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第4話 優しい人の遠い距離

 自社ビル一階のカフェの模様替え作業が始まった。

 

「尚哉くん。裏口入ったところすぐに荷物たくさん置いてあるから、台車で運んできてくれる? 重いものが多いのよ」

「わかりました」

 尚哉は台車を引きながら歩いていく。

 

 真理子はカウンターで置物の交換をしている夏海に近づいた。

「紅葉の葉っぱは、そこじゃなくてこっちの暖色系の照明に近い方がいいんじゃないかしら。光の当て方でオレンジが映えるわ」

「ん……そうね、ママの言う通り。光の当て方で全然違うね」

 

 真理子は夏海の手元を見ながら、声を少し落とした。

「ところで、尚哉くんてどんな人?」

「え? うん、優しい人」

「仕事の話とか、聞いてる?」

「仕事の話はあんまりしないかな。でも、開発が形になって、世の中に広まったら、世界の役に立ちたいとは言ってたよ」

「そう……」

 

 そのとき、尚哉が大きめのカボチャの装飾やフェイクグリーンを載せた台車を押して戻ってきた。

「お待たせしました。どこに置きましょうか?」

 尚哉は腕まくりをして、手際よく動き出す。

 

「あら、ありがとう、尚哉くん。助かるわ。そのカボチャは、レジ横の棚に。夏海、ディスプレイを彼に教えてあげて」

「はーい」

 尚哉と夏海がレジ横の作業に取り掛かるのを横目で見ながら、真理子はテーブルクロスの交換を手早く始めた。

「古川さん、ありがとうね。ああいう精密な作業が多い部署なのに、こんな力仕事に付き合わせてしまって」

 真理子はコースターを整理しながら、何気ない調子で話しかけた。

「いえ、大丈夫です。むしろ気分転換になります」

 尚哉はカボチャの角度を調整しながら答えた。

 

「そう。でも、技術開発部の人はすごいと聞くわ。あなたも、海外で長く勉強されたのよね?」

 一瞬、尚哉の動きが止まった。

「ああ、はい。一年ほどドイツの方へ行っていました」

「ドイツ。いいわね。うちの会社も繋がりがあるから興味があるの。どの研究所だったかしら? 差し支えなければ」

 真理子は微笑みを浮かべた。


「ミュンヘンにある、ええと、ヴァルトナー研究所です。電池の素材工学が専門で」

 尚哉は流れるように答えたが、声のトーンはわずかに低い。


 夏海は気づかずに、隣で紅葉の造葉を嬉しそうに並べている。

「すごーい、尚哉さん、留学してたんだ! 知らなかったー」


 真理子は夏海の『知らなかった』という言葉を聞き逃さなかった。

「そう。ヴァルトナー研究所。なるほど。ドイツ語は堪能なの?」


 尚哉はカボチャから手を放し、少し俯いた。

「いや、実は、あんまり喋れません。研究は英語環境だったので、簡単な会話しか習得できなくて……」


 夏海が尚哉の腕に触れた。

 真理子は『そう』とだけ答え、わずかに目元を細めた。


「ママ、ちょっと照明の色温度、これでいいか見てくれる?」

 夏海はそう言って、真理子の注意を照明スイッチへと向けた。

 真理子が尚哉に質問攻めしていることを、なんとなく察したのだ。

 真理子は小さくため息をついた。

 

「わかったわ。じゃあ、尚哉くん。その大きなボードを壁に掛けてもらえる? 夏海、手伝ってあげて」

 真理子は、尚哉への問いからすっと距離を置き、カウンター内の照明スイッチに向かった。


 尚哉は夏海と二人で、ボードを腰の高さまで持ち上げた。

「うわ、重いね、これ」

 夏海が言う。


「よっと」

 尚哉は掛け声をかけて重いボードを持ち上げ、壁に押し当てた。

 夏海が位置を確認する。


「もうちょっと右かな……うん、そこ」

 尚哉はフックにボードを掛けると、夏海の視線と、ボードが部屋全体に与えるバランスに集中した。

  

「尚哉さん、すごい。一発で完璧!」

 夏海が拍手した。

「力持ちなだけだよ」

 尚哉は笑ってごまかした。


 尚哉は下に降りると、夏海の冷えた指先にそっと触れた。

「さっき、外で待ってて冷たくなったんでしょ。ごめんね」

 尚哉は警戒心を一瞬忘れ、彼女の手にそっと自分の手を重ねる。


 夏海は一瞬驚いたが、真理子が照明に夢中なのを確認すると、尚哉の指を軽く握り返した。

「うん……もう大丈夫だよ。尚哉さんがいるから」


 その後の作業が終わり、夜の九時を過ぎた頃。

 真理子はカウンターから出てきて、腕を組みながら全体を見回した。

 

「ふう、ありがとう二人とも。これで今年の秋も完璧ね。夏海も尚哉くんも、本当に手際が良かったわ」

 

 そのとき、カフェのドアが開き、風とともに一人の男性が入ってきた。

「やあ、みんな。遅くなってすまない」

 尚哉が振り向くと、スーツ姿の田端真一郎社長が立っていた。

 

「ああ、真一郎。見てちょうだい、完璧よ」

 真理子は満足げに言った。

 

