸し出すその上級生は
手元の端末に何か入力し、現れた画面と私の顔を交互に見比べた。
おそらく本人確認だろう。その確認が終わったようで、
彼はにこやかに笑みを深めて、視線を私に戻した。
「1-3が所属クラスだね。
大講堂に入って、一番前の左から3つ目のブロックが君が座るブロックの場所だよ。
そのブロック内であれば、どこに座ってもらっても構わない。
まぁもっとも前から詰めてもらえると、こちらとしてもありがたいんだけど・・・」
「あの、先輩・・・」
「ん?」
座る位置を伝えて式次第を渡してくれようとするその上級生の背後から別の声がかかる。
上級生が目線を後ろに向けるとふわりと大きなウェーブを描いた桃色の髪と柔らかな鴇色の大きな瞳をもつ少女がいた。
少女と言いつつ、胸のリボンが濃い緑色なところを見ると2年生であることが伺える。
背が少し小さいことと零れそうな大きな瞳を持つことも手伝って、年齢以上に彼女を幼く見せているようだ。
「あの・・・ここは私が対応しますから、あちらの対応の方を・・・」
「・・・そっち、まだ片付いてなかったのかい?
まったくあいつは・・・」
黒髪の上級生は眉根を寄せて渋い表情を浮かべ、ため息をついてみせた。
その隣で桃色の髪の上級生がおどおどと眉尻をさげている。
よく見てみると彼女の腕章に記載してある文字は「実行委員」となっており、
「生徒会」であるこの3年生とはそこまで親しい間柄ではないことが伺えた。
桃色の髪の上級生の姿に、黒髪の上級生は困ったような笑みをこぼす。
「君が悪いんじゃないだから、そんなにおびえなくていいよ。
あれの対応は生徒会の役目だから。じゃぁ悪いけど、お言葉に甘えてここは頼むよ。
・・・っとリア、ごめん。受付はさっきの説明で終わりだから。どうか良い一日を」
「あ、いえ。ありがとうございます。」
なんとなくまだ説明があるのではないかと思って待機していたが
それは杞憂に終わったらしい。
私の返事を聞くと黒髪の上級生は笑顔を綻ばせ、スマートフォンを片手に受付エリアを離れていった。
ずいぶんと笑顔が印象的な先輩だ。
一瞬渋い顔を浮かべてはいたものの、それ以外はすべて少しずつ異なる種類の笑顔だったような気がする。
そしていつの間にやらファーストネームをそのまま呼ばれていたが、
不思議と悪い気もしなかったので別にいいことにしておく。
黒髪の先輩と受付を変わった桃色の髪の上級生にぺこりと会釈をされたので、
そのまま会釈を返し、もう用はなくなった受付を後にして、大講堂へ向かう。
もう式が始まる10分前だ。思ったより時間を食っていたらしい。
普段の授業であればいざ知れず、入学式というイベントでは
大半の生徒はもう席についている頃だろう。
大講堂に入ると、豪華絢爛と表現するのがぴったりな内装だった。
いくつもアーチを並べたようなアイボリーの高い天井。
そのところどころからはシャンデリアがぶら下がっており、
一つ一つが細かな装飾を施されていることからも高級であることがわかる。
このまま舞踏会とかに使われてもおかしくない。
ちなみにほとんどの席が予想通り埋まっており、残りはあと一割といったところだった。
そもそも日頃から厳しく躾けられている上流階級の出身者が多いのだ。
ぎりぎりに来る方が少数派に位置してしまう。
大講堂内は生徒やその保護者達のざわざわと楽しそうな声で溢れていた。
その中を先ほど黒髪の先輩から説明を受けた1-3に割り当てられたブロックに進む。
途中よく見知った顔と目線があったため、軽く手をあげて対応する。
同じクラスのため、話はまたあとで教室でできるだろうから今、無理に話す必要はない。
いざ席に座ろうとするとこういう自由に座っていい形式になると授業であれ何であれ
学生においては後ろもしくは中央付近の席から埋まっていくのが常だ。
そして最後に残るのは最前列近くになる。
今回の式典もそれは例外ではなかったようで、このブロックで現在あいている席は最前列のみだ。
少し遅れてきてしまったのは自分の寝坊が原因ではあるのだが、もう少しよい席に座りたかったと思いながら、しぶしぶとその最前列に腰を下ろす。
椅子はまるで教会の椅子をそのまま持ってきたような木造の長椅子で背もたれの上層部には優美な模様が彫られており、センスはいいものの、いかんせん長時間座っているにはお尻がいたくなりそうな材質である。
開会まで少し時間があるため、席についた後、辺りを見渡してみると
当然ながら中等部で見たことのある顔が8割ほどだった。
高等部からの編入はかなり難易度が高いという噂だから、残りの見知らぬ顔はきっと優等生の方々だ。
