第6話 窓越しの誓い
昼休み。
夏海の個人携帯に電話がかかった。薫だ。
「はい」
『夏海? 昼休み中ごめんね。月曜日の話聞いてさ、心配になって。尚哉くん、あれからどう?』
「それが……」
夏海は廊下に出て小声で続ける。
「電話番号教えてもらったし……仲良くなったの」
『仲直りってことね』
「というか……もっと」
薫は夏海の歯切れの悪さに察した。
『ああ……そゆことか。よかったじゃん!』
「ありがとう」
廊下を人が通ったので、夏海は赤くなった顔を見られたくなくて後ろを向いた。
『まあ、なんかあればまた連絡ちょうだいね』
「そういえば、翔一さんの面接どうなったの?」
『あ、受かったよ!』
「おめでとう!」
『ありがと。んじゃ昼休み中ごめんね、切るね』
「うん。またね」
『またね』
席に戻る夏海は少し微笑んでいた。
◇
夕方、尚哉がラボからデスクに戻ってくると、個人用携帯に夏海からラインが入っていた。
『定時後会える?』
『いいよ。いつものところで』
尚哉はいつのまにか頬が緩んでいた。
隣の席の田辺仁が茶化す。
「何ニヤついてんだよ」
「うるせーよ」
「夏海ちゃん射止めやがって」
そう言って田辺は席を立つ。
尚哉は急いで机のキャビネットからUSBメモリを手に取ると、隣のパソコンに差し込み、コマンドを入力した。
プログラム実行が終わるとUSBメモリを抜いた。
手がわずかに震えているのに気づき、息を整えながらラボに戻った。
◇
定時後のカフェ前。
今日は尚哉の方が先に着いて待っていた。
「お待たせ」
「お疲れさま」
尚哉はそう言って、夏海の手をとり、静かに言う。
「本当はもっと一緒にいたいけど、社長が心配するし、今日は家まで送るよ」
「ありがとう。気を遣ってくれて。歩きで帰りたい」
「気を遣うのは当然だよ。夏海は一番大事だよ」
尚哉は優しく微笑んだ。
二人は手を繋ぎながら駅まで歩く。
「尚哉って、どんな食べ物が好きなの? 今週の土曜日、うちに夕食食べにこない?」
「お、行く行く。好きなのは……夏海」
「もう、真面目に聞いてるのに」
「うそうそ、ごめん」
短い沈黙。
「……あったかいやつ。ラーメンとか」
「それジャンル広すぎ」
「四川料理も好きだった。昔は。でも、最近はそこまで辛いの、食べなくなった」
「ふーん、なんとなくわかった。好きそうなの用意しとくね」
「ありがとう」
二人は改札を通った。
夏海と尚哉は電車は同じ方面だが、夏海の最寄り駅の方が近かった。
電車に乗る。電車の中は割と混んでいた。尚哉は夏海を窓側にして守るように立つ。
夏海が尚哉の目を見つめながら話す。
「遠藤薫って大学時代からの友達いるんだけど、尚哉と会いたいって」
「ほう。仲良いの?」
「うん。たまに会ってる。いい子よ」
「是非、会いたいな」
「わかった」
夏海の最寄駅に着いたので一緒に降りる。
夏海の家は駅から五分程の大きな一軒家だった。
ずっと手を握って歩いていた。
「明日は、実験が遅くまであるから残業で会えない。ごめんね」
尚哉が夏海を引き寄せる。
「ん。わかった」
「明後日の土曜は、何時に行けばいい?」
「んー……七時に」
「おっけ。楽しみにしてる」
夏海の家についた。
「明日、実験がんばって……」
ふいに尚哉が夏海にキスをした。
長いキス。
離れると恥ずかしそうに夏海が言う。
「……防犯カメラあるよ」
尚哉が慌てて上を見る。
「……ごめん」
「大丈夫」
「寝る時ラインするかも」
夏海はそう言って手を振り、家に入って行った。
就寝前、夏海から尚哉にラインがあった。
『好きよ♡ おやすみなさい』
『僕も好きだよ♡ おやすみ』
夏海は尚哉のハートマークに少し笑った。
(尚哉の夢見れますように……)
◇
金曜日の定時後。
夜遅く尚哉はラボからデスクに戻った。
「ふう」
軽いため息をつくと、ポケットからUSBメモリを取り出す。
隣のパソコンに挿すと、デスクトップが立ち上がった。
尚哉はモニタの電源を落として別の作業にかかった。
尚哉はデスクで実験の結果のグラフをしばらく眺めていた。