 真一郎はゆっくりと店内を歩き、暖色の照明や新しいテーブルクロスを確認した。

 

「素晴らしい。真理子のセンスは格別だ。そして、古川くん」

 真一郎は尚哉の前に立ち、少し硬い表情で言った。

 

「手伝ってくれてありがとう。君のおかげで、スムーズに作業が終わったようだ。技術開発部の古川くんは、やはり作業が正確だと聞いているよ」

 尚哉は安堵と共に、真一郎から評価されることへの緊張を感じながらも、頭を下げた。

「ありがとうございます。光栄です」

 

 真一郎は尚哉の肩を軽く叩いた。

「そうか。君の働きぶりに感謝する。今度、ゆっくり食事でもどうだ。夏海の父親として、改めて話がしたい」

 

 真理子は、真一郎の横に立ち、冷静な口調で言った。

「そうね、尚哉くん。せっかくだから、真一郎とゆっくり話してあげて。真一郎は心配性だから、あなたのことを知りたがっているのよ」

「おいおい、余計なこと言うなよ。単純に親交を深めたいだけだよ。今日のお礼も兼ねてな」 

 そう言って真一郎は笑った。

「ありがとうございます」

 そう言って尚哉は微笑んだ。


「遅くまで本当にありがとう、尚哉くん」

 真理子は尚哉に言った。

「手伝えることがあればいつでも声かけください」

 尚哉はお辞儀をしたあと、夏海に声をかけた。

「夏海さんも、またね」

「またね」

 尚哉は軽く会釈をして会社を後にした。

 夏海は見えなくなるまで尚哉の姿を追っていた。


 ◇


 日曜日の夜。

 夏海は友達の遠藤薫に電話した。

「薫?」

『久しぶり、夏海』

「ちょっと聞いて」

『どうしたの?』

「先週から会社のある社員と仲良くなったの」

『ん? ……それはひょっとして、彼氏できたってこと?』

「かもしれない」

『ちょっと、なんでそんな曖昧なのよ!』

「正式に付き合ってとはまだ言われてないの」

『詳しく教えてくれない?』

 ――夏海は、言葉にするほど自分の気持ちが整理されていくのを感じながら、出会いから話した。

 

『でも、惹かれてるっていうし、親にも会うってそういうことだと思うけどなあ』

「それが、休みの日はなんも連絡ないのよね」

『まじか……、少し怪しいわね。用事があるとかじゃないのよね?』

「なんも言ってなかったよ」

『連絡してみたら?』

「まだ会社の携帯の番号しか知らない……」

『えーっ! 教えてくれなかったの?』

「うん。まあ調べればすぐわかるんだけど」

『まあ、まだ出会ってそんなに経ってないからわからないけど、休み明け聞いてみたら?』

「色々考えてると、わからなくなっちゃった……」

『明日、うち来る? 翔一、明日いないから』

 高橋翔一は、薫と同棲中の彼氏だ。

「うん。午後二時くらいに行く」

『オッケー』

「ありがと」

『いいよ、じゃあまた明日ね』

「また明日」

 夏海は電話を切ると、小さくため息をついた。


 ◇


 月曜日、祝日の午後。

 夏海は、薫の自宅を訪ねた。マンションの二階だ。

「いらっしゃい」

 薫は笑顔で出迎えた。

「おじゃまします」

 夏海は靴を揃えてから上がる。2LDKほどの間取りだ。二人で住むには十分だ。

「適当に座っといて。コーヒー、紅茶?」

「じゃコーヒー。これ買ってきた」

 夏海は途中で買ってきたケーキを渡すと薫が中をのぞく。

「ありがとう~。おいしそう」


 薫はコーヒーを淹れながら話しかけた。

「最近連絡なかったから、気にはなっていたのよ」

「うん。仕事と尚哉さんのことばっかりしか考えてなかった」

 そういって夏海は舌を出す。

「なんだラブラブなんじゃん。砂糖、ミルクいれるよね?」

「うん」

「どうぞ」

 薫はコーヒー、紅茶、皿に盛ったケーキを持ってきた。


「それがまだよくわからないんだ。気が付いたらって感じで……」

「夏海は尚哉さんのこと、どこが好きなの?」

「……優しいところかなぁ。一緒にいるとホッとする」

「ドキドキじゃなくて、ホッとするんだ? へー」

「なんで? たまにドキドキすることもあるけれど……」

「それってさ、尚哉さんと父親を重ねてみてない?」

「えっ? それはないと思うけど……。手が触れると嬉しいし」

 夏海はそういって頬を染めた。

 薫は、そんな夏海を見て思った。

 (夏海、可愛いなあ。女の私でも思うわ)


「今度会ってみたいな尚哉さんと。夏海への態度確認したいわ」

「うん……ありがと」

 夏海は少し寂しそうに笑った。


「話変わるけど、翔一がさ~最近会社辞めちゃって困っちゃってんの」

「えー! なんで?」

「上司と合わなかったんだって。今就職活動してるわ。面接で今日いないの」

「そっかぁ。早くいいところ、見つかるといいね」

 夏海はそういってケーキを頬張った。

「ありがとう」


 薫は心の中で、こう思っていた。

 (最悪、最悪の場合よ、尚哉さん妻子持ちとかあるのかしら……)

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