00【救世主】
通路の角を曲り、先程まで自分がいた場所に降り注ぐ銃弾の雨を見て、体中から冷や汗が溢れた。一瞬でも判断を誤っていれば蜂の巣、それすらも残らなかったに違いない。銃弾を受け粉砕された鉄製の壁を見れば、考えずとも判断が付く。
壁に背を預け一息吐くと、自分の前に曲り角へ先行させた味方へ一斉射を指示。すると反撃だと言わんばかりに銃弾の弾幕が、通路の奥へと吸い込まれていった。
額の汗を乱雑に拭うと息を整え、上半身を傾けてから短機関銃『P-90』のみを角から晒した。
この撃ち方ならば当たり判定を最小限に縮められる。その有利点を最大限利用しながら曲り角を遮蔽物にし、一斉射へ加わる。照準具から見える敵は、正に鋼鉄の巨体、機械造りの兵士。銃弾一発は機械兵の頑丈な鎧を拉げる事すら出来ず、無念そうに地面へ落ちて行った。
「くそっ、弾切れだ!おいチェリオ、隔壁はまだ開かないか!?」
「今やってるから急かさないでよ。情報スキルって、銃器スキルより物凄く繊細なんだから……っと!よし、流石僕の『盾殺二式』!侵入スキル成功!更に防衛システムの解除を認証させて……暗証番号は――『MESSIAHΣ』だったね。――うん、開いた!開いたよトレイター!」
袋小路の戦場の中、それも敵からの総攻撃で後退を強いられる一方だったというのに、肩まで伸びた茶髪の少女の一声に十数人の仲間達が歓声を上げた。まるで救いの女神を得たかのように、滂沱の涙を流す男もいる。
確かに俺も込み上げる物があるが、感動に浸っている場合ではない。目標を確保し、一刻も早くこの悪趣味な研究所から逃げ出さねば。外で我々の避難経路を確保している班にも甚大な被害が出かねない。
隔壁を解放した功労者である少女【CYERIOT】は携帯端末を小脇に抱えると、我先にと部屋の中へ。一番の強敵である防衛網を切り崩した今、彼女の興味は目標の物のみに注がれているのだろう。
「攻撃中止、攻撃中止だ!皆、部屋の中に駆け込め!急ぐんだ!背中を撃たれたら致命傷になるぞ!ガッツ、殿は任せた!」
チェリオの健闘のお陰で開いた分厚い鋼鉄の隔壁。その先の部屋へ仲間を誘導すると、筋骨隆々で肩に携帯対戦車擲弾発射器『RPG』を三本も纏めて担いでいる男へ、背中を任せる。囮といっても過言ではない役回りを、【一騎当千のガッツ】は躊躇せず受け入れてくれた。
「んふっ、任せてリーダー!ほらほら機械ちゃん達~、この野太いRPGを喰らいなさい!」
その図体に似合わぬ甲高い声と、更に耳を疑うオカマ口調。初対面の者ならば、その厳つい外見との絶望的な差に目を丸くする事請け合いな特徴を持つ彼は、RPGを一本肩に担ぎ、狭い通路にひしめき合う機械兵達に照準を向ける。
RPGの引き金が弾かれると、放たれる弾頭。普通ならば迫る熱源を感知し回避行動を取る機械兵も、狭い通路では回避する事は叶わない。弾頭は衝突した機械兵の鎧を凹ませ、周囲を巻き込み爆発。曲り角にいるこちらにまで爆風が吹き付ける。
「全員入ったな!? ガッツ、来い!扉を閉じるぞ!」
機械兵二体を半壊させ空になったRPGを捨てると、その巨体通りの速度でこちらに駆け寄るガッツ。その逃走を確実にする為の悪足掻きに、安全装置を引き抜くと、ガッツの後方へ煙幕手榴弾を投擲。小さな破裂音と共に、ガッツの後方が煙幕に包まれていく。