みぞおちに刺すような痛みが走る。手で押さえたが痛みが強くしばらく声が出なかった。
「お。珍しいじゃん残業なんて」
帰りがけの先輩に声をかけられる。
「村田さんこそ。やり残した解析がありまして……」
「そうなんだ。ま、古川ならすぐ終わるさ。お先」
「お疲れさまでした」
気がつくと周りにはもう誰もいなかった。
「ふう」
短くため息をつき、尚哉は再び隣のパソコンのモニタを上げた。
ネットワークごしにラボのサーバーからデータをコピーする。
尚哉は背後を何度も振り返り、周りに誰もいないことを確認した。
フロアの遠く向こう側の電気が消された。このフロアには尚哉しかいなくなった。
しばらくすると、コピーが完了した。
コマンドを入力すると黒い窓が複数開き、ログが流れる。
尚哉は手の震えを止めようと押さえつけた。
待っているとコマンドの窓が全て閉じた。
尚哉は、USBメモリを抜き、ポケットにしまった。
パソコンをログアウトした。
尚哉は俯いて何か呟いた。両手は強く握られていた。
自分のパソコンの電源も落とすと、会社を後にした。
尚哉は知らなかった。USBメモリを抜いた時、いくつかのログはすでに残っていたことを。
◇
夏海は、寝る前に尚哉にラインを入れようとした。その瞬間、尚哉から電話がかかってきた。
「こんばんは。電話なんて珍しい」
『ごめん。寝てた?』
「ううん。ラインしようと思ってたところよ。今どこ? ひょっとしてまだ仕事?」
『いや……どこにいると思う?』
「家じゃなくて……? 違うの?」
『違う』
尚哉は、ふっと笑う。
『窓から出て、外見てみて』
「えっ?」
夏海は、窓に近寄りカーテンを開けて外を見た。すると、外の歩道に尚哉が手を振って立っていた。
夏海は窓を開けた。
『寒いから開けなくていいよ』
暗くて表情が見えないが、夏海には尚哉が笑っているように見えた。
「今帰り?」
『うん、そう。どうしても顔が見たくなってね』
「疲れてるでしょ」
『夏海の顔みたら……疲れ飛んだ』
「下降りる」
『待って! それは良くない。君のお父さんやお母さんが心配する』
「なんか今日の尚哉、いつもと違うみたい」
『遠くからでいいんだ。君の姿が見られるなら』
「私はそばにいたい……。こっそり出ればわからないわ」
『ダメだ! 今君がこっちにきたら僕は君をさらってしまいそうだよ。だからダメ。なら帰るよ』
「わかった……。寒くない?」
『全然寒くないよ』
「今日は何を食べたの? もしかしてまだ?」
『適当に食べたよ』
「嘘が下手ね。本当なら曖昧に言わないでしょう? 知ってるんだから」
尚哉はしばらく黙った。
『風邪ひかせるとまずいからそろそろ帰る。名残惜しいけど』
そう言って笑った。
「好きよ。大好き」
『僕もだ。愛してる』
「私も。……明日は昼間はパパと取引先に行く用事があるから、会えないごめん。その代わり、夕食でいっぱいお話ししよ」
『楽しみにしてるよ』
「じゃ……おやすみなさい。気をつけてね」
『切るね。おやすみ』
夏海は手を振る。尚哉も振り返した。
尚哉が歩いていくと、夏海が窓を閉めてカーテンを閉めた。
尚哉は振り返り、明かりが消えるまで窓をずっと見ていた。
◇
尚哉はそのまま帰らず、ネカフェに寄った。
店の中はかなり混んでいたが、空いている個室があった。
尚哉はネカフェの個室で、USBメモリをパソコンに挿す。
あるアップロード用サイトにアクセスし、ログイン。
データを指定してアップロードを始める。
進捗バーがゆっくりと伸びるたび、彼の呼吸も浅くなる。手の震えが止まらず、思わず指を組み直す。
個室の扉を何度も振り返り、誰かが背後に立っている錯覚に襲われた。
アップロードが完了すると、尚哉はUSBメモリをフルフォーマットした。
一度では不安で、数回繰り返した。
指先は痛く、肩はこわばり、数時間の作業で疲れ切っていた。
深夜にも関わらず、眠気は感じなかった。
店を出た後、コンビニでサンドイッチとビールと胃薬を買う。帰り際、ゴミ箱に何かを捨てた。
タクシーで家路につく。もう電車はなかった。
空は曇っていて、星は見えない真っ暗な空だった。




