お風呂と暗殺者
食事を終えて外にでると、すでに辺りは暗くなっていた。ずいぶん長く、あの食堂にいてしまったらしい。
空には輝く月が浮いている。星は薄っすらとしか見えなかった。パルムの町が、夜でもお祭りのように賑わっているからだろう。
わたしは考えた。
――さて、今からどうしよう。
ドラゴンのぶつ切りステーキでお腹は膨れたし、こんな時間から情報を仕入れようとは思わない。どちらかというと、今日はもう休んでしまいたい気分だ。ちょっと早いけど、どっかの宿に泊まろうか。安いところで高いところでも構わない。
わたしは宿に行くことを決めた。
中心通り出て、とぼとぼ辺りを見回しながら歩いていると、
「いいじゃん」
中々に、とても趣味の良さそうな宿を発見した。
わたしは早速その宿の中に入り、受付で手早くチェックイン。受付のお姉さんの手際はよく、すぐに部屋の鍵を受け取ることができた。鍵は魔法鍵と呼ばれているものだ。ただの鍵に、ある魔法を掛けた代物であり、利便性の高さが特徴だ。落としても鍵が勝手に持ち主のところへ歩いていくし、何年経っても錆びることがない。加えて、生半可な衝撃や魔法では壊れないときた。
そんな鍵を作った人物を、わたしは豆粒1つ分ぐらい尊敬する。
部屋の中に入ってみると、その部屋は思っていたよりも広かった。シングルを頼んだから1人入れば一杯になると思ったが、これなら2人ぐらいは入れそうだ。ベッドがあり古めかしい時計があった。魔導冷蔵機もある。絵がプリントされた花瓶には、レイシーという希少価値の高い花が刺さっていた。プリズムの花園という場所でしか採ることのできない、気高くて黄色い花だ。
その花を見ながらボンヤリしていると、眠気が吹っ飛びわたしはお風呂へ入りたくなった。穢れを取りたいのだ。綺麗になりたいのだ。
わたしはお風呂場まで歩いていき、脱衣所に着いたら、外套などの身に着けているものをスルスルと脱いだ。カゴの中に衣服系は全部入れる。キレイに畳むことを忘れない。多種多様なカタナなどの武器は、そこらへんの床に揃えておいた。その数は20越え……。カタナを初め、ナイフや拳銃などがたくさんある。銃身を詰めたサブマシンガンもあった。流石に持ちすぎだろうと思う。けれど、世界にはモンスターがおびただしいほど住んでいて、やっぱりこれぐらいが丁度いいんだ。
わたしは母の形見である星型のペンダントは外さずに、蛇口を捻ってシャワーを出し、備え付けのシャンプーやボディーソープを使い、丁寧に身体を洗いはじめた。
右腕を左の掌で擦り、左腕を右の掌で擦る。お腹は撫でるように洗った。おへそも洗わないとゴミがたまってしまうので、右の指で掘り出すようにやった。お尻も洗う。足の裏もしっかりと汚れを落とし、太ももやふくらはぎも丁寧にあらった。
髪はシャンプーをモコモコとあわ立て、てのひらと指でマッサージするように洗った。気持ちがいい。わたしはもうかれこれ、この洗い方を2000年以上やっているから、そこらへんにいる並みのプロは超えていると思う。
いや、神の手と称されるプロだって超えていることだろう。
わたしはそんなことを考えて悦に浸り、熱いシャワーで、ざーと身体の泡を流し始めた。暖かいお湯が心地いい。身体の芯から温まってくる気がする。
髪も同じように洗い流した。
それからわたしは湯船に浸かる。チャポンと波紋が広がった。今回は違うのだけれど、こうして湯船にゆっくりと浸かっているとき、水面に蚊が浮いているとテンションが落ちる。茶色い蜘蛛が壁に張り付いていたら、殺さないように気をつけてしまう。まえにゴキブリが浮いていた時は、おしっこを漏らしそうなほどびっくりした。
――さて。
これ以上浸かっていると寝てしまいそうで、わたしがまだお風呂に入りたいという自分を叱咤し、重い腰を上げようとしたとき、
ガシャーン
と窓ガラスが、痛快すぎるほどに割れる音がした。お風呂のではない。ベッドのなどがある、お風呂のドアの向こう側にある部屋からだ。
わたしは弾かれたように飛び出した。衣服や武器を身に着けるのも億劫で、ほぼ全裸という状態でだ。身に着けているものといったら、母の片身であるペンダントぐらい。髪も身体も濡れていて、走るたびに水滴が落ちた。さむい。もう夜で空気も冷えていた。わたしはあまりの寒さに、ひどい風邪をひいてしまいそうだった。
走って部屋に辿りつくと、そこには6人、仮面を付けた黒い集団が立っていた。おのおの武器を持っている。顔は仮面を付けているのでよく見えない。ダレ、こいつら。わたしはまったく身に覚えがなかった。でも確かに言えることは、この人達がわたしを狙っているということだろう。そんなのは雰囲気でわかってしまう。
わたしは戦闘態勢をとった。
はだかの状態で戦うとか本当にイヤだったけれど、やらなければこちらがやられてしまう。それにどうせこの人達は死ぬのだから、赤面して恥ずかしがることもないだろう。わたしはひたと敵を見据えた。
――跳躍。
先に仕掛けてきたのは奴らだった。
2人が先陣を切る。残りの3人は詠唱の構えを取り、あまった1人は赤い拳銃を構えていた。
先陣の2人は早い。どこぞにいるただの兵士なら、軽く捻って倒すことができるだろう。準久伝説級モンスターも倒せそうだ。でもわたしは、どこぞにいる兵士でもないし、ましてや準久伝説級モンスターでもない。自分で言うのもあれだけど、この世界で最も強い旅人だ!