機械兵の最大の弱点、それは視界を奪われると索敵の精度が極端に低下する事。他にも機体は中心部に動力源があり、それを破壊されると、燃料が逆流し爆発を起こす。だが頑強な鎧に守られているので、奴等の動力源を狙うのは現段階で判明している装備では不可能に近い。動力源破壊を狙う位なら正々堂々罠に嵌め、身動き取れない状態の所に銃弾を撃ち込む方が賢明だ。
予想通り破損した機械兵を押し退け、大量の耳障りな足音が狭い通路に響く。他にも壁に激突する効果音が聞こえる辺り、煙幕作戦は功を奏したようだ。
「あらリーダー、わたしの為に煙幕手榴弾まで使っちゃうなんて太っ腹っ。御礼に、今日の夕食豪勢にしちゃうわねぇん。それと、リーダー……燕ちゃんの事は、あんまり引き摺っちゃ駄目よ」
閉じ掛けの隔壁の隙間に装備した高重量装備を放り投げ、その後に部屋へ滑り込んだガッツは、俺の隣を横切りながら肩を叩き、電源一つない薄暗い部屋の奥へ向かう。
今頃先に行かせた他の仲間達は、部屋の奥で目的の物を発見し舌を巻いているに違いない。
だがこの作戦を立案した俺は、目的の物が何かを知っている。それがMMORPG『GuaRDiaN oNLiNe』の世界に閉じ込められた俺達の救世主となるべき存在な事も。その救世主を奪取する為に犠牲になった仲間の女性プレイヤー、【燕】の存在を憂う時間が無い事も百も承知だ。悲しんでいる暇があるならば行動しなければ、彼女の死も意味をなさない。
「――……悔やんでも死人は帰って来ない、か。今は目の前の事に集中しないとな」
隔壁を完全に封鎖すると、外側から響く銃声や衝突音。機械兵が強引に隔壁を破ろうと躍起になっているが、この隔壁はこのゲーム内で最も頑丈な素材で構築されている。易々と突破は出来まい。
予め用意していた懐中電灯の電源を入れる。案の定部屋の床には、これでもかと大量のケーブルが張り巡らされており、足元を照らさなければ躓いて転倒してしまう。既に何人かの仲間が足を掬われて不満を漏らしていた。
「ちょっとトレイター、あれ何!? 何か女の子が水槽の中で溺死してるんだけど、まさか死体がトレイターの探してた物!? 折角、折角ここまで来たのに……僕達の最後の兵器になる物があるんじゃなかったの!?」
どの仲間よりも速く部屋に駆け込んでいたチェリオは、天井から床まで繋がった培養槽を指差し、声に混じった怒気を隠そうともせず詰め寄って来た。
確かに俺の知る限り、一目で培養槽に浮かぶそれを兵器だと判断出来る者は、先ずいない。その証拠に、他の仲間達は未だに目的の物を発見して動揺している最中。今回の作戦で敵基地内の下調べまで完璧に行い、自らの最高装備を所持して来たチェリオが、誤解して抗議して来るのも尤もだ。
「あぁ、確かに探していたのはそいつだが……少し落ち着け、チェリオ。俺が一個小隊総動員してまで水死体を求める程発狂していると思うか?培養槽に何か書かれているだろう、もう一度見てみろ」
「……ん~このプレート、何か意味があるのかしら。チェリオちゃ~ん、ここに何か書かれてるんだけど、読み取れる~?」
丁度良く培養槽の傍で屈んでいたガッツが、何かを発見しチェリオに呼び掛ける。無理に弁解しても反感を買うだけなので、渡りに船とばかりに頬を膨らます彼女の背を押した。あれが証拠だと言い掛けるように。
「――……あぁもうっ、直ぐ行くよ!それと、トレイター……トレイターがあの子に、サイに伝えてよね。燕が……撃たれた事」
最後に震える声を抑えて言うと、不満剥き出しのままチェリオは培養槽へ歩み寄る。