一通り講堂内に視線をちょうど巡らせ終わった頃に、前方の檀上に赤銅色の髪をきれいに一つにまとめ上げた30代前半ぐらいの女性が現れた。
かちりとマイクのスイッチが入る音で大講堂内のざわめきが一段小さくなり、それに気づいてさらに一段、さらに・・・と、どんどん大講堂内から音が消えていく。
その様子をうけ、満足げに檀上の女性は笑みを浮かべる。
「皆様、本日は永劫学園高等部へご入学おめでとうございます。
私は高等部で学園長代理を務めるハビウェイ=ルフォスと申します」
そんな言葉で入学式は開会した。
(入学式なのにまた学園長はいないのか…)
確か3年前に学園長が変わったという噂を聞いたが、一度ぐらいしか見たことがない。
その際は豆粒ほどの大きさだったため、結局は顔はほぼ分からなかったのだけれも。
その後、そのままハビウェイ先生から歓迎の祝辞があり、
各クラスの担任になるという人物から1人ずつ名前を呼ばれ、返事をするという儀式が始まる。
名前を呼ばれたら立ち上がって返事をするのはもちろんのこと
上級生に顔を覚えてもらうという意味合いもあるらしく、
檀上と講堂の後方との2回お辞儀をした上で着席することとの指示があった。
当然、この広い大講堂の最後方に座っている保護者達には豆粒のような顔しか見えないため、
そこに配慮して前方に大型スクリーンが用意されている。
名前を呼ばれた時はそこに映像が映し出される仕組みのようだ。
そこかしこで「放送部」という腕章をした生徒たちが動き回っているから、彼らの働きによってこれは成り立っているのだろう。
すでに儀式が始まってしばらくしているため、自分の番の前にそれがわかったからいいものの
1組の初めに呼ばれた生徒は自分の番が終わってから、前方のスクリーンをみて驚愕したことだろう。
「リア=バゼラード」
「はい」
自分の名前が呼ばれたので、表情を引き締めて返事をし、立ち上がる。
前方と後方へのお辞儀についてはそつなくこなせたと思う。
そして自分の番が終わると一気に気が緩む。
先ほど確認した情報によると20クラスまであるらしい。
つまりこの儀式はまだまだ続くのだ。
生徒の名前を呼ぶ教師の声が、だんだん呪文のように聞こえてくる。
全同級生の名前と顔を一致させてやろうという、そんな意識が高い種類の人種ではないため、
興味が薄れていくのも、ある程度仕方ないことだと思う。
このままだと眠気に襲われる可能性があるので、
別のことを考えることにした。
考える対象はあれだ。今日の晩御飯は何にするか。
確か冷蔵庫には牛肉と玉ねぎが残っていたはずなので
牛肉と玉ねぎから、派生するレシピを次々に思い浮かべていく。
そんな時間を過ごしているうちに儀式も終わり、新入生代表の決意表明となった。
どうやらその対象は自分のクラスにいたようで、品のよさそうな鈍色の髪をもつ男子生徒が檀上へと上がる。
見たことがない顔のため、どうやら外部編入組らしい。
新入生らしい、新生活への期待をこめた、力強く、それでいて綺麗にまとまった決意表明を述べて、彼は一礼をする。その姿は同級生とは思えないほど堂々としていて、尊敬に値した。
周りの拍手に合わせて、自分も手を動かしながら、少し感心してしまった。
「次はわが校、生徒会長より歓迎の祝辞を述べさせていただきます」
まだ続くのか…司会のハビウェイ先生の進行を聞き、そちらに視線を向けたままげんなりとしてしまう。
ただそんな私とは反対に辺りの空気が熱を帯びてきて、ざわめきが広がる。
そしてそれは新入生にとどまらず、上級生、果ては保護者まで波が広がっていた。
(何…?)
異様な空気に周りを見渡してみると、目線は全て檀上を向いている。
その目線の先にいたのは見たことのある顔だった
太陽のような目映い金色の髪、深い緑の瞳。そして美術品のように美しい中性的な顔。
「皆様、ご入学おめでとうございます。
こうして皆様と出会えたことをとても嬉しく思います。
申し遅れましたが、私は生徒会長のカイ=セル=ヒプノウシスと申します」
檀上で帝王のようにゆったりとした態度で微笑む姿。
朝出会った男子生徒こと、カイ"様"とか呼ばれてたあの人に間違いない。
うわぁ無駄にキラキラしてる。と思わず苦い表情を浮かべて檀上を見上げると
流れるように祝辞を述べていた生徒会長様と目線が合う。
そして一拍置いた後に極上の色気ある笑みを浮かべられた。
途端に上がる黄色い声。ざわめく会場。
(平和に…平和に…)
そう願う私の意思とは無関係に、波乱の学園生活が幕を開ける予感しかしなかった。