わたしは放たれた刃を華麗にかわす。続いて飛んできた弾丸も軽くよけ、近くにいた敵へ渾身の膝蹴りを喰らわせた。もちろん顔面へ。鼻の砕けたような音がなった。敵はあまりの痛さに悲鳴を上げる。わたしはソイツに止めを刺し、もう1人の股間を蹴り上げる。今度は悲鳴すら上がらなかった。
魔法はまだ完成していない。どうやら先陣の2人がもっと持つと思って、中級以上の魔法を唱えていたのだろう。愚策としかいいようながない。
わたしは絶えず向かってくる弾丸を避けながら、詠唱中の2人へ肉薄。一歩で数メートルの距離を潰してみせた。2人は逃げるような姿勢を取ったが、無駄な悪あがきというものだ。
わたしは1人のみぞおちに掌底を入れた。もう1人の顔面には会心の蹴りを入れ、2人は刹那のうちに息絶えた。
残るは1人。
拳銃を持ち、ひたすら弾を飛ばしてきた奴だけだ。でも、わたしはコイツを殺さない。なんで突然おそってきたのか、拷問して聞いてあげる。かわいそうだとは思うけれど、元はと言えば、脈路なく襲ってきたこの人たちが悪い。
わたしは跳躍。
一気にこの人の懐へ飛び込み、拳銃を片手で奪い、もう一方の手で遠慮なく投げた。ドスンという音。黒い人は背中を打った。うめき声も漏らす。わたしは踏み潰すようにお腹を踏んだ。手加減はした。力のままに踏んでいたら、黒い人が内臓を飛び出して逝ってしまったことだろう。
「ねぇ、あなたたちはだれ?」
黒い人を踏みながら、わたしは率直に正体を問う。だが黒い人は応えない。苦しそうにしながら、ただだんまりを決め込んでいる。
仕方がない。まずは仮面でも砕こう。
わたしは魔法を詠唱。
解放すると、白い仮面がガラスのように砕け散った。
「う……」と仮面の下の人がうめき声を漏らす。男だった。眼窩が老いたように窪んでいている。鼻は平均よりも高くて、茶色い頬には傷が浮いている。
わたしは踏んでいる足に力を込めた。
「ねぇ、もう一度きくけど、あんたたちは誰?」
沈黙。
男は黙って答えない。口を開けてしまえば、その直後楽になれるというのに。どうやらこの男は、所属している組織に厚い忠誠を誓っているようだった。
わたしは知っている。
こういう義理だけ高い奴は、どんなに痛い拷問をやろうとも口を割らない。わたしは今まで人生で200人ぐらいを拷問してきたけれど、最初の1回で答えなかった奴は、その後どれほど痛いことをやってもダメだった。イスに縛って顔面を殴っても、爪をピリピリと剥いじゃっても、手の指や足の指を切断しようとも、全てが徒労に終わってしまう。あまりのタフさに、わたしはホトホト呆れてしまったことを覚えている。
もういいわ。
わたしは男の腹から、乗っけていた足をゆっくりどけた。
「逃げれば?」
どうせこの人が味方の元へ戻ったところで、わたしの運命はなに1つ変わらないのだ。変わることはありえない。復讐に燃えたこの人が屈強な仲間を引き連れて、再度こちらを襲ってこようとも、わたしは、片手で返り討ちにできる自信があった。やろうと思えば、魔法だけでも倒すことができるだろう。
男のくちびるが動いた。
「なぜ……逃がす?」
簡単な問いだ。
「わたしはあなたが逃げようとも、別に困りはしないから。あなたが私に勝てる可能性は、文字通り0だから」わたしは最後に言った。「悔しい?」
「ふっ……」と男が笑う。絶対絶命の事態に陥って、あたまが可笑しくなってしまったのだろうか? 躊躇なく殺ってしまったほうが、この男は幸せだったのかもしれない。
「ねぇ、なんでいま笑ったの?」
一拍の間。
――そして。
「悔しかったからだよ!」
男が跳ね上がった。ナイフをポケットから取り出して、暗殺者の如く振るってくる。ナイフは光っていた。
……男は泣いていた。
わたしは迫ってきたナイフを奪い取り、深々とおとこの胸に突き刺した。