そうか、燕と親友だった彼女は外で避難経路を確保する別部隊所属。加えて他プレイヤーの死亡通知は、同部隊に所属する仲間のみが受信出来る物。今も彼女――サイは別部隊で、親友の死も知らず懸命に機械兵と戦闘を繰り広げているのだろう。
何より憂慮すべきは、サイが現実でも友人という燕に、精神的な依存をしていた事だ。仲間内でも冷ややかな態度を貫いている彼女が、燕の死を知ればどうなるか、想像だけでも心労が嵩む。
「うっへぇ、何度見ても頭の痛くなる文字だ。こっちの世界の言葉だし、言語解析持ってねぇと理解不能か。銃器スキルに振り過ぎたな」
「典型的な脳筋突撃兵だよねぇ。でもほら、撃てる銃いっぱいあるから見返りとしては十分でしょ」
「あぁもう良いから、脳筋コンビは退いて!時間も無いし、手早く解析するよ……翻訳スキル起動。これは文字的に……ギリシャ語を少し改変した物だから――」
チェリオは迷彩服を着込み、肩に物々しい銃器を担いだ男二人を押し退けると、小脇に抱えた電子端末を操作しながらガッツの隣へ屈んだ。端末に内蔵されている小型カメラでプレートに記された文字群を写し、現実の言葉に置き換えながら翻訳。
この翻訳作業だけでも、情報スキルからの派生である言語翻訳スキルが必要とされる。翻訳スキル成功後も、何語で表示されるかは選択出来ず、元となった国語を読めなくてはいけない。
この場合、チェリオは元の国語、ギリシャ語を読解を必要とされる訳だが――、
「あらチェリオちゃんったらギリシャ語まで読めるのぉ!? 凄いわねっ、今度教えて貰おうかしら!」
「はいはい、無事にこの世界から脱出出来たら幾らでも教えてあげるよ。それよりも……何か今まで見た文字よりも数倍複雑だね。文字入れ替えのパズルしてる気分だ……よし、翻訳終了。えっと、【Μεσσίας Ανδροειδών Αριθμός μοντέλου Σ】――救世主型アンドロイド、シグマ……?」
やはりギリシャ語も読解可能か。今まで解読に使用した言語を合わせると八ヶ国語は完全に使いこなせている。チェリオの語学力の多さには感嘆せざる終えない。
チェリオは茫然としながら培養槽の中で浮かぶ彼女を見詰め、小型端末を取り落としてしまう。端末の画面には翻訳された【正式MESSIAH型Android Ⅵ型番 Type-Σ】の文字。
「型番Σのアンドロイドって……もしかして、この水に浮いてる子って機械なの!?」
チェリオの言葉に十数人の仲間達が一斉に息を飲む。そうなるのも当然だ。この世界でプレイヤー達が見て来た機械といえば、自分達を抹殺する事を目的とした無骨な機械兵のみ。完全な人型、それも敵ではない機械と出会ったのは誰も彼も初めてな筈。
「人間を更なる繁栄に導く為に設計された、人工AIを持つ人に最も近い機械、疑似生命機巧。確かに外見は只の少女だが、こいつが機械軍に太刀向かう俺達の最後の希望だ」
培養槽の中に浮かぶ、体のあちこちにケーブルが繋がれた少女。
踝まで伸びた長い漆黒色の髪。その髪色と正反対の、処女雪を思わせる混じり気の無い美しい色白の肌。物凄く小柄で華奢な体型だが、彼女の儚さには適切だと感じられた。全てが、この世に生きる人間とはかけ離れた端整さだ。
チェリオが屈む培養槽の反対側に回ると、彼女の顔を眺める。やっと、ここまで辿り着いた。後はこのΣに適合出来る適合者を見付ける事が出来れば、俺達は真っ向から機械軍と太刀打ち出来る。この戦争に片を付けるんだ。