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第32話 赤い彼岸花

 ――二十年後。


 世界は変わった。

 

 リニアが普及し、日本一周の日帰り旅行が可能になった。空の飛行機はまだ音を立てるものの、電動化が進み、都市上空の轟音はほとんど消えた。空飛ぶクルマが普及し、渋滞も緩和された。

 

 スマホは紙のように薄くなり、月に一度、一瞬だけ充電すれば事足りる。人々は充電器を持ち歩く習慣をすっかり忘れていた。

 

 家庭では、キッチンの概念すら変わった。家中どこでもコードレスで高火力の調理ができる。十秒でお湯が沸く日常はまるで夢のようだ。

  

 AGIと連動したロボットも開発され、日々の暮らしをさりげなく支えていた。

  

 ◇ 

 

 元プロスパイの村田守は、ホワイトハッカーに転身していた。

 黙秘を貫き、組織からは脱退していた。


 背乗り(はいのり)の名前、林守安は捨て、日本名の村田守、本名の周 嘉诚(ジョウ・ジアチョン)で暮らしてもう十年以上になる。

 

「もうそろそろ俺も引退だな」

 秋葉原の裏通りにある目立たないカフェで、ハッカー仲間との情報交換の場に顔を出していた。


「村田さんの技術には、誰も敵いませんよ。まだまだ活躍してください」

 隣の若い男が笑った。


「でも、常々思ってたんですが、村田さん元スパイなんでしょ? なんでこの道に?」

「おい、それ聞くんかよ」

 別の男がたしなめるように突っ込む。


「昔、熱い奴がいてさ。とにかく真っ直ぐなのよ。そいつに感化されたっていうか……」

「はーん。もしかして、好きだったとか?」

「うるせー!」

「へー……意外」

 

 村田は茶化されてうろたえていた。

 (今何してんだろうな……。あの尚哉が世界を変えるとは――)

 そう考えながらグラスを傾けた。

 

 ◇


 NES本社の社長室。

 

 翌日、ノーベル賞授与式へ向かう尚哉と夏海を見送るため、真一郎は挨拶に来ていた。

 

「尚哉……いや、社長、いよいよだな。スピーチは考えてあるのか?」

 

「まあ、堅苦しくないようにしますよ」

「お前らしいな」

 二人で笑った。


 夏海が間に入る。

「あなた、燕尾服、腕通したの?」 

「いやまだ……」

「サイズ合わなかったらまずいんだから、ちゃんと着といてくださいね」


 真一郎が目を細めて二人を見つめていた。

 

 ◇


 スウェーデン・ストックホルムでのノーベル物理学賞授与式。


 静まり返ったホールに、司会者の厳かな声が響く。

 

「――界面抵抗の物理的限界を打破する《第三回路》の発見、および、エネルギー密度の極限を更新した革新的全固体電池の開発に対して」

 

 司会者が『古川尚哉(Naoya Furukawa)』と呼び上げる。

 

 その言葉が終わると同時に、割れんばかりの拍手が巻き起こった。 

 拍手の中、尚哉は壇上に上がった。

 

 尚哉の手に渡されたのは、青い表紙のディプロマと、革のケースに収められた黄金のメダル。

 メダルには、『Li Wei(李偉)』の刻印も並んでいた。

  

 ずっしりとしたその重みは、二十年という歳月の重み、そして志遠から受け継いだ情熱の重さそのものだった。

   

 最前列には、涙を浮かべて拍手する夏海がいる。


 尚哉のスピーチが始まった。

 

「この場にふさわしい言葉かわかりませんが、皆さんご存知の通り、私には前科があります。

 人生として一度過ちを犯しました。

 しかし、反省してないわけではありませんが、過ちを犯す瞬間は、誰でも……誰にでもあると思います。

 法を犯さなくても、人を傷つけたり、人に嘘をついたり……。

 反省をした上で、人として生きて行くことは忘れてはいけないと思います。

 幸い私には情熱がありました。愛する人がいました。

 研究できる環境もありました。

 私に関わってくれた方全ての方に感謝いたします。

 一人ではここまでやってこれなかったはずです。

 

 ……残念ながら父が秋にこの世を去り、一緒に祝うことができませんでしたが、天国できっと見ていてくれていると思います。

 

 この研究は、まだまだ終わりではありません。

 未来へ繋ぐために、まだ頑張ろうと思います」


 ◇


 記者会見会場。


 記者から順番に質問を受ける。

 

「理論を超えたと言われていますが、ご自身ではどう捉えていますか?」

 

「理論の向こう側に行ったとは思っていません。理論に、人間が追いついただけです」


「第三回路は、既存理論をどう拡張したものなのですか?」


 尚哉は一瞬だけ考えて、こう答える。

 

「拡張していません。理論は、最初からそこまで行けた。ただ、人間の方が怖がっていただけです」

 

「前科のある人物が、国家レベルの重要技術を握ることへの懸念について、どうお考えですか?」

 

 少し沈黙し、真っ直ぐに記者を見つめて言った。

 

「前科は、技術とはまた別問題と思っています。僕は前科があってもなくても技術への探究は変わらないので……。答えになっているでしょうか?」

 

「……はい。ありがとうございました」


「国籍のある中国ではなく、日本として発表した理由はありますでしょうか?」

 

 会場がわずかにざわめく。国家間のプライドが絡む質問に、尚哉はわずかに口角を上げ、客席の最前列に座る夏海へ視線を投げた。


「国籍がどこだろうと、この電池を完成させたのは……」


 尚哉の声が、マイクを通じてホールに響き渡る。

  

「日本の小さなラボと、愛する女性の支えがあったからです。僕にとって、日本以外でこれを発表する選択肢はありませんでした」


 カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。夏海が頬を赤らめ、涙を堪えるように微笑む姿が、世界中のモニターに映し出された。


 ――その頃、日本の片隅で。

 カップラーメンを食べながらモニター越しに尚哉の中継を見ている村田がいた。 

(かっこつけやがって……。変わってないな、真っ直ぐなところ……。まあ、良かったな)


 ◇ 


 とある公共墓地。

 

 古川家の墓石の前に、尚哉と夏海、二人の子供の『そら』と『愛羅あいら』が墓参りに来ていた。

 

 尚哉の母『古川律子』と父『李志遠』が眠っている。


 尚哉と夏海は、手を合わせた。

 線香の香りが満ちる。

  

「ようやく一年経ったな……」 

 

 尚哉が呟くと、隣にいた大学生の天が、自分より少し低くなった父の肩を叩いた。

  

「親父、あんまりしみじみすんなよ。じいじだって、湿っぽいのは嫌いだろ?」

 

「天、お兄ちゃん口が悪いよ。……ねえ、パパ。お腹空いちゃった。焼肉食べたいな」


 高校生の愛羅が、お腹を押さえて言った。


「愛羅は食いしん坊ね……。いつものお店、行きましょうか」

 夏海が愛羅に向かって笑う。


 空は清々しく晴れていて、墓の周囲には赤い彼岸花がたくさん咲いていた。

最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。当初のプロットとは変わってしまいましたが、尚哉と夏海の物語は、これで完結です。

最後に、彼岸花の花言葉を後から知って、作者自身も驚きました。あまりにもぴったりでした。